報道記事 > 外国人政策 > カルデロン一家問題

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経過報道

不法入国:在留許可求め嘆願書 比人中学生と両親が法相に(毎日新聞/2008/11/20)

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081121k0000m040073000c.html
不法入国:在留許可求め嘆願書 比人中学生と両親が法相に
会見で涙を見せるカルデロン・ノリコさん(右)と父親のアランさん(中央)、母親のサラさん=東京地裁で2008年11月20日午後2時25分、須賀川理撮影 日本で生まれ育ち、日本語しか話せないフィリピン人の中学1年生、カルデロン・ノリコさん(13)=埼玉県蕨市=と両親への退去強制命令を取り消してもらおうと、ノリコさん一家が20日、在留特別許可を求める嘆願書を森英介法相あてに提出した。

 ノリコさんの父アランさん(36)と母サラさん(38)は92~93年、他人名義の旅券で入国。95年にノリコさんが生まれた。06年にサラさんが入管法違反で逮捕され有罪となり、一家に退去強制命令が出た。取り消し訴訟も敗訴し、今月27日に退去の期限が迫っている。

 ノリコさんは「友達とダンススクールを開くのが将来の夢。生まれ育った日本が大好き。フィリピンでの暮らしは想像できない」と訴えた。
【石川淳一、稲田佳代】

不法入国:フィリピン人家族、在留特別許可求め嘆願書(毎日新聞/2008/11/21)

不法入国:フィリピン人家族、在留特別許可求め嘆願書
http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2008/11/21/20081121ddm041040040000c.html
 ◇13歳「生まれ育った日本で暮らしたい」
 日本で生まれ育ち、日本語しか話せないフィリピン人の中学1年生、カルデロン・ノリコさん(13)=埼玉県蕨市=と両親への退去強制命令を取り消してもらおうと、ノリコさん一家が20日、在留特別許可を求める嘆願書を森英介法相あてに提出した。

 ノリコさんの父アランさん(36)と母サラさん(38)は92~93年、他人名義の旅券で入国。95年にノリコさんが生まれた。

 06年にサラさんが入管法違反で逮捕され有罪となり、一家に退去強制命令が出た。取り消し訴訟も敗訴し、今月27日に退去の期限が迫っている。

 ノリコさんは「友達とダンススクールを開くのが将来の夢。生まれ育った日本が大好き。フィリピンでの暮らしは想像できない」と訴えた。
【石川淳一、稲田佳代】

毎日新聞 2008年11月21日 東京朝刊

小5と中1何が違うの 国外退去迫る比人一家(東京新聞/2008/11/22)

在留特別許可に差 「友達と離れたくない」

埼玉県蕨市で生まれ育った中学1年のカルデロンのり子さん(13) は歌とダンスが好きな女の子。授業も部活も一生懸命の頑張り屋さんだが、彼女に国外退去の日が迫っている。カルデロン一家がフィリピン人で、不法滞在が発覚したからだ。
     ◇     ◇     ◇
「私は自分が日本人だと思っていた。外国で暮らすなんて考えられない」「日本から離れたくないし、友達とも離れたくない」とのり子さん。
父親のアランさん(36)は1993年に、母親のサラさん(38)は92年にそれぞれ他人名義のパスポートで入国し、就職もした。その後、2人は一緒に生活するようになり、のり子さんが生まれた。
だが、一昨年7月にサラさんが警察から職務質問を受け、不法入国が発覚。東京入国管理局から退去強制令書が出た。一家は退去強制の取り消しを求めて提訴したものの、今年9月に最高裁で処分が確定。今月27日が退去期限だ。
不法入国とはいえ、一家の暮らしぶりには何ら問題はない。アランさんが解体工として働く会社の上司は「全幅の信頼を寄せる社員の1人」と評価。一家が住むアパートの西沢勲さんは「日本にいられるよう、何とかならんものなのか」と話す。
のり子さんの友だちは「かわいそうすぎ」と、法務大臣の裁量で在留を認める「在留特別許可」を求めて2372人分の署名を集めた。署名は20日、法務省と文部科学省に提出された。
同様のケースでも、子どもが中学生だと、帰国後の適応の難しさも勘案してか特別許可されることが多いが、不法滞在発覚時に彼女は小学5年生だった。訴訟代理人の渡辺彰吾弁護士は「小学5年と中学生で何がそんなに違うのか。子どもの利益を第一に考えてほしい」と訴えている。

「比人少女、退去期限1月14日まで延長」(TBS/2008/11/27)

「比人少女、退去期限1月14日まで延長」 News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4004145.html
比人少女、退去期限1月14日まで延長
日本で生まれ育ったフィリピン国籍の少女が強制送還しないでほしいと訴えている問題です。国外退去の期限にあたる27日、東京入国管理局に出頭した両親に対し、来年1月14日までの期限の延長が認められました。
 ついに国外退去の期限を迎えた27日の朝、のり子さんは、いつもより硬い表情に見えました。
 「テンション・・・あがってきて、どうなるのかな・・・心配もすごいあります」(カルデロンのり子さん)
 両親はまもなく、東京入国管理局に出頭するため家を出ますが、のり子さんはいつも通り、学校に行くといいます。日本に残ることが認められなければ、両親はそのまま収容されてしまうかもしれません。
 「パパとママが帰らなかったら、(会社の)社長にお願いしてあるから、(収容されたら)パパも電話に出られないと思うし、ママも電話に出られないと思う。何があっても、しっかりしないとダメだよ」(父、アランさん)
 「いつもしっかりしてるさ・・・」(のり子さん)
 父のアランさんは、家の外までのり子さんを見送りました。
 「のり子のことが心配で、戻れなかったらどうしよう」(母、サラさん)
 のり子さん一家が求めているのは在留特別許可。法務大臣の裁量で日本に残ることを認めるものです。
 たとえ不法滞在ではあっても、日本で長期間まじめに働き、子供が中学生以上になったケースなどは認められることが少なくないといいます。しかし、のり子さんの場合は、2年前に母親が逮捕された時点で小学5年生だったためなのか、認められませんでした。
 午前10時半に出頭した両親に対する入管からの回答は、来年1月14日まで期限を延長するというものでした。
 「昨日まですごい緊張してて、その緊張が少し解けた。まだ安心はできないけど、昨日よりは少しホッとしました」(カルデロンのり子さん)
 入管側から詳しい説明はありませんでしたが、あらためて申し立てた在留特別許可についての判断を行うために、期限の延長が認められたとみられています。
 のり子さんと両親は、望みを捨てずに、法務大臣の判断を見守りたいとしています。(27日15:12)

「長女に限り滞在許可も」法相、個別事情に踏み込み発言(朝日新聞/2009/03/06)

http://www.asahi.com/national/update/0306/TKY200903060097.html
「長女に限り滞在許可も」法相、個別事情に踏み込み発言
2009年3月6日11時5分
 不法滞在で国外退去処分が確定した埼玉県蕨市のフィリピン人、カルデロン・アランさん(36)が、長女のり子さん(13)が学業を継続するために一家3人の在留特別許可を求めている問題で、森法相は6日、閣議後の記者会見で「近くにおじさん、おばさんが3人いる」と明らかにした。そのうえで「適切な保護、養育の環境があれば、子どもに限って許可を出してもいい」として、あくまで全員での滞在を要望する一家側に再考を求めた。
 法相の裁量で決める在留特別許可について、個別の事情に踏み込んで発言するのは異例。一家の在留期限は9日に迫っている。
 また、強制退去後5年間は入国が禁止される規定についても、「もうちょっと柔軟に、1年ぐらい、あるいはそれを待たずして一時的に子どもに会いたいということなら、上陸特別許可を出すこともやぶさかでない」と特別に配慮する姿勢を見せた。のり子さん本人は再入国許可を得れば、自由に行き来できる。
 カルデロンさんの代理人によると、父親の姉と母親の弟、妹の計3人が埼玉県川口市などで、日本人と結婚するなどして適法に滞在している。ただ、「それぞれ家庭があり、子どももいるため、経済的にも環境的にもすぐにお願いできる状態ではない」としている。

