重苦しい空気が漂う薄暗い一室。鬼気迫る表情の少女が、古めかしい本棚に立ち並ぶ書物の背表紙を見つめていた。
豪邸と表現しても差し支えないような広大な敷地を有する譜久村邸。その地下には、秘密の書庫があった。家長である聖太郎を筆頭にごく一部の人物しか存在を把握していない、そこは譜久村家のトップシークレットに属する隠し部屋だったのだが。
一体どこからその情報を掴んだのか、家人の目をかすめて秘密の鍵を入手した少女が、ついに忌まわしき開かずの間の封印を解いたのだった。
不意に少女の手が伸び、一冊の書物を抜き出す。
「ふふふふふふふふ、やっと見つけた。この本の力を借りれば、みずきの願いもきっと……」
表情を一変させ、大人びた妖艶な笑みを浮かべる少女。それに呼応するかのように、部屋の隅にわだかまる闇が一層の暗さを増し、少女の姿をゆっくりと包み込んでいった。
○
麗かな小春日和の昼下がり。展望台の芝生に寝転んで、生田はぼんやりと流れる雲を眺めていた。
「珍しいじゃない、生田が真っ昼間からこんなところでゴロゴロしてるなんて」
美しい女性に真上からいきなり顔を覗きこまれて、生田が慌てて上半身を起こす。
「み、道重さん!」
「別に咎めてるわけじゃないんだから、そんな驚かなくてもいいのに」
楽しげに微笑んださゆみが、そして意味ありげな視線を投げかけた。
「こんな気持ちのいいところで寝っ転がっていたのに、全然落ち着きのないイライラしたような様子だったけど、なんかあった?」
「……別に大したことは何にもないですよ」
全てを見通すようなさゆみの瞳に耐えられず、平静を装って顔を背ける生田。こんな抵抗をしてもどうせ無駄だろうとわかってはいたが。
「ふーん。フクちゃんに告白されても大したことないと言えるなんて、すごいね生田は」
ほらやっぱり。全てをわかっていながらその上でわざとらしく訊ねてくるのだから、本当に意地の悪い人だ。
それは昨日の夕方のこと。ちょうどこの展望台にみずきから呼び出された生田は、突然みずきより胸の内の想いをぶつけられたのだった。
「それでどうしたの?」
「どうしたのって言われても……。みずきがそんなこと想ってるなんてこれまで全然気づかんかったから……」
言葉を濁す生田に、さゆみが呆れた様子でため息をつく。
「これまでフクちゃんがあんなわかりやすい好き好きビーム出しまくってたのに、それにまったく気づかないなんて、どれだけ鈍感なのよあんたは。優しくて不器用な朴念仁って、ある意味一番罪作りな存在よね。どうせあんたのことだから、いきなり告白されてテンパっちゃったんでしょ」
「テンパったというか、どう答えていいかわからんかったし……。頭に浮かんだことをそのまま……」
生田の脳裏にその時の情景が鮮明に思い起こされて、語尾も途切れがちになる。
「フクちゃんに好かれてるなんてまったく気づかなかったし、これまでフクちゃんのことを恋愛対象として考えたこともなかったし、これからも恋愛対象として見ることができるとも思えないって、バカ正直に返したわけね。相手のことを振るにしても、もう少しやり様ってものがあるでしょうが。意識的にじゃないにしろ、そんな風に周りの人間を傷つけて泣かせてばかりじゃ、いつか手痛いしっぺ返しを食らっても知らないわよ」
手厳しいさゆみの切り捨てに、何も言い返せずただ俯いて唇を噛む。
その時だった。
抜けるような青空が俄かに掻き曇り、冷たい暗雲に覆われていく。それは明らかに自然ならざる力が作用した、不吉さを感じさせるものであった。
「ほうら、言ってるそばから報いが近づいてきた」
眉根を寄せて空を見上げるさゆみ。生田もまた異様な雰囲気を感じ取り、急ぎ立ち上がる。
「さゆみの手助けは必要?」
「大丈夫です!」
さゆみの問いかけに、気負いのある口調で即答する生田。その真っ直ぐで純粋な瞳を確認して軽く頷いたさゆみが、あっさりと背を向けた。
「あっそう。じゃあ自分のまいた種はちゃんと自分の手で刈り取りなさいね」
飄々とした足取りで歩き去るさゆみの背中を黙って見守る生田。視界からさゆみの姿が消えるのを待っていたかのように、真っ黒な空から大粒の雨が降り出してきた。
