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見知らぬベッドの上で、聖は目を覚ました。
見知らぬ部屋。聖の部屋じゃない。
すぐに状況を理解した。
さくらに触れられ、眠りに落ち、ついさっきまで夢の中でつんくに会っていた。
ここは多分、つんくの家なのだろう。
理解出来たのに、不安になった。
決して汚れているわけでも、おかしなわけでもない部屋だけれど
自分の部屋じゃない。
日常とは違う部屋に、足を踏み入れているのだ。
窓の無い部屋で今の時間は分からないけれど、多分夜なのだろう。とても静か。
両親の顔が思い浮かぶ。
はじめて親に無断で外泊してしまった。
さゆみの家にいて、流れで泊まることはよくあった。
だけどその時は都度連絡をいれていた。
多分両親は、今日もさゆみの家に泊まっていると思っているだろう。
夏休みももう終わりのこの時期にみんなで遊んだあとだし、台風も迫っていたし。
だけど聖は、さゆみの家を出てしまった。
さゆみを信じることが出来ず、逃げるようにさゆみの家を出て、無断で外泊してしまったのだ。
両親に申し訳なく、さゆみや衣梨奈たちに申し訳なかった。
つんくと話して、もうさゆみ達への懐疑の気持ちは微塵も無い。
だからこそ疑ってしまった自分が情けなく、恥ずかしく、嫌でたまらない。
さゆみや衣梨奈達に会いたいと思った。
今の気持ちも、悩みも、疑ってしまったことも全部話して謝りたい。
そして『魔法使いになる』ということについて共に考えて貰いたかった。
自分勝手で我がまま。そんな自分が嫌い。
自己嫌悪が膨らんでいく。
不安は膨らみ、寂しくなって隣を見ると、今正に目を開けた香音がゆっくりと身体を起こしていた。
途端に心が落ち着く。救われた気持ちになる。
自分はなんて現金なんだと思う。
「おはよ、聖ちゃん」
香音が眠たげに、遠慮がちに笑った。
「おはよう、香音ちゃん」
聖も少しだけ笑う。
不思議な感じ。
香音は一頻り辺りを見回し改めて苦笑した。
「どこだろうね、ここ」
「わかんない。つんくさんのお家かな?」
「はぁ。本当に分かんないことが多すぎるわ」
二人並んでベッドに腰掛け、暫くのあいだぼんやりと壁を見ていた。
いくつも時計が掛かっていて、それが全部違う時間を指している。
普通の部屋かと思ったけれど、変な部屋。
分からないことが多すぎる。
もうずっと、そうだった。
魔法のことを知るまで、衣梨奈たちの秘密に触れるまで
自分はもう随分大人になって、大抵のことは知っているって思っていたのに。
魔法に関わる人はみんな、遥か向こうの知識の中で会話をして
聖たちを置き去りにしていく。
追い縋れば追い縋るほど何も分からなくなって、息が切れて胸が苦しくなる。
ちょうど大人の後を必死で付いていく子供のように
その歩幅には大きな差があるから、走れば走るほど離されていくのだ。
つんくは、そんな聖たちに何かを教えてくれる人だと思った。
敵意も好意もなく、ただ淡々と教えてくれる人。そんな印象を持った。
でも夢の中のお話は途中で終わり、つんくは居なくなってしまった。
どうすれば話を再開して貰えるかも分からない。
一番知りたいことは、「魔法使い」がどういうものなのか。
さくらにも、つんくにも、先送りにされてしまった。
部屋にはドアが一つあった。
だけどそこから出て行こうという気にはならなかった。
多分ここはつんくの家だし、待っていればいずれこの部屋に来てくれるはずだから。
「ね、聖ちゃん」
香音が、壁に掛けられた時計の秒針を目で追いながらポツリと言った。
「うん?」
「あのさ、こんなこと言ったら怒るかもしれないけど」
そこで一度香音が口籠る。
聖には何を言われても怒る理由なんてなかった。
だって今隣に香音が居てくれることに、どれだけ救われているか分からない。
「うちさ、ぶっちゃけ別に魔法使いになりたい、わけじゃないんだよね」
「そうだよね」
聖は小さく微笑んだ。
なんとなく、気付いていた。
香音にはそんな望みは無いと。勿論、みんなが魔法を使えることを羨んだり、憧れたりはあったと思う。
会話に参加出来ないことを、聖と同じように寂しく思ったことも少しはあっただろう。
だけど香音は、それでもちゃんと自分に、今の鈴木香音に自信が持てているのだ。
魔法が使えない自分だから出来ること、それを分かっているという気がする。
いったいどこが違うんだろう。
聖と香音は同級生で、友達同士で大の仲良しで、そして同じ因子を持った魔法が使えない女の子なのに。
「でもね、あの、無責任に言うんじゃないんだよ。聞いてくれる?」