公平か子の人権か フィリピン人一家問題、親を免責せず(朝日新聞/2009/03/09)

http://www.asahi.com/national/update/0309/TKY200903090335.html
 不法滞在で国外退去処分が確定したフィリピン人一家が改めて在留特別許可を求めていた問題で、東京入国管理局は9日、埼玉県蕨市のカルデロン・アランさん(36)の身柄を収容した。妻サラさん(38)と、中学1年生の長女のり子さん(13)は仮放免の期限を16日まで延長し、改めてのり子さんだけを残すかどうか検討するよう求めた。
 入管側は両親の滞在は認めない方針を再三伝えており、在留期限のこの日も一家が主張を変えないため、強制手続きをとった。13日までに両親が自発的に帰国する意思を示さなければ、16日にサラさんとのり子さんも収容して翌17日に全員を強制送還する。日本で生まれ育ち、学業の継続を希望するのり子さんだけが在留を希望すれば、在留特別許可を認める方針だ。
 父親の収容を受け、東京・霞が関の司法記者クラブで会見したのり子さんは「すごいショック。でも、家族3人で日本にいたいという気持ちは変わらない」と話した。代理人弁護士は「今はどうするか決められない」としつつ、両親が送還される場合は、のり子さんだけの在留を求めていくことを明らかにした。
     ◇
 不法入国した両親の法的責任は最後まで免除されず、親子3人で日本で暮らす道は断たれた。しかし、日本で勉強を続けたいという長女の思いだけはかなう道筋が残った。
 法務省は、「基本は全員退去」との姿勢を崩さず、長女の滞在だけを例外的に認める方針だ。両親のおじ、おば計3人が日本人と結婚するなど適法に滞在し、東京都北区や埼玉県川口市など近くに住んでいたことから、養育・保護は可能という判断があったようだ。
 強制退去の後は5年間再入国が禁止されるが、森法相は両親が自発的に帰国すれば、面会のための一時的な入国を認める方針も表明した。
在留特別許可は、強制退去処分が出ても、法相が本人・家族の状況や人道的配慮の必要性などを総合的に考慮して、個別に滞在を認める制度だ。法務省は06年、ガイドラインを公表した。07年までの5年間で年に7千~1万3千件程度認めており、希望者の8~9割前後が許可された計算になる。
 今回の場合、夫妻がまじめに働き、職場や地域社会になじんでいたことは、国外退去処分の妥当性が争われた裁判でも認められ、2万人を超える嘆願署名も集まった。のり子さんは「私にとって母国は日本。家族とも友人とも離れたくない」と訴えた。
 だが、夫妻は偽造旅券で入国しており、入管は正規のビザが切れた不法残留より悪質と判断。最高裁でも「子に責任はないが、不法入国の親が強制退去となれば一定の不利益はやむを得ない」とする判断が維持された。
 従来は強制退去が決まった時点で子どもが中学生以上だと、「日本に定着し、国籍のある国での生活は困難」と許可されるケースが多かった。しかし、今回は母親の不法滞在が発覚して処分が決まった時、のり子さんは小学5年生。入管幹部は「中学生になったのは訴訟で争っていたから。それで判断を変えれば、罪を認めてすぐに帰った人に対し公平を欠く」と話す。
 一方、在留特別許可問題に取り組んできた中京女子大の駒井洋教授は「不法入国を水際で防ぐことは大事だが、子どもの人権や10年以上まじめに働いていたことを考えれば、在留を認めてもよい事例だ」と指摘する。
 同様のケースがどのくらいあるか正確な統計はないが、外国人の人権問題に取り組むNGO「APFS」(東京)によると、親の不法滞在で強制退去処分になった子どもは現在、全国で100人以上いるという。(延与光貞)
     ◇
■在留特別許可で考慮される事情
《主なプラス要素》
  • 日本人の子や配偶者
  • 未成年である日本人の子を養育
  • 難病で日本での治療が必要
  • 日本に定着し、当該国での生活が困難
《主なマイナス要素》
  • 犯罪行為など素行不良
  • 出入国管理行政の根幹にかかわる違反・退去強制歴がある

17日の全員送還を通知 カルデロン一家 入管 両親の自主帰国求める(東京新聞/2009/03/10)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009031002000047.html
 強制退去処分を受けた日本生まれのフィリピン人カルデロン・のり子さん(13)=埼玉県蕨市立第一中学一年=の一家が在留特別許可を求めている問題で、九日に出頭した父親のアランさん(36)を強制収容した東京入国管理局は「十三日までに両親が自主的に帰国する意思を表明しなければ、十七日に家族全員を強制送還する」と通知した。
 この相談のために、のり子さんと母親サラさん(38)の仮放免期限は十六日まで延長されたが、家族三人で日本で暮らしたいという願いは遠のいた。
 両親が強制送還されれば、原則五年間は再入国できない。
 森英介法相は、日本に残ったのり子さんに会うために短期間の上陸特別許可を出すことを提案したが、入管側は「自主的に出国しなければ、約束できない」と説明したという。
 アランさんは一九九二年、妻のサラさんは九三年、それぞれ他人名義のパスポートで来日、のり子さんが九五年に誕生。二〇〇六年に一家の不法滞在が発覚、強制退去処分を受けた。
 処分取り消しを求めて提訴したが、昨年九月に最高裁で処分が確定した。

『気の毒』『違法』 世論は二分 落とし所探る法務省
 カルデロンさん一家をめぐる問題で、法務省は、「気の毒」「不法入国は違法」という二つの世論を横目に落とし所を探ってきたとみられる。
 強制退去命令が出ている一家に対し、のり子さんのみの在留特別許可を認め、両親には再上陸のための短期間の上陸許可を事前に提案したのは「異例中の異例」(関係者)という。柔軟な姿勢を見せた、とする関係者もいる。
 しかし、一方で、ほかの不法滞在者への影響を考えれば「これ以上は譲らない」という強い姿勢を見せる必要があった。
 入国管理局は二〇〇四年から「不法滞在者五年半減計画」を実施、当初二十二万人だった不法残留者を48・5%減らした。〇七年には再入国外国人に指紋採取などを求める改正入管法を施行した。今国会には三年後導入を目指して、入管と行政が中長期滞在する外国人情報を一元管理するための法案を提出。新制度が始まれば、現在も約十一万人が残る不法滞在者には取り締まりが強化される。
 フィリピン人ののり子さんが在留特別許可を申請した場合、在留資格は法務大臣が個々に認めた活動に対して在留期間を判断する「特定活動」になる可能性が高い。高校進学では「留学」という資格もある。こうした措置で学業を、「上陸許可」で親子のつながりを、それぞれ将来も保てるようにするとみられる。

のり子さん『お父さん帰して』
 「すぐにでも、お父さんを帰してほしい」。東京・霞が関で記者会見したのり子さんは涙ながらに訴えた。
 アランさんは前夜、「収容されるかも」と話したという。のり子さんは「本当にそうなってほしくなかった。家族三人で残りたい気持ちは変わらない」と唇をかみしめた。代理人の渡辺彰悟弁護士は「今はどうするか決められない。三人での在留としか言いようがない」と話した。
 のり子さんは母国語を話せず、日本での勉強を希望。一家の在留特別許可を求める署名は約二万人分になり支援は広がっていた。
 外国人問題に詳しい山口元一弁護士によると、不法滞在の家族に在留特別許可を出す場合、強制退去処分を決めた時点で、子どもが母国になじめないと判断される中学生以上というのが入管の基準。のり子さんは小学五年で、そのまま強制送還されても母国になじめると判断したとみられる。
 山口弁護士は「今回の入管の態度は、その後、中学生になってもこの基準の変更を認めず、母国に帰すという意思の表れだ」と解説。「生活実態をみて処分を見直すことも可能なはずだ。子どもの発達にとって、言語や教育環境の重要さ、親子が同居する大事さを考えると、入管当局の態度はかたくなに過ぎる」と指摘した。
 在留特別許可 入管難民法で強制退去処分に該当しても、法相が特別な事情があると認めた時などに適用される。法務省は2006年に発表したガイドラインで、許可を出す際に考慮する要素として、国籍がある国で生活することが極めて困難な場合など、人道的配慮を必要とする事情があることを挙げている。