雨に濡れるのも構わず立ち尽くす生田の身体に、突如強烈な悪寒が走る。弾かれるように振り返ると、そこには薄暗い瞳で生田を見つめる少女の姿があった。
冷たい雨が降りしきる中、まるで大きな傘の魔法で守られているかのように少女の身体はまったく雨に濡れていなかった。
「みずき……」
生田の呟きに、少女が謎めいた笑みを浮かべる。
「みずきね、ずっと考えてたんだ。どうしてみずきの気持ちを受け入れてもらえなかったんだろう、みずきの何が悪かったんだろうってね」
口調も声音も普段のみずきのものとまったく変わりはなかったが、熱に浮かされたような怪しい輝きを放つその瞳が、はっきりと尋常ならざる様子を示していた。
「でもね、ようやくわかったの。あなたにはすでに心を奪われた相手がいたんだね。だから、みずきがそこに入り込む余地なんてなかったんだ」
「そんな相手なんて……」
思わぬ指摘を受け反射的に否定しようとする生田の言葉を、みずきがあっさりと遮る。
「誤魔化さなくてもわかってるから。あなたが恋焦がれてる相手、それは……」
稲光とともに響き渡る雷鳴。そして、決定的な名前がみずきの口から零れ落ちた。
「道重さゆみさん」
違う! 道重さんに恋心なんて一切抱いたこともないしそんなのはみずきの勘違いでしかない!!
みずきの言葉を強く跳ね除けようとするが、まるで喉が硬直したように固まり、まったく声にならない。
そして、この貫かれたような胸の痛みはなんなんだ。今までずっと気づかなかった、いや胸の奥に想いを閉じ込めてきただけで、まさか自分は本当に道重さんのことが……。
明らかに動揺が隠せない生田の姿に、フフフと軽く笑ったみずきが、歌うように言葉を紡ぎだす。
「みずきね、とっても素敵な場所を見つけたんだよ。そこは憂いとも哀しみとも無縁な幸せに満ち溢れた空間。そこでなら誰にも邪魔されることはない、他には誰もいない素晴らしい世界。だからね、一緒に行こう? そこで2人、永遠の刻を生きていこ?道重さんのことも、ゆっくり時間をかけてあなたの心から追い出して全部忘れさせてあげるから」
呼応するようにみずきの黒髪が逆立ち、鞭のようなしなりとともに急激な伸長を見せて生田へと迫った。反射的に身構える生田の右腕に黒髪が絡みつき、一気にみずきの元に引っ張りこもうとする。それは怪力の生田を以てしても、気合を入れて踏んばらないとたまらず引っこ抜かれてしまいそうなものすごいパワーだった。
やっぱりそうだ。目の前にいるのはみずきであってみずきではない。まずはとにかくみずきを操っている存在をあぶりださないと。
みずきと壮絶な綱引きを演じながら、生田が左手でポケットから小さなビー玉を取り出す。そして素早い詠唱とともに親指でビー玉を弾いた。
みずきの頭上に飛んだビー玉は、そこで粉々に弾けて光の粒となり、みずきへと降り注ぐ。光に包まれたみずきの背中に、まるで覆いかぶさるように憑りつく人型の影。魔法の効果により、生田の目にもようやくそれが認識できるようになった。
『我が存在に気づくか』
無機質な、この世のものとは思えない声が影から漏れる。
「お前がみずきに憑りついてる悪魔か! 早くみずきを解放しろ!!」
『憑りつく者に非ず、ただこの女の願いを叶えんと力を分け与えしのみ』
「そんな屁理屈が通用するか! これから力尽くでお前をみずきから引きはがしてやる!!」
生田の剣幕に、顔のパーツもわからないはずの影がニヤリと笑ったように思えた。
『では教えん。我はすでにこの女と深く融合せし者なり。力尽くで引きはがす方策の能う段階に非ず。而して我が本体はこの女の心臓にあり。我を滅ぼす策はただ一つ。汝の手によりこの女の心臓を貫け。さすれば我もまた必ずやこの世界より消滅せん』
悪魔を滅ぼすには、みずきの心臓を貫くしかない。ただもし本当に実行してしまえば、たとえ悪魔を消滅させることができたとしても、みずきもまた無事でいられないことは言うまでもない。それが自明であるからこそ、悪魔はあえて本体の棲家を生田に伝えたのだった。
心の隙間に入り込んで相手を支配下に置くのが悪魔の手口であり、今回も生田に絶望を与えることによって心のウロを作りだし、みずきに続いて生田をも取り込もうというのが悪魔の魂胆であった。