「うん、聞くよ?」
遠慮がちに言う香音が不思議だった。
聖よりずっと強い心を持った女の子なのに、少しだけ自信が無さそう。
それがなんだか可笑しかった。
「あたしは、聖ちゃんの意思に従う」
「え?」
「聖ちゃんが魔法使いになるなら、一緒になる。ならないならあたしもならない」
それは、昨夜さゆみの家を出る時にこっそりと告げられた言葉。
その時も今も、言葉の意味は分かるのにうまく飲み込めなかった。
香音の為に、それでいいはずがない。
「責任を押し付けるつもりなんて無いよ。どういう結果になったって勿論恨んだりしない」
「どうして?」
純粋な疑問だった。
それしか言葉が出てこない。
「聖ちゃんを一人にはしたくない。勝手だと思うかもしれないけどさ」
聖は大きく首を左右に振った。
「なんていうかな。
うちらさ、親友じゃん?それに物凄く珍しい因子ってのを二人とも持ってるなんてさ、運命みたいなもんじゃん。
だからさ、いや違うな。あー、なんて言ったらいいのかな。とにかく、決めたんだよ。
聖ちゃんを一人にしないって。いろいろ分かんなくて、不安でさ。でも二人ならそれも半分になるじゃん?」
なんと答えればいいか分からなかった。
ただ言いよどみながら言葉を紡ぐ香音の表情からは、強い想いが感じ取れる。
だから、嬉しかった。
「これはね、これがあたしの意思だから。
勝手に思ってることだから。
だから一緒に考えよ?つんくさんにもう一回ちゃんと話を聞いてさ、今度は道重さんとかえりちゃんたちにもちゃんと相談して」
聖と香音の考えは違った。
だけど、気持ちはどこかで通じている。そう思えた。
少しだけ瞼の奥が熱くなる。嬉しいから聖は、「うん」と肯き微笑んだ。
本当は肯くべきじゃない。
香音を聖の感情に巻き込んではいけないかもしれない。
だけどやっぱり嬉しかった。一緒に居られる。一緒に居てくれる。一緒に考えてくれる。
甘えてしまっても仕方が無い。だってそれだけ香音の背中が大きく見えたから。
「ありがと」
聖は香音の肩に頭をもたせかけ、小さく呟いた。
香音が少し照れたように、頭を押し返し頬を掻く。
二人は顔を見合わせて笑った。
「つんくさんは起きてから改めてって言ったけどさ、いつになるんだろうね?」
「んー、本当になんにも分かんないね」
「ね、聖ちゃんはさ」
「うん?」
「もし魔法が使えるようになったら、どんな魔法が使いたいって思うの?」
聖は香音の言葉を音楽のように頭の中に流し込み、考えた。
ずっと、それを考えていた。
それが多分一番大事なのだと思う。何をしたいかということ。
魔法のことを殆ど知らない聖にはリアルなイメージは出来ない。
衣梨奈達の魔法を見たことはある。風を起こしたり、氷を出したり、紅茶を美味しく淹れたり。
だけど多分自分がしたいと思っていることは、そんなに具体的なことじゃない。
「あのね、すごい漠然としてるんだけど」
「うん。そりゃうちら魔法のこと殆ど知らないし、今はそれでいいんじゃない?でも、多分それでも大事なことなんだよ」
香音の眼差しに肯く。
不思議な程、二人の考えや理解が同調している。そのことが嬉しい。
「みんなを笑顔にする魔法…とかあったらなって」
香音は一拍を置いてから優しく笑った。
「こないだみたいにみんなが困ってた時にね、助けてあげられるような魔法とかさ。
道重さんとかえりぽんとか里保ちゃんとか、はるなんとかどぅーとか優樹ちゃんとか亜佑美ちゃんとか
みんなが元気が無いときにちょっとだけ元気にしてあげられたら、聖それだけで嬉しいんだけどな」
「うん」
素直な気持ちだった。
もし自分が魔法使いなら、なんでも出来るならば。
だけどふと引っかかる。
ほんとうにそれだけでいいのだろうか。
違う。
あと少しだけ、一つだけ使いたい魔法がある。
贅沢は言わない。
でもやっぱり、贅沢な魔法だろうか。
衣梨奈に、少しだけ聖のことを好きになって貰いたい。
そんな魔法があればなって、心のどこかで思ってる。
この世に魔法があるのなら、魔法の力を借りたいくらい
衣梨奈のことが好き。
それはきっと、魔法でもない限り出口の見つからない気持ち。
魔法は確かに存在して、魔法使いも居る。
だけどなんとなく、そんな魔法は無いんだろうと思う。
だから胸が苦しくなった。
多分この気持ちが良くも悪くも今の聖の心を導いているのだと、それだけは分かる。
香音は聖の言葉が続かないことを気にせず二、三肯いてみせた。
聖の心を知ってか知らずか。
たぶん香音は知っているんだろう。
だからこんなにも優しくしてくれるんだと、そんなことを思った。
時計の音と静寂が交互に届く部屋。