不法滞在:埼玉の比家族国外退去命令 一家と国の言い分は(毎日新聞/2009/03/13)

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090313k0000m040087000c.html
 不法入国で国外退去を命じられ、在留特別許可を求めているフィリピン人のカルデロン・アランさん(36)=埼玉県蕨市=一家。東京入国管理局は夫妻に対し13日までに自主的に帰国する意思を示さなければ、中学1年の長女のり子さん(13)を含め親子3人を送還すると通告した。何が問題なのか。一家と国の言い分をまとめた。

 ◆法務省
 夫妻が他人名義の旅券で不法入国した悪質性を重視する。06年11月、一家に退去強制命令が出たが、当時は小学生で自立困難だったのり子さんが中学に進学し、日本での勉強を望んでいるとして、近隣に住む親類が育てる前提でのり子さんに限り許可する選択肢を加えた。
 在留特別許可に基準はなく、家族状況や生活態度などから法相が裁量で決める。07年は7388人。日本人と結婚した例が多く、一家のように退去強制命令の判決が確定した上での許可はまれだ。
 東京入管では07年2月、同様に判決が確定した群馬県高崎市のイラン人一家のうち短大に合格した長女のみを許可した。法務省はこの事例を念頭に検討。森英介法相は11日の衆院法務委員会で「最大限の配慮をした」と述べた。

 ◆一家
 のり子さんには「日本で親友と一緒にダンスの先生になりたい」という夢がある。夫妻は不法入国を反省したうえで「保護が必要な13歳の子を置いて帰れない」と3人での在留を求めている。
 送還された子供を追跡調査したリポートをまとめた、NPO在日外国人教育生活相談センター(横浜市)の竹川真理子センター長は懸念する。「15年間、まじめに生活してきた実績をみるべきだ。子供時代に送還すると双方の言葉も十分に身に着かず、心に壁ができる。親子を引き離すのは子どもの権利条約に違反する」
 一家の代理人の渡辺彰悟弁護士も「のり子さんだけ在留を認めても、家族のまとまりを社会と国が保護することを定めた国際人権規約に反する」と話した。【石川淳一、稲田佳代】

カルデロンさん両親帰国へ 「残念だが…」と感謝の言葉(朝日新聞/2009/03/13)

http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY200903130290.html
カルデロンさん両親帰国へ 「残念だが…」と感謝の言葉
2009年3月13日22時30分

 親子で一緒に暮らす願いはかなわず、両親は娘を置いていく決断をした。一家そろっての在留特別許可が認められなかった埼玉県蕨市のフィリピン人、カルデロン・アランさん(36)一家が13日、日本で生まれ育った中学1年生の長女のり子さん(13)を残し、両親は帰国する意思を東京入国管理局に伝えた。
 収容されていたアランさんも釈放され、一家は東京・霞が関の司法記者クラブで会見。アランさんは「残念だが、みなさんのおかげでここまで来られた。本当にありがとう」と感謝の気持ちを述べた。のり子さんは「家族3人で日本にいたかったので、うれしい気持ちはありません。でも、日本で勉強を続けたい」と目に涙を浮かべた。
 アランさんと妻のサラさん(38)はのり子さんの2年生の始業式に出席し、4月13日に帰国する。のり子さんには3月中にも在留特別許可が出る見通しだ。今後はサラさんの妹が蕨市に引っ越し、監護者となる予定。
 帰国した両親は再入国が5年間禁じられるが、森法相は1年ほど過ぎれば、親子面会のためであれば特別に入国を認める姿勢を示している。
 森法相は「今回の結論は、長女の希望を最大限考慮して、総合的に判断したものだ。今後、長女が近親や周囲の方々に温かく見守られ、安定した生活を送ることを期待しています」とのコメントを発表した。

比一家 長女だけ残留  「将来のため」決断 親類の下、同じ中学に(読売新聞/2009/03/14)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20090313-OYT8T01166.htm
比一家 長女だけ残留  「将来のため」決断 親類の下、同じ中学に
のり子さん 「日本は私の母国」

会見で帰国の理由を説明するアランさん(中央)一家  「のり子を日本に残すには、これしか道がなかった」――。不法入国で強制退去処分が確定した蕨市南町のフィリピン人、カルデロン・アラン・クルズさん(36)一家は13日、中学1年の長女、のり子さん(13)を残し、両親が帰国するという苦渋の決断を東京入国管理局に伝えた。のり子さんは親類の世話になり、同じ中学校に通う。両親は4月13日に帰国する予定だ。
 一家がそろって入管から出てきたのは13日午後5時頃。仮放免になったアランさんは疲れた表情を見せながらも、「日本の皆さんのお陰で、ここまでこれました。本当にありがとうございます」と一礼した。
 その後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、「3人とも日本にいたかった。本当に残念な気持ちですが、これしか選ぶ道がなかった。いつかまた日本で一緒に暮らしたい」と述べた。
 のり子さんは、フィリピンへの帰国は考えなかったという。在留に反対する意見も寄せられたが、「それでも残りたいと思いました。日本は私にとって母国。大好きです。将来のため、勉強を一生懸命に頑張りたい」と気丈に語った。
 両親の帰国後は、母親のサラさん(38)の妹夫婦が東京都北区から蕨市に引っ越し、のり子さんの面倒をみるという。
 今回の決定について、外国人問題に詳しい龍谷大の田中宏教授(日本アジア関係史)は「日本で15年以上暮らし、問題も起こしていない。子どもの利益を守るために、母親を日本に残しても良かったのではないか」と指摘した。
 のり子さんと同級生の女子生徒(13)は「残ることができたのは良かったけど、親と離れて生活するのはかわいそう。でも、また一緒に机を並べて勉強ができることはうれしい」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
 蕨駅などで親子を支援する署名活動をしてきた男性(70)は「両親と離ればなれになってしまうのは最悪だが、のり子ちゃんが日本に残るというのは最善の選択」と話した。
 一方、同じ中学の女子生徒(13)は「『帰れ』と陰口をたたく生徒がいるのも事実。本当は親が悪いのに、子供にまでつらい思いをさせてかわいそう」と表情を曇らせた。
 一家の近所に住む女性(79)は「なぜ13年間もこの問題を放っておいたのか。不法入国したのに特別扱いされるのはおかしい」と疑問を投げかけた。
 なお、渡辺彰悟弁護士が発起人となり、のり子さんの生活を支える基金を設けている。問い合わせは、いずみ橋法律事務所(03・5312・4855)へ。
(2009年3月14日 読売新聞)

のり子さんの先輩・イラン女性、短大卒業し群馬で保育士に(読売新聞/2009/03/14)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090314-OYT1T00788.htm?from=nwlb
のり子さんの先輩・イラン女性、短大卒業し群馬で保育士に
 ◆初の在留特別許可◆
 最高裁で強制退去処分が確定した外国人として、初めて在留特別許可を得たイラン人女性アミネ・マリヤムさん(20)が14日、群馬県高崎市の短大を卒業した。
 今月12日に東京入国管理局から定住者在留資格を認められ、4月からは、念願の保育士として県内の保育園で働く。
 卒業式後、はかま姿のマリヤムさんは、「応援して下さった方全員に感謝の気持ちを伝えたい。イランの家族からは、国際電話で『頑張って』と励まされた」と笑顔で話した。
 マリヤムさんは父に呼ばれ、家族と1991年に来日したが、一家は短期滞在ビザが切れた後も不法残留した。強制退去処分確定後の2007年2月、短大に合格していたマリヤムさんだけが2年間の期限で在留を認められた。
(2009年3月14日19時34分 読売新聞)

