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ケルト神話


ヨーロッパ全土に暮らしていたケルトの民については、いまだに謎が多い。
各地での出土品や、ローマ人のカエサルをはじめ、さまざまな文書から断片をみることができる。
(カエサルは彼らを"ガリア人"と呼び、ガリア人が全てケルト人という訳ではなかったが、
「ガリア戦記」は大陸に渡ったケルト人の性質を知る重要な文献となっている。)
ケルトの民自体は文字を使わず、口から耳へ伝え継いでいくため、
彼らの手による彼らの知識を記した書物は残っていない。


ケルト民族の中で王に匹敵するほどの支配力を持っていたのが、神官ドゥルイド達であった。
ドゥルイドとは「オークの知恵」の意味とも言われ、オークの木を崇拝し、生け贄をささげ、
宿り木を神聖なもとのして、儀式に使っていた。
彼らの中で特に重要だったのは詩人の能力であり、
口から出る言葉には魔力が宿るものとして重要視されていた彼らの文化にとって、
詩を操る神官達は時に王さえも逆らえない存在だった。
かれらが説いた最も大きなな教義は「魂は不滅であり、死んでも生まれ変わる事ができる」ということであった。
彼らは、オガム文字(西暦4世紀頃〜)を使い、神官(祭司)として予言を行い、
裁判官でもあり詩人であり、膨大な量の知識を持っていた。
カエサルが「修行のために20年も学校へ残る」と書き残している。

ヨーロッパ全土に渡るケルト人と、島に渡ったケルト人がいたが、
多くの特有の伝承がキリスト教の布教の影響などで融合していったり形を変えていった。
そんな中、アイルランドへキリスト教の布教に来たパトリックが、緩慢な政策をとったため、
島のケルトの伝承は比較的守られ、島に先祖代々口承で伝わってきたものを
修道僧たちが書き留めたものが残っている。
700年頃はじめて文字で記されたのが「クーリーの牛争い」(現存はしない)で、
次に11世紀の修道士たちが赤い牛の皮にあらためて書いたのものが「赤牛の書」として残っている。
また次々とキリスト教の筆者僧たちが、キリスト教伝授のために書いた本の中にケルトの伝承も書き記していった。
(彼らの布教の方法は、ケルトの伝承を、うまくキリスト教にあてはめていく方法だった。)

それらに記されていた、アイルランドの民特有の神々の話がケルト神話である。
つまりケルト神話とはアイルランドに伝わってきた神話と言える。

ギリシャ神話と比較される事が多いが、
自然崇拝で八百万の神の概念、トップが女神である部分が、日本と似ている。


近年では、遺伝子的な研究の結果、大陸のケルトと島のケルトでは混血がみられないなど、
批判を受けながらも、これまでの説を覆す新たな学説が展開されている。






















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最終更新:2014年10月13日 23:30