いくら悪魔を滅ぼすためとはいえ、みずきの心臓を貫くだなんて、そんなこと……。
悪魔の言葉に衝撃を受けた生田が、全身の力を抜きガックリと肩を落とす。抵抗をやめたことにより、みずきの黒髪で一気に引き寄せられていくも為すがままだ。
「ようやくわかってくれたんだ。さあ、みずきと一緒に2人だけの世界へ旅立とう?」
抑えきれない笑顔とともに大きく両手を広げ、生田を受け止めようとするみずき。生田の身体がみずきの胸に収まる、その直前だった。
「みずき、ごめん!!」
顔を上げ、力強い瞳でみずきのことを見据える生田。その左手には、いつ創り出したのか魔法の小刀が握られていた。
次の瞬間、生田の手元に響く鈍い感触。魔法の小刀が、あやまたずにみずきの心臓を貫いた。
『まことに成し遂げるとは……読み違えたかアアアアァァァァァ…………!!!!』
断末魔をあげながら塵となって消滅する悪魔。それとともに、驚愕の表情のまま硬直していたみずきが、生田に倒れ掛かってくる。
チャンスはこの一瞬!!
間髪入れずに小刀を引き抜いた生田が、右手をみずきの胸の傷口に押し当て、全身全霊を注いで呪文を唱える。
この世には確かに回復魔法というものも存在するが、それはTVゲームのように一瞬でHPを全快できるような単純なものではない。まして心臓を一突きなどという生死に関わる容態では、それこそ回復を専門に長年研鑽を重ねてきた練達の魔道士でもなければ魔法の力を以てしてもどうにも手の施しようがない場合がほとんどであった。
集中しきった生田の額に、一瞬の内に玉のような汗が浮かぶ。その右手から青白い光が広がり、みずきの身体全体を覆う。すると、まるでビデオの巻き戻しのように、みずきの胸の傷口が瞬く間に塞がっていった。
それはまさに奇跡的な回復だった。程なくして、傷痕が消えたことを確認し右手を離す生田。そしてみずきの身体を強く抱きしめた。
みずきの意識は未だ戻らないままだが、その胸の鼓動はしっかりと感じられる。魔法が無事効力を発揮したことにホッと息をつく生田。そのままみずきの温もりを感じつつ、そっと目を閉じた。
どれくらいその状態が続いただろう。
「なかなかやるじゃん生田も」
すぐ側から届けられる聞きなれた声。声のする方に顔を向けた生田の目が、柔らかく微笑むさゆみの姿を捉えていた。
「本当にフクちゃんの心臓を貫いた時にはさすがのさゆみもちょっと驚いたけど、あんたがそんな高度な魔法を使えるなんて予想外だったよ」
生田の使用した魔法。それは、「触れた相手の時間を戻す魔法」であった。この魔法によって、みずきの身体を小刀で貫かれる前の状態まで戻したのだった。
効果があるのはあくまで触れた相手のみであるため、消滅した悪魔まで一緒に元通りになってしまうという心配はない。貫かれたという前提からしてなくなるため、もちろん傷痕が残るような心配も皆無だ。
もしこの魔法によって、何日間、何年間と時を戻すことができるようになれば、それこそ歴史を変えられるほどの無限の可能性を持つとんでもない魔法となりえるのだが、今の生田にできるのは、自らの持つほぼ全ての魔力を費やしてどうにか対象の時間を20秒程度戻すことが精一杯だった。
そんな風にとにかく使い勝手が難しい魔法ではあるのだが、今回に限ってはどんな回復魔法よりも最適な効果を発揮できたというわけだ。
「これでも……ちゃんと修行してますから」
照れ臭そうに微笑んだ生田が、さゆみの言葉で一気に緊張がほどけたのか、抱きしめたみずきもろとも芝生の上に倒れ込み、そのまま気を失った。
魔力のほぼ全てを使いきっての救出劇だったのだから、意識を保てなくなるのも無理はない。みずきともども、しばらくゆっくり休めば身体の方は元通り回復するだろう。
でも……。
「これですべてが一件落着、ハッピーエンドでめでたしめでたし。……ってわけには、いかないよねぇやっぱり」
いつしか黒雲も去り、抜けるような青さを取り戻した空を見上げながら、さゆみは小さく独りごちたのだった。