カルデロン親子の情は万国同じこと 日本人が愛した「大岡裁き」の公正と人情を忘れてほしくない(毎日新聞/2009/03/14)

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20090314k0000m070141000c.html
中国は前漢の黄霸(こうは)という太守の話だ。2人の女が幼子を自分の子と太守に訴え出た。
黄霸が部下に子を抱かせて取り合いをさせると、一方はいきなり子をひったくろうとする。が、もう一人は悲しそうにするばかりだ▲あれ、大岡裁きではと思った方、その通りだ。
以前も小欄でちょっとふれた中国の「棠陰比事(とういんひじ)」という書物がネタ元で、むろん子の痛がるのを恐れた母が勝訴する。旧約聖書にも似た話があるから、親子の情は万国同じことを示してもいる▲とりわけ公正さと人情をみごと両立させる「大岡裁き」をこよなく愛した日本人だ。
ならば中学1年の長女を残し両親が帰国することになったフィリピン人のカルデロンさん一家にも、13年間重ねた日本での親子の暮らしを引き裂かないですむ手立てはないかと思わざるをえない▲むろん不法入国した両親を退去させるのを不当とはいえない。

入国管理当局にすれば日本で育った長女のり子さんの残留を認め、両親に面会のための再入国も認める異例の措置こそ「大岡裁き」といいたかろう。不法滞在を防ぎ、他の退去者と公平を図らねばならぬ立場も分かる▲しかし在留許可を求める市議会の意見書や2万人署名が物語る通り、十数年間は善良な暮らしを重ねてきた一家である。

不法入国に何の責任もない13歳の少女の「私の母国は日本。家族とも離れたくない」との思いを引き裂いては、後世に名裁決と語り伝えられるのは難しかろう▲昔も今も人の心の最も柔らかく傷つきやすいところでつながっている親と子である。どんな峻厳(しゅんげん)な法も制度も、すべてはそこから生まれた人間の営みであることを忘れてほしくない。
毎日新聞 2009年3月14日 0時02分

のり子さんに在留特別許可 両親は始業式後に帰国へ(朝日新聞/2009/03/16)

http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY200903160341.html
 埼玉県蕨市のフィリピン人一家の在留特別許可問題で、森法相は16日、帰国する両親と離れて日本に残り、勉強を続ける意思を示していた中学1年のカルデロン・のり子さん(13)に在留特別許可を出した。留学などにはあたらないため、特殊なケースで適用される「特定活動」の資格とした。期間は1年だが、更新できる。
 法務省入国管理局などによると、母サラさん(38)の妹家族が蕨市に移り住んで面倒を見ることになり、のり子さんの養育環境が整ったことが確認されたという。
 父アランさん(36)とサラさんは、のり子さんの始業式を見届けて、4月13日に帰国する予定。
2009年3月16日22時27分

カルデロンさん、支援者らに感謝 父母退去前に報告会(埼玉新聞/2009/03/22)

中学一年生の娘を日本に残し、父母が帰国することになった蕨市のフィリピン人一家の問題で、一家を支援してきた渡辺彰悟弁護士は二十一日、同市立南公民館で地元の支援者らを集めた経過報告会を開いた。
四月十三日に帰国する父親のカルデロン・アランさん(36)は「ありがとうございました。蕨に住んでいて本当に良かった」と、一人一人に感謝の気持ちを伝えた。
渡辺弁護士は、昨年九月の最高裁決定以降の経過を時系列で説明。一家三人が一緒に暮らせるようにしてほしいという二万人以上の嘆願書署名や、蕨市議会が今月初めに全会一致で採択した意見書、日本に残るのり子さん(13)の学業支援のための基金設立など、多くの人に支援の輪が広がっていることを報告した。

のり子さんが「一家で暮らせないのは残念だけど、将来の夢に向かって一生懸命頑張ろうと思います」と語ると、会場からは「せめて義務教育が終わるまで、母親だけでも時々会いに来られるようにならないのか」などの声が
上がった。アランさんは「帰国までの間は、いつも通りに過ごしたい。のり子はもっとしっかりして、頑張らないといけない」と、親せきと一緒に暮らすことになるのり子さんを励ました。渡辺弁護士は、今冬にも父母の短期滞在申請をする方向で、アランさんは「少しでもいいからまた三人で暮らしたい」と話した。
写真:http://www.saitama-np.co.jp/news03/22/08x.jpg
地元の支援者から励ましの言葉を掛けられるカルデロンさん一家=蕨市の市立南公民館
http://www.saitama-np.co.jp/news03/22/08x.html

退去前の父母に贈るダンス のり子さんら音楽部が演奏会 蕨の比家族(埼玉新聞/2009/03/29)

http://www.saitama-np.co.jp/news03/29/08x.html
 日本生まれのフィリピン人、カルデロン・のり子さん(13)が所属する蕨市立第一中学校音楽部は二十八日、蕨市の蕨市民会館で定期演奏会を開催した。
 同演奏会は今回で二十一回目。保護者や地域の人々に今までの成果を発表する場として毎年開催している。同演奏会が一、二年生にとって三年生と歌う最後のステージとなったため、感極まって泣きながら歌う生徒の姿も。のり子さんは同演奏会でソプラノパートとダンスする女性の役を担当し、他の部員と共に美しい歌声と得意のダンスを披露した。
 「最後とは言いたくないけど、のり子の演奏を見るのは最後になるかもしれないから」と東京入管から来月に国外退去を命じられた、のり子さんの父アランさん(36)と母サラさん(38)は、前列に座り演奏に聞き入った。終演後、アランさんは「素晴らしいステージだった。仲間同士、仲が良くなければこんなに観衆が感動する演奏はできない」と終始笑顔で話した。
 一家を支援するコンサルタント男性も演奏会に訪れ「のり子さんのダンスはフィリピンの血が流れていることもあり、光るものがあった。皆、努力の成果が出ていた」と絶賛した。

1人残る比少女に支援の輪 基金発足、学費援助を(共同通信/2009/04/06)

http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009040601000016.html
 日本生まれのフィリピン人カルデロン・のり子さん(13)=埼玉県蕨市立中2年=の父母がフィリピンに帰国するのを前に、日本に残るのり子さんの学費や生活費を援助する基金が発足し、支援の輪が広がっている。
 「善意に応えるためにも、しっかり勉強したい」とのり子さん。4月13日に母サラさん(38)とともに帰国する父アランさん(36)は「本当にありがたい。将来は日本に戻り、何らかの形で恩返ししたい」と話した。
 3人は帰国前の12日、JR蕨駅前で市民に感謝の気持ちを表すカードを配ることにしている。

 基金は3人を支援してきた渡辺彰悟弁護士が発起人となり「のりこ基金」と名付けられた。また地元では、蕨市の自営業男性(64)が「蕨カルデロン支援の会」の設立を計画。のり子さんの生活相談に乗りたいとしている。
 渡辺弁護士によると、父母の帰国後、のり子さんの面倒は日本人と結婚しているサラさんの妹がみるが、経済的にはかなり厳しいという。
 のりこ基金はゆうちょ銀行、口座番号「10070-31787101」。その他の金融機関から振り込む場合は、支店名「008」口座番号「普通3178710」。問い合わせは、いずみ橋法律事務所、電話03(5312)4855。
2009/04/06 06:21 【共同通信】

