表現の自由 > 米国の状況

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戦後の「表現の自由」に関する歴史

①マッカーシー時代に共産主義者の言論を規制したという苦い歴史の教訓から、表現の自由の活発な波や宣言が出されている。
学問的理論から市民運動に至るまで、善良で創造的な人の言論や思想を弾圧しようとした結果、その人達にキャリア、家族、プライバシー、安全の面に恐ろしい影響を及ぼしたため、憲法修正第1条はこれを乗り越えるためのものとして発達した。
②上記の経験から、「避けるべき悪とは、表現された政治的視点の内容に反対という理由で政府が思想を制限する事である。争われているのは心の領域なのだから、知的に説得すればよいのだ。そして一番危険なのは、周辺にいる無力な比較的声を持たない不満分子、その思想を誰も聞いたことがない、そういう人たちが、政府の力でつぶされてしまうことである」という教訓が広まった。真実はいつか勝つのだから、という信仰を基盤に「真実は開かれた状態で虚偽と戦うことによる全うされる」事が確認され、言論市場は論争の場になった。
③ニューヨーク・タイムズ対サリバン判決(1964)によって、連邦最高裁でニューヨーク・タイムズ社が勝利。米国では、集団に対する名誉毀損を禁止する法律は本質的は憲法違反であり、判決文には「個人に対する名誉毀損と集団に対する名誉毀損では、後者の方が違憲性が高い」と言及されていた。


米国における学説の地位

アメリカでは、法形成における学説の地位は高い。その現象は、アメリカ法の形成期にみられたが、19世紀中量から19世紀末までは、一時学説の地位は低下した。しかし20世紀に入ると、学説の重要性は増大し、今日では、イギリス法がjudge-made law(裁判官の創った法)であるとすればアメリカ法はprofessor-made law(大学教授の創った法)であるとよく言われるくらいである。このことは、一つには、連邦制のもとで50余の法域から出てくるおびただしい資料を整理研究することは実務家の手にあまるという事情により、またもう一つには、20世紀に入ってからいわゆるsociological jurisprudence(社会学的法学)の方法が学界のみならず実務界にも行きわたり、法の背景となっている社会的事実に眼が向けられるようになったことが、学問的分析が重視されるもとになったということによる。そしてこれらのことは、法学教育の改革によって生じた大学における法学研究の振興によって可能になったことであるとともに、大学における法学を刺激する要因ともなったのである。
 アメリカで学説の地位が高いと言うときに、それが大陸法系の諸国と若干意味合いを異にすると思われることを、附言しておきたい。アメリカの場合、法学者と実務家との結びつきは、より強い。学者は、ごく限られた例外を除き、大学の教授になる前に、少なくとも何年かの実務の経験をもっている。学界に入ってからも、実務家との関係はより密接である。実務家の側でも、自ら学者的な仕事をし、あるいはそれに協力する者が多い。こうして、「学説」として参照される文献の中に、学者と実務家との協力の所産が数多く見出され、さらに、実務かが、学問的著作を公けにすることも珍しくなく、しかもその中には、法哲学・法社会学・法史学的な研究も含まれるということになるのである(田中 英夫「英米法総論 上」p.48-49)

ただその重んじられ方は、学者の理論が重んじられるというよりも、厖大な判例を整理して一つの方向を打ち出したとか、法をその背景にある社会学的事実との関連において研究したとかという、実証的研究の成果が重んじられるという色彩が強い。アメリカの学者の活動が、ある分野についての大部の数巻にわたる著述か、特定の問題についてのモノグラフないし雑誌論文の形で発表されるのが例であることは、そのことを反映している」(田中 英夫「英米法総論 下」p.511)

参考サイト

創作物規制の参考


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