鮮やかに夜空を彩る満天の星々。そんな壮麗な景色にまったく目をくれることもなく、展望台のベンチに腰かけた生田は、背中を丸めて俯きジッと地面を見つめていた。
「行っちゃったね、フクちゃん」
「……はい」
前触れもなく現れた神出鬼没のさゆみがフワリと隣に座っても微動だにせず、生田が小さく返事をする。
「まあ仕方ないよね。不幸中の幸いで身体に傷痕はつかずに済んだけど、一刻でも悪魔に支配されたという精神的ダメージはどうしたって残るものだし」
体調を崩したため、その療養としてM13地区から遠く離れた山間の避暑地にある譜久村家の別邸に移り住むことにした。
……というのが、みずきがこの地を離れる表向きの名目であった。
「それ以上に、結果的に大ごとにならずに事が収まったとはいえ、失恋を受け入れることができず禁断の魔道書に手を出して悪魔に支配される、なんてことをしでかしてる時点で完全に一線を踏み越えちゃってるからねぇ。譜久村家で密かに悪魔召喚の魔道書を所持していたなんて、もし明るみに出たらそれだけで大スキャンダルだし、切れ者の聖太郎が早々に手を打ってフクちゃんをこの地区から遠ざけたのも、さもありなんって感じかな」
世間話のように気軽に語るさゆみの言葉に相槌を打つこともなく、生田は終始黙りこくったまま唇を噛んでいた。
「後悔してるの?」
一瞬の沈黙の後、軽い口調はそのままにさゆみが問いかける。そこでようやく、生田が重い口を開いた。
「自分がもっとうまく悪魔を撃退できていればみずきは……」
「そうだね。わかってるようだけど、あの時のベストはフクちゃんを説得することだった。フクちゃんの目を覚まさせて、自分自身の意志で絡みついた悪魔を身体から引き離させる。その上で悪魔を滅ぼせば、フクちゃんに残る精神的なダメージは最小限で済んで、そこから先の未来も少しは変わってたかもしれないね」
何かに耐えるようにギュッと握りしめた生田の拳は、血の気を失って青白く変色していた。
「確かにベストの選択はそうだったろうけどさ……」
叱りつけるような厳しい声音。
「生田にそんなことできるわけないじゃん」
思わぬ一言にハッとして顔を上げ、初めてさゆみと視線を合わせる生田。そんな様子を見て、さゆみが苦笑とともに表情を緩める。
「あの時のフクちゃんは、失恋のショックで悪魔に手を借りてもいいと一線を越える無茶をするくらい思い詰めてたのよ。そんな相手に、振った当人である朴念仁のあんたがどんな言葉でどうやって説得できるというの。自分の手に負えないベストな選択は、結局ベストでも何でもないただの砂上の楼閣。それができなかったからといくら後悔したってしょうがないでしょ。まあ結果的にフクちゃんがこの地を去ることになっちゃったから後悔するなとは言わないけどさ、生田のやったことはあの時あんたができる範囲内での最良の選択だったってことを、せめて自分自身で認めてあげな」
気持ちのこもったさゆみの言葉に、生田の頭がまた垂れ下がる。
「はい……ありがとうございます…………」
そして生田の双眸から、抑えきれぬ涙が流れ落ちた。
「後悔して泣くのも一つの人生経験。今回だけ特別、さゆみが肩を貸してあげるから感謝なさい」
生田の頭を片手で引き寄せ、そのまま自らの肩に顔をうずめさせると、ついに堪えきれなくなった生田が、大きく泣き崩れた。
「どんなに手を伸ばしても、どんなに努力しても永遠に掴み取ることができないもの。それは成長してどれだけできることが増えたとしても絶対なくなることはないし、どんな選択をしても後悔から解放されることはないのが人生。そのことを理解した上でどんな道を選びとるのか、それが一番重要なことだからさ。まあ生田もまだ若いんだし、後悔を積み重ねながらいっぱい考えな」
止まらない嗚咽とともにさゆみの忠告に耳を傾けながら、生田は思う。
『どんなに手を伸ばしても、どんなに努力しても永遠に手が届かないもの』自分にとって、道重さんの存在こそがまさにそのものなのかもしれない。そのことに気づいた上で、自分はどんな道を選びとるべきなのか。どんな選択をしても、後悔から解放されることがないというのなら……
そして生田は、さゆみに対する密かな想いを心の奥底へとしまい込み、そっと鍵をかけたのだった。