在留許可フィリピン少女が始業式 両親に見送られ笑顔で登校(共同通信/2009/04/09)

http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009040801000202.html
 日本生まれのフィリピン人で、3月に在留特別許可を受けたカルデロン・のり子さん(13)が8日、埼玉県蕨市立中学校で2年の始業式を迎え、近く帰国する両親に見送られ登校した。
 午前8時すぎに蕨市の自宅マンションを出たのり子さんは、マンション前の歩道で両親に「行ってきます」と声を掛け、迎えにきた友人と一緒に笑顔で学校に向かった。
 ダンスの先生になる夢に向け、1年の時と同じ音楽部に所属するというのり子さん。「新学年になったので気持ちを切り替え、勉強、部活動の両方に打ち込みたい」と話した。
 両親は13日に帰国予定で、父アランさん(36)は「親子一緒の時間は残り少なくなったが、娘が大好きな日本で勉強を続けられることが何よりうれしい」とふっ切れた様子だった。
2009/04/08 11:01 【共同通信】

「最後にありがとう」 父母の帰国前、カルデロン・のり子さんらがお礼のカード(産経新聞/2009/04/12)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090412/trl0904121752002-n1.htm
感謝の気持ちを込めたカードを市民に配るカルデロン・のり子さん=12日午後、埼玉県蕨市のJR蕨駅前 埼玉県蕨市に住む日本生まれのフィリピン人、カルデロン・のり子さん(13)と父母は12日、父母が13日に帰国するのを前に、市民の支援に感謝する気持ちを込めたカード約600枚を自宅近くのJR蕨駅前で配った。
 支援者や友人ら十数人も駆けつけ、家族に「フィリピンでも頑張って」と声を掛けた。
 はがきサイズのカードには「たくさんのご協力ありがとうございます」と感謝の言葉が書かれ、裏面にはのり子さんが中学校の前に1人で立っている絵が描かれていた。のり子さんによると「両親と離れ離れになって寂しい気持ちも込めた」という。
 父親のアランさん(36)は「うちの家族のために何万人もが署名してくれた。帰国するので、最後にありがとうを言っておきたかった」と声を掛けて回っていた。
2009.4.12 17:48

カルデロンさん両親 午後帰国へ(東京新聞/2009/04/13)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009041302000044.html
 不法滞在のため強制退去処分を受けた埼玉県蕨市のフィリピン人カルデロンさん夫婦が十三日、帰国する。日本生まれの長女のり子さん(13)は同日朝、両親の最後の見送りを受けて中学校へ通学。その後早退して、両親とともに成田空港に向かった。

 中学校から午前十一時前に帰宅したのり子さんは正午すぎ、父親のアランさん(36)と母親のサラさん(38)と一緒に自宅を出た。三人とも泣きはらし、のり子さんとサラさんはハンカチを握りしめていた。自宅前でアランさんは同僚と抱き合い、「ありがとう」。アランさんは前夜、のり子さんに「頑張って」と励ましたといい、JR西川口駅に向かう道の途中で「地域の皆さんが応援してくれて感謝しています」と話した。
 前日の十二日昼にはのり子さんと両親はJR蕨駅前で、これまで支援をしてくれた市民に感謝するカード約六百枚を配った。
 パソコンで手作りしたカードには「たくさんのご協力ありがとうございます」などと書かれ、裏面は、のり子さんが中学校の校庭で一人で泣いているイラスト入り。支援者ら数人と駅前に立ったのり子さんは「両親と離れる寂しさを表現したが、蕨や全国の人の支援があったからここまで来られた。心からの感謝を伝えたい」と話し、一人一人に深々とおじぎして手渡した。
 アランさんも「一番つらい時に日本人の皆さんが支えてくれた」と握手して回り、市民から励ましの言葉も掛けられた。
 アランさんとサラさんは他人名義のパスポートで来日、一九九五年にのり子さんを出産した。二〇〇六年に一家の不法滞在が発覚し、強制退去処分を受け、昨年九月に最高裁で処分が確定した。
 三人での特別在留許可を求めていたが、東京入国管理局は今年三月、のり子さんだけに許可を決定。両親の仮放免が四月十四日まで延長されていた。

社説

社説:カルデロンさん 親と日本で、に道開け(信濃毎日新聞/2009/03/08)

http://www.shinmai.co.jp/news/20090308/KT090307ETI090014000022.htm
 フィリピン人の両親の不法滞在で、国外退去を迫られている埼玉県蕨市の中学1年生、カルデロン・のり子さんの処分の期限が、あす9日に迫った。
 のり子さんは日本で生まれた。両親の祖国に行ったことがなく、日本語しか話せない。日本で勉強を続けるために、家族3人の在留特別許可を求めている。
 法務省は、のり子さんだけなら許可を出すという。両親については、あくまで退去させる方針だ。
 両親と離れて日本で1人で暮らすか、勉強をあきらめてフィリピンで暮らすか-。13歳の少女に、あまりに残酷な選択肢だ。教育を受ける権利や、親と引き離されない権利を定めた「子どもの権利条約」にも反している。

 欧米諸国と比べて、日本政府の不法滞在者への対応はかたくなで、外国人と「共に生きる」視点が弱い。法務省は、のり子さんの人権を守り、日本で両親と暮らせるよう道を開くべきだ。
 のり子さんの両親は90年代初めに、それぞれ他人名義のパスポートで入国した。のり子さんは小学5年になるまで、そのことを知らなかった。不法滞在が発覚したのは2006年だ。
 地元ではいま、一家が日本に残れるよう支援の輪が広がっている。のり子さんの同級生らは嘆願や署名を続けている。蕨市議会は、家族3人の在留特別許可を求める意見書を全会一致で可決した。
 森英介法相は、両親が国外退去した後、のり子さんに会いに来たければ、再入国を認めると述べている。「退去」の事実をつくることにこだわっているようにみえる。四角四面の対応である。
 移民問題に長く取り組んできた欧米が参考になる。
 不法入国や不法滞在は、犯罪に結びつきやすい面があり、各国は規制や取り締まりを強めている。その一方で、長期の違法滞在者に在留を認める“恩赦”を繰り返してきた。一律に排除するのではなく、滞在年数や地域での暮らしぶりを重くみている。
 英国は、7年以上の違法滞在者で子どもがいる場合、家族全員に永住権を与えている。心身が伸びゆく大切な時期に、子どもを住み慣れた地から追い出すべきではないとの考えからという。
 のり子さんの両親は20年近く日本で暮らし、生活の基盤を築いてきた。入国の仕方は間違っていた。けれど、まじめに働き、地域に溶け込んできた。その年月の重みを受け止めて、社会の一員として迎え入れるときだ。
3月8日(日)

社説:フィリピン家族―森法相はここで英断を(朝日新聞/2009/03/12)

http://www.asahi.com/paper/editorial20090312.html#Edit2
 一家は埼玉県蕨市で暮らしている。36歳の夫は、内装解体会社で後輩に仕事を教える立場になった。38歳の妻は専業主婦。13歳の娘は、音楽の部活動に打ち込む中学1年生だ。
 どこにでもいそうな3人家族。フィリピン人のカルデロン一家である。
 一家は17日に強制送還されるかもしれない。両親が90年代前半に、それぞれ偽造旅券を使って入国したからだ。
 妻は06年に不法在留で逮捕され、執行猶予付きの有罪となった。昨年9月には一家の国外退去処分が確定した。
 退去処分になっても、家族の事情や人道的配慮から法相が滞在を認める制度がある。この在留特別許可を一家は求めたが、認められなかった。
 法務省の姿勢はこうだ。極めて悪質な不正入国だ。十数年滞在した事実はあるが、ほかの不法滞在者への影響を考えると厳格な処分で臨むべきだ。裁判所も退去処分を認めている。
 法律論はその通りだ。だが、だからといって子どもの幸福をないがしろにしていいわけはない。
 彼女は日本で生まれ育ち、日本語しか分からない。「母国は日本。家族とも友だちとも離れたくない」という。思春期のごく普通の女の子だ。
 同じようなケースで、子どもが中学生以上だった場合には在留が認められたことがある。「処分が出た時に長女は小学生。中学生になったのは訴訟で争ったからで、すぐに帰国した人との公平を欠く」という法務省の説明に、説得力はあるだろうか。
 法務省も、近所の親類に預けることを前提に長女だけに在留許可を出し、両親が会いに来るときは再入国を認めるとの案も示した。そこまで配慮できるのなら、森法相はいっそ一家全員に在留特別許可は出せないものか。
 彼女の望みをかなえることが、日本社会に不利益を及ぼすとは思えない。
 長女の学校の友人や地域住民らからは、一家の残留を求める嘆願書が約2万人分も集まっているという。蕨市議会は「長女の成長と学習を保障する見地から一家の在留特別許可を求める」との意見書を採択した。
 一家はすでに地域社会を構成する隣人として認められ、職場や地域に十分貢献している。一人娘は将来、日本を支える一人になってくれるはずだ。
 日本に不法に残留する外国人は約11万人とされる。日本社会に溶け込み、いまさら帰国しても生計が立たない人々は多いだろう。在留特別許可も年1万件前後認められている。
 日本社会ではすでに外国人が大きな担い手になっている。今回のようなケースはこれからも起きるだろう。いまの入管行政でそれに対応できるのか。社会の一員として認めるべき外国人は速やかに救済する。そんな審査システムをつくることが検討されていい。

社説:カルデロンさん 親子在留を許すべきケースだ(毎日新聞/2009/03/13)

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090313k0000m070118000c.html
 強制退去処分を受けた日本生まれのフィリピン人、カルデロンのり子さんと母親サラさんの仮放免期限が16日に迫った。先に父親アランさんを強制収容した東京入国管理局は、「両親が自主的に帰国する意思を表明すればのり子さんの在留を認め、表明しなければ3人とも強制送還する」と通知している。入管当局なりの妥協案かもしれないが、脅しとも映る対応を潔しとしない。諸事情を勘案し、一家に在留特別許可を与えるべきケースではないか。
 アランさん夫妻は出稼ぎのため、92、93年に相次いで他人名義のパスポートで来日。結婚して、95年にのり子さんを授かった。アランさんは内装解体工として働き、今では後輩を指導する立場だ。所得税、住民税を納めてもきた。のり子さんは埼玉県蕨市の市立中1年生。明るく、音楽部の活動にも熱心で、たくさんの友だちに囲まれている。
 一家が地域社会に受け入れられている様子は、蕨市議会が在留特別許可を求める意見書を採択し、2万人を超す住民らが法務省への嘆願書に署名したことでも明らかだ。一家が引き続き滞在することが、社会に害を及ぼすとは考えにくい。逆に、一家が強制送還されれば、日本語教育を受けてきたのり子さんは言葉と文化の壁に直面する。
 出入国管理は厳正に行われるべきだ。が、実務上あいまいな面もあり、毎年1万人近くが日本人の配偶者となったことなどを理由に在留特別許可を受けてもいる。単純労働は認められないのに、実際には来日外国人の労働力を当てにしている職場が少なくない。不法滞在の取り締まりを徹底する態勢が整っているとも言いがたい。のり子さんが教育を受けてきたのも、行政が不法滞在を容認していたからだとも解釈できる。
 一家のように犯罪集団などと無縁に勤労、就学を続ける来日外国人については、不法入国・滞在をいつまでも問題視せず、一定のルールを作って正規に受け入れるべきではないか。国際化時代の社会の要請にも合致しよう。真実の権利関係と違っても一定期間継続した事実があれば、法律効果を認める民法の時効の考え方を援用すればいい。善良な市民として長年居住する来日外国人は、在留を認められてしかるべきだ。
 法務省入管局長が81年、衆院法務委員会の答弁で長期滞在について人道的配慮から特別に在留を許可する方向を示唆したことも想起したい。ヨーロッパの国々が、一定期間居住した外国人に在留許可を与える法制度を設けていることも参考にしたい。
 今回、入管当局が「両親の意思表明」にこだわるのは、子どもの権利条約に反して親子を引き裂きたくないからだろうが、同条約が掲げる子どもの利益を最優先とする原則こそ尊重されるべきは言うまでもない。

社説:一家の在留に首相の決断を(日経新聞/2009/03/13)

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090312AS1K1200612032009.html
 これは政治決断が必要なケースである。不法滞在で東京入国管理局から強制退去処分を受けた埼玉県蕨市のフィリピン人一家が、家族そろって日本にとどまりたいと在留特別許可を求めている問題だ。
 埼玉県蕨市に暮らす会社員、カルデロン・アランさんと妻のサラさんは1990年代に他人名義の旅券で入国し、娘ののり子さんをもうけた。のり子さんは同市内の中学1年生で13歳。フィリピンに渡ったこともないし、日本語しか話せない。
 一家に対する強制退去処分は裁判で確定している。東京入管は(1)両親が自主的に出国するならのり子さんだけは在留を認める(2)自主的に出国しない場合は一家を強制送還する――と通告し、今週初め、まずアランさんを施設に収容した。
 入管当局はきょう13日を回答期限としているが、両親にとって13歳の娘を残した出国はつらい選択だ。このままだと母子も収容され、17日に送還される可能性がある。
 たしかに不法滞在者には厳格な対応が欠かせない。しかしこの一家の場合、両親は地域社会に溶け込んで平穏に暮らしてきた。のり子さんもすっかり日本人として育ち、級友に囲まれて学校生活を送っている。
 過去には中学生になった子どもを持つ家族には在留を認めた例もある。しかし法務省や入管当局は、一家に退去命令が出たのがのり子さんの中学入学前だから特別扱いはできないという。前例に固執した、あまりにもかたくなな姿勢ではないか。
 欧州諸国などでは、不法滞在でも平穏に過ごして子どもを育てている場合は柔軟に対応している。それだけに今回の問題には海外メディアも関心を示し、国連の人権理事会が調査を進めるなど国際社会も注目していることを忘れてはならない。
 不法滞在の取り締まりと例外との兼ね合いは難しいテーマだ。制度改革や運用の改善は今後の課題だが、今回はまず人道的な立場から一家の在留を許可すべきである。これを認めたからといって、入管行政の根本が揺らぐわけではないだろう。
 もう時間がない。ここは政治家の出番である。森英介法相、そして麻生太郎首相は一家が日本に残れるよう決断を下してほしい。

社説:フィリピン人一家 同情と法の運用は別問題(産経新聞/2009/03/13)

【主張】フィリピン人一家 同情と法の運用は別問題
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090313/trd0903130257001-n1.htm
 不法入国のため、国外への強制退去処分を受けた埼玉県蕨市のフィリピン人中学生、カルデロン・のり子さんと両親の一家3人の最終的ともいえる処分の期限が迫ってきている。
 法務省東京入国管理局は、両親が入国管理法違反で日本に不正に入国した以上、法律を曲げるわけにはいかないとして、一家の日本滞在期限を今月16日までと通告した。一家がこれを拒めば17日にも強制送還される。
 のり子さんの母は平成4年に、父は翌年にそれぞれ他人名義のパスポートを使って来日した。のり子さんは7年に生まれ、地元の小学校を経て今は中学1年生で、日本語しか話せない。
 日本人として育てられたのり子さんに衝撃が走ったのは18年7月、小学5年生の時だった。
 母親が買い物途中に警官の職務質問を受けて逮捕され、裁判でも執行猶予付きの有罪となった。一家は強制退去処分の取り消しを求める訴訟を起こしたが、裁判所はこれを認めず、昨年9月に最高裁で一家の退去処分が確定した。
 その後、一家は再三にわたり、在留の特別許可を東京入管に申請している。そのつど、同入管は、のり子さんが日本育ちであることなど、人道的な面を考慮して、申請のたびに1カ月程度の短期間の滞在許可を出してきた。