……………
「道重さん? どうかされましたか??」
「……ん? なんで?」
「あ、いや、道重さんが珍しく心ここにあらずでボーっとしてる様子でしたので、気になって声を掛けてみたんですけど」
「別にちょっと考え事してただけだから、そんなに気にしなくてもいいよ」
どうやら気づかぬうちに、しばらく昔の思い出に浸ってしまっていたようだ。春菜の目敏さに内心苦笑しつつ、いつもと変わらぬ口調でさゆみが答える。
さゆみの記憶を過去へといざなったのは、聖が持参した一枚の絵はがきだった。
「とっても久しぶりに、みずき伯母様からお便りを頂いたんだ」
「へぇ。聖ちゃんから伯母さんの話を聞くのって初めてかも。ていうか伯母さんの名前って聖ちゃんとおんなじなの?」
「うん! 伯母様は平仮名でそのまま『みずき』って書くから、まったく一緒じゃないんだけどね。聖の名前って、聖太郎お爺様から漢字1字と、そして伯母様から読みを頂いて名付けられたんだよ」
どことなく自慢げに豊満な胸を張る聖。初耳の話に、みんな興味深げに絵はがきを覗き込みながら聖の言葉に聞き入る。
「伯母様は今、うちの別荘がある山間の避暑地に住んでいてね。小さい頃はたまに家族旅行で遊びに行ったりもしてたんだけど、ここ数年ずっとご無沙汰だったから、久々のお便りで嬉しくて」
「譜久村さんの伯母様なら、とっても綺麗な方なんでしょうね」
「うん、落ち着いた雰囲気の美しい大人の女性って感じで、聖の憧れの人。それにね、伯母様は知る人ぞ知る有名な画家として活躍してるんだよ。このはがきに描かれてる絵も、伯母様の作品なんだ」
「それでフクちゃんは今元気にしてるって?」
「えっ、聖ですか?」
さゆみからの突然の問いかけに目を丸くする聖。それを見たさゆみが、失敗したとばかり苦笑しながら訂正する。
「ああごめんごめん、今聞いたのはふくちゃんのことじゃなくて伯母さんが元気かってこと。つい懐かしさのあまり、昔の呼び方で呼んじゃったから紛らわしいことをしたね」
「あ、はい、お便りにはとても元気だと書かれていました。それより道重さんは伯母様のことご存じなんですか?」
「うん、まあね。でも元気そうなら良かった。きっと生田もその話を聞けば喜ぶだろうね」
「喜ぶって、えりがですか??」
続いて素っ頓狂な声を上げたのは、衣梨奈だった。
「あーもう紛らわしいなホントに。今のはあんたのことじゃなくて、あんたのパパのこと」
「あーね。……ってなんでパパが?」
「そういえば局長は若い頃この街に住んでたことがあるって、前に魔法楽団のお爺さんが言ってたような」
里保の呟きに、聖も頷きながら続く。
「みずき伯母様も子供の頃はここに住んでたって話だから、2人が知り合いでも全然おかしくないってことだよね」
「譜久村さんの伯母様の話題の最中に、道重さんがわざわざ生田さんのお父様の話を出してくるってことは、もしかしてお二人は昔ただならぬ関係だったとかあったりしますか?」
さすがは情報屋というべきか、それともただの出歯亀根性か、何かを感じ取った春菜が好奇心を抑えきれない様子で訊ねる。
「さあね。あったとしてもよくある青春の1ページって程度のものかな。もし気になるんなら、生田でもふくちゃんでも本人に直接確認してみたらいいんじゃない?まあ素直に教えてくれるかどうかはさゆみも保障しないけど」
気のない風でもありながら思わせぶりにも聞こえるさゆみの返答に、恋バナに敏感な年頃の一同それぞれが、複雑な心境の入り混じったざわめきをみせた。
フクちゃんも生田も、あの時のことはどのように胸の内に収めてるのかねぇ。もう何十年も前の話だし、懐かしい思い出としてうまく昇華できていればいいけど。
ふとそんなことを思いながら、さゆみが送られてきた絵はがきに視線を落とす。
そこに描かれていたのは、はにかんだ笑顔の可憐な少女と、どこまでも真っ直ぐな瞳が特徴的な少年。そして、少し離れたところから2人のことを暖かく見守る美しい女性の姿だった。
(おしまい)
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