 異例の措置を取ってきたわけだが、法務省は13日までに両親が自主的に帰国する意思を示さなければ、17日に家族全員を強制送還すると通知した。その一方で、森英介法相は、のり子さんのみの在留を認め、両親はいったん帰国し、日本に1人で残ったのり子さんに会うために短期間の再入国許可を出すと表明するなど、最大限の配慮も見せている。
のり子さんは「3人一緒に日本に残りたい」と涙ながらに訴える。その気持ちは、痛いほど理解できる。同情もしたい。のり子さんには何の責任もない。
 しかし、両親は偽造旅券という悪質な手口で入国した。日本に不法入国する外国人は、年間約11万人いるといわれる。年々減少はしているが、日本は欧米に比べまだまだ、入国管理が緩やかだとする指摘もある。
 温情を優先するあまり、あしき前例をつくるのはまた問題だ。違法を見逃した場合、それがアリの一穴となり犯罪を呼び込むことにもなりかねない。
2009.3.13 02:57

社説:フィリピン家族 親子同居の道筋つくれ(東京新聞/2009/03/23)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009032302000070.html
 両親は帰国し、中学一年の娘だけ日本に残る…。不法滞在のフィリピン人家族の問題は、それで解決したわけではない。両親が帰国しても、日本でいずれ同居できる方策を国は模索すべきだ。
 確かにフィリピン人カルデロン・のり子さんの両親は、一九九二年から九三年にかけ、偽造旅券で入国した。二〇〇六年には母親の不法滞在が発覚し、執行猶予付きの有罪判決を受けた。強制退去の取り消し処分を求める訴訟を起こしたものの、昨年九月に最高裁で国外退去処分が確定した。

 しかし、のり子さんは日本生まれの日本育ち。埼玉県内の中学校に通う少女である。日本語しか話せない。フィリピンに行ったこともない。日本の社会にも、学校生活にもなじんでいる。
 法務省が十六日に、のり子さんに在留特別許可を出したのは、そうした事情に配慮したからだ。両親についても、原則的に五年間は再入国できないが、森英介法相は「退去後に子どもさんに会いたいのであれば、(一定期間後に)上陸特別許可を出す」と述べ、短期の再入国を認める方針だ。
 両親は来月十三日に帰国すると、既に入国管理局に伝えた。問題はそれからだ。のり子さんは親類とともに日本で生活し、学業を続けるが、親子に長く離れ離れの暮らしを続けさせてよいものだろうか。娘と会うため、両親にフィリピンと日本の間の往復をずっと繰り返せというのだろうか。
 両親が帰国しても、「一緒に日本で生活したい」という家族の願いをかなえるべく、国は継続的に力を尽くすべきである。両親はこれまでまじめに働き、長期間、日本社会にも受け入れられていたのだ。二万人もの地域の人々らから、一家の残留を求める署名があり、市議会でも同趣旨の意見書を採択した点にも留意してほしい。

 日本が批准した国連の「子どもの権利条約」では、意思に反して、児童が父母から分離されないことを明記している。いったん両親が帰国したら、違法状態は解消する。両親は法に従うのだ。やがて再び来日するだろう。
 その後も短期在留を繰り返すのは、家族の結び付きの点からも経済的にも、あまりに不自然だ。国際化時代にもそぐわない。両親に長期滞在を認め、いずれ「定住者」の在留資格を与える方策を国は真摯(しんし)に探るべきだ。晴れ晴れと日本で暮らす道筋をつくることを望む。それが人道であろう。

エッセイ

世界の子育て:カナダ~日本に住みたい、カナダに住みたい 中込恵子さん(毎日新聞/2009/05/07)

http://mainichi.jp/life/today/news/20090507org00m100015000c.html
 不法滞在で17年間日本に住んでいたフィリピン人、カルデロンさん一家が、在留許可を認められず、両親は今年の4月に帰国。中学校に通う13歳の長女のり子さんのみ在留が認められたニュースは、まだ皆さんの記憶に新しいと思う。
 私も外国に住んでいるし、うちにも13歳の子どもがいるので、親と離れて住む、のり子さんのことを思うと、何とも言えない気持ちになる。両親は日本の出入国管理法に違反したのだから同情はできないという意見もあるだろうが、「帰れ」と彼女の通う中学校の前でデモまで行う必要があったのだろうか。日本で生まれたことまで否定されてしまうのか……。埼玉県弁護士会が会長声明を出し、「親子を引き離している」と指摘し、「家族にも在留特別許可を出してほしい」と訴えたことは救われた思いだ。
 それぞれの国の事情があり、カナダは広いし人口が少ないから、と言ってしまえばそれまでだが、今回のことはカナダだったらきっと別の形で終結したに違いない。バンクーバーで30年間弁護士事務所を開いているネーザン・ガナパシさんにうかがうと、まず、のり子さんがカナダで生まれていたらカナダ人だし、両親に対しても、こちらの移民法にある”humanitarian and compassionate grounds”人道主義と思いやりのために、カナダに住むことが可能だったという。
 私はカナダに来て、日本に生まれたことが大変恵まれたことなのだと痛感している。世界のどこかに住みたいと思えば何らかの形でかなうからだ。私自身も日本での学歴、職歴を提出したら半年間でカナダの永住権が取れた。が、ここにはそれこそ、偽造パスポートで入国して来た人もたくさんいるし、戦争から命からがら逃れて来た人たちもいる。政治的、経済的な理由の難民もいる。カルデロンさんのフィリピンでの生活がどのようだったかはわからないが、国民の80%もしくはそれ以上が貧困の中で生活しているのだから、豊かな国へ……と夢を描くのは当然のことだ。
 昨日のCTVでアーリン・アミというフィリピン系2世のカナダ人女性プロデューサーが撮った”Say I do” というドキュメンタリーを見た。初めて明らかになった「メールオーダーブライド」の実態だ。年間3000人のカナダ人男性がフィリピンの女性と結婚しているという。その多くはウェブサイトで、希望の女性の写真をクリックしてメールオーダーで150米ドルを支払う結婚紹介を通して知り合う。ところで、フィリピンの女性はカナダでnanny(お手伝いさん)の仕事をしている人が多い。このビザはいずれ永住権を取得できるが、学歴の条件があるので該当しない人にはチャンスがない。そのため、女性たちはこのようなウェブに登録し、見たこともない男性からのリクエスト=プロポーズにより、カナダに来る。女性は貧困から脱出するために、自分の家族のためにやってくるのである。もちろん成功する結婚もあればそうでない場合もあり、リスクも伴う。が、もし非常に貧しい生活をしていたら、私たちもそのことを考えないとはだれが言えよう。
 今の子どもたちは豊かさの中で生きていて、物がありさえすれば幸せというわけではないが、何もないところから比べてみれば、それはやはり幸せだ。そして、このことは私たち大人にも言えるのではないだろうか。

中込恵子(なかごみ けいこ)さんのプロフィル
 東京都出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。筆記具メーカーや外資系化粧品会社勤務を経て、1989年カナダ移住。日本語系新聞社勤務後、フリーライターに。2001年よりウェブショップFromwestを設立し、子ども向け語学教材の輸出を開始。2002年よりカスタムメードのカナダ親子ステイ・アレンジ業務をはじめる。1995年&1996年生まれのボーイズのママ。
【関連リンク】
Say I do(英文)
http://www.redstorm.ca/sayido/synop1.htm
ネーザン・ガナパシ弁護士のサイト(英文)
http://www.ganapathico.com/
中込恵子さんのホームページ
http://www.fromwest.net

「カナダなら家族全員で住めた」と掲載するもカナダは「韓国人母娘を追放」(2009/05/11)

http://news.livedoor.com/article/detail/4146519/
 渡航先の日本に17年間の不法滞在をし、その間に娘として “のり子” さんを出産して3人家族となったカルデロン一家。日本国は人道的な配慮をしたとしても、娘ののり子さんだけを日本に住ませるようにするのが処置の限界とし、両親である夫妻はフィリピンへ帰国した。
このことについて、毎日新聞に「のり子さんがカナダで生まれていたらカナダ人だし、両親に対しても、こちらの移民法にある”humanitarian and compassionate grounds”人道主義と思いやりのために、カナダに住むことが可能だった」という、フリーライターの中込恵子さんの記事が掲載された。また、中込さん本人も「私自身も日本での学歴、職歴を提出したら半年間でカナダの永住権が取れた」と自身の経験を語っている。つまり、不法入国や不法滞在でも、または中込さんのように正規のルートでも、カナダは人道的なものを第一として、難民や移住したいと考えている人に対して処置をするということになる。
しかし、4月25日に掲載された韓国の連合ニュース(Yonhap News)によると、「韓国人女性が2000年に通常のビザでカナダに渡航し、その後娘を出産。2009年になり、8歳の娘とその母親をカナダから追放する判決に至った」とのこと。また、母は不法滞留者収監施設に収監。小学校に通う2年生の娘も登校を中断され、母と同じ不法滞留者収監施設に入ったという。
カナダの移民長官室によれば、「私たちは追放命令を取り消す力を持っていない。子どもにとって最善の判決がくだされるよう、移民・難民保護法による裁量権があるだけ」と語っており、たとえ日本で問題となっているカルデロン親子がカナダに住んでいたとしても、日本以上に厳しい結果になった可能性がある。
移民や難民に対して人道的な方法で対処するのは賛成だが、それらの人たちに「カナダなら大丈夫」と思わせてしまう記事は、やや危険な内容であることは否めない
2009年05月11日08時32分 / 提供:ガジェット通信

海外報道

DFA-to-help-Pinoy-family-facing-Japan-deportation


フィリピンのマニラで木曜日、外務省は日本で直面している比のカルデロン一家に対する強制送還を受け入れる準備があると述べました。声明は東京入国管理局が一家の娘、のり子さん(13歳)を残すか残さないかを決めなければ強制収容し国外退去処分にすると表明した後に出されました。
エステバン・コネホス・ジュニア・フィリピン外務省移民労働担当次官は、木曜日に声明の中で「日本国法令の適用に関連して同国で実施されている手続きに沿って、外務省および関連機関はカルデロン一家に対しフィリピン社会への再同化支援を含む人道的、そのほかの援助を行う用意がある。」と述べました。
伝えられるところによれば、6年間、日本の教育を受け日本語しか話せない子供を強制送還する事は「薄情である」と考えられており、入国管理局は、子供が既に中学生以上の場合には特別在留許可を不法滞在家族の子供に与える傾向があるとしています。
2006年以来、フィリピン人の家族は、一家で一緒に残れるように日本政府に働きかけてきましたが最高裁判所は去年の9月に請願を棄却しました。エステバン・コネホス・ジュニア・フィリピン外務省移民労働担当次官によると、フィリピンの外務省はカルデロン一家のケースを「密接にモニター」していると述べました。
また、「東京のフィリピン大使館も在留資格の問題を抱える家族に連絡しています。」と、彼は言いました。
日本入国管理局によると、1月現在、およそ11万3072人の不法な在留外国人がいます。
フィリピンの海外調査委員会は、2007年、202、557人のフィリピン人が日本に在留していることを示しましたが、そのうち何人が不法滞在者かについては言及しませんでした。
2007年に、約7,388人の外国人が特別在留許可を取得しており、2008年には3万9382人が強制送還されています。

「のり子が日本に帰化した暁には我々にも永住許可を与えてほしい」とカルデロン夫妻

【マニラ】
フィリピン--フィリピン人のカップル、アラン・カルデロンさんとサラ・カルデロンさんは15年間以上に渡って入国管理局からの目から逃れ続けてきました。夫妻は1993年に偽造パスポートを使用し日本に不法入国しました。
アランさん36歳、サラさん38歳の二人は日本の法律から永久に逃れられると考えていましたが、夫妻はついに身分がばれ入管に捕まりました。月曜日の夜、13歳になる娘を残してカルデロン夫妻は日本から強制送還されました。
アランさんとサラさんは、日本生まれの娘が学校で勉強を続けられるように永住許可を嘆願してきました。日本政府はのり子さんに対して人道的観点から滞在を許可し、両親に対しては自発的に帰国する事に同意しなければ、一家3人を強制送還すると、何週間も前から警告を出していました。
成田空港のインタビューで、夫妻は、「日本の親戚の下に預けた娘と共にまた暮らせるように日本に戻る事を望んでいると」答えました。アランさんとサラさんは戸籍に記載されているマニラに(Tondo)に戻りました。
夫妻は、観光ビザを取得できるように、(すなわち日本の政府が夫妻に再入国を許すまで)当面の最初の課題は仕事を見つける事だと話しています。
また、アランさんは、自分たちの名前が入管のブラックリストに含まれていなかったと言いました。
のり子さんは現在、彼らが住んでいた埼玉県にある中学校の二年生です。「私は悲しいのです・・・」と、のり子さんは以前、東京の北にある埼玉県の蕨市の彼らの自宅でレポーターに答えました。
「手作りのお母さんのお弁当が食べられないのはすごく寂しいです・・・」先週の月曜日に成田空港で記者のリポーター陣に囲まれながらインタビューに答えたと公共放送のNHKは報じました。

日本語しか話せないのり子さんは、日本人のビジネスマンと結婚したカルデロンの義理の姉妹にあたる親戚の下に預けられました。既に、のり子さんには在留特別許可を与えられ日本に滞在することが許されています。
アランさんは日本の警官が家に来て私たちを逮捕した際はとても驚いたと、その時の事をふり返ります。『ある日、3人の日本の警察官が家にやってきて、「逮捕する。オーバーステイについて尋問する。」と私達に告げました』と、アランさんはタガログ語で話しました。

彼はほとんど英語を話せませんが、日本語は流暢に話すことができます。アランさんは日本語が上手なだけではなく、外見も日本人に見えます。(横目で色白な肌、角刈りの髪にやぶのような眉毛)

彼はどのようにして入管にばれたかについては詳細を明らかにせず、同胞のフィリピン人による密告による可能性を否定しました。「だれも我々を密告しませんでした。日本当局の効果的な捜査の結果だと思います」と彼は言いました。

夫妻は1933年に日本にやってきて、最初はサラさんが親類の助けと共に様々な商品を販売しそして、アランさんは建設会社で働きました。「何故、のり子さんはタガログ語を話す事を学ばなかったのか」との質問に話が及ぶと、アランさんは、「教えようと試みたが娘は日本語を話すことを選択したのだ」と言いました。

「我々は我々の言語をのり子に教えようとしたが、彼女はそれのいずれも持っていないでしょう。」 「そして、のり子が家から外出すれば、彼女の友人と級友は皆、日本人です。」と、アランさんは説明しました。
アランさんとサラさんは、「娘が日本に帰化することが認められるかどうか確かなことは今は判らないが、我々はのり子が16歳か18歳になれば日本に戻って一緒に住むことになるだろうと思う」と言いました。
夫妻は、のり子さんが日本に帰化した場合、彼女が日本政府に対して、両親にも永住許可を与えてほしいと陳情してくれることを望んでいます。
このカルデロンケースは日本で大きな注目を集め報道されました。そして、2万人以上の人が一家3人の日本での在留を認めて欲しいと署名しました。また、このケースはアムネスティ・インタナショナルと国連人権委員会の注意を引き付けました。
(日本政府に対して質問書を提出しました)。しかし、移住事柄を担当する森英介法務大臣は、政府がこの家族を助けるために最善を尽くしたと言いました。
http://www.philstar.com/Article.aspx?articleId=457711&publicationSubCategoryId=202
ソース:The Philippine Star

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