不意にそこに別の音が響いた。
何と表現したらいいのか分からない、せめぎあう様な低い音に
二人は身体を強張らせ、身を寄せた。
とその次の瞬間、大きな音と共に壁に穴が開き、次々と何かが部屋に雪崩れ込んできた。
「きゃあああ!」
悲鳴を上げ、互いの身体をきつく抱きしめる。
電灯が揺れ、鏡が割れた。
部屋に入り込んできたものは、植物の蔓。
頭が真っ白になり、ただ恐怖に震える聖達の前で、蔓は見たことも無い美しい花を次々と咲かせ始めた。
▲
▼
死にたいとは思わないのか。つんくはそう言った。
死にたいと思わない。まだこの世を離れたくない。
人間なら、ごく当たり前の感情。
だけど人では無くなり、それでも人の心を持つ『不老長寿の魔道士』にとっては
不思議で、不可解なことなのだとさゆみは理解していた。
さゆみとつんくと真希以外の不老長寿の魔道士が居なくなってもう100年にはなるだろうか。
彼らに何か個人的な思い入れがあったわけではないけれど
それでも同じ魔法を持ち、同じように人では無くなった魔道士たちの
生き様と、結末について考えることはあった。
考える時間がいくらでもあるというのも、この魔法を持つものに共通した厄介な特徴なのだ。
『不老長寿の魔法』を会得した魔道士はやがて人では無くなる。
始めのうちは分からない。
生に執着し、奪われないよう、死なないように我武者羅に生きる。
だけど普通の人が生涯とする時間の倍ほども生きれば変わってしまう。
生来の才能の多寡など問題としない程の経験と蓄積によって、殆ど『奪われる』恐れなどは無くなってしまう。
そうなったときに初めて気付くのだ。
共に過ごし、関わり合った人達がみんな先に逝ってしまい、一人ぼっちになっていることに。
そして人と関わらなくても、生きていけることに。
人間は社会との関わりの中で人間たらしめられる。
どんな人も、生きる為に、衣食住を得る為に、コミュニティの中で他人と関わらなければならない。
人間社会を形成し、その社会の一部を成すものをして人間というのだ。
不老長寿の魔道士には、飢えをしのぐことも風雨をしのぐ屋根も必要がない。
そんなものが無くても、ただ生きるだけならば可能。
だから人の社会に携わる必要が無くなる。
そこに残る人間との繋がりは、『自分は人間だ』或は『元は人間だった』という自我の意識だけ。
この感情、精神はその肉体的特性との間に大きな摩擦を生むのだ。
さゆみがこれまで見て来た不老長寿の魔道士たち、
彼らがその摩擦に対して示す道は大きく分けて二通りだった。
自分が人ではないことを認めるか、認めないか。
認めてしまった者たちは、魔道士として、生物として大きな飛躍をすることになる。
人間社会から完全に離れ、自然界の中で瞑想を続けやがて宇宙の一部に溶けていった者もいる。
その姿を人ならざるものに変え人語をさえ忘れてしまった者もいる。
人よりも上位の概念として世に君臨しようとし、人の魔道士に討伐された『魔王』もいる。
認められなかったものは終生苦しみ続けることになった。
人の世との関わりを保ち続けようと奔走し、社会から締め出されて失望する者。
自身の経験から得た知識や思想を後世に教え説いて理想的な社会の実現を目指したものは
人の思いもかけない愚かさを目の当たりにしてやはり失望した。
何か目標を定め、何かを作り上げる、或いは誰かを育て上げることに終始し
その目標の達成と共に潔く命を絶ったものもいた。
いずれにしても不老長寿の魔道士たちは
『人の心』と『人でないものの心』の間を揺蕩い、翻弄されながら消えていったのだ。
さゆみには彼らの行く末はごく自然の成り行きであるように思えた。
だから今でも生き永らえているつんくと真希のことを、「おかしな存在」だと思う。
それは3人それぞれが、他の二人、或いは自分自身に感じていることだろう。
つんくは、早々に自分が人でないことを認めたように思う。
彼が生きている理由は、底の無い好奇心の為だろう。
人間に対する好奇心。
どんなに時間があっても、人の想いや行動は割り切れない。
ある程度の心理や行動のパターンは分かっていても、常に「予想外」の可能性を抱えている人間が
好きでたまらないのだ。
魔法の研究も、人間への興味を原動力にしているという点では一貫している。
若い魔道士たちは「西の大魔道士は人であることを棄て魔法に取りつかれて研究に没頭している」と言うが
さゆみには、それは少し違うと思えた。
つんくは『観察者』として人と関わり続けている。
そのさゆみのイメージは今日ここに来ていくつかの言葉を交わすことによって肯定された。
つんくは好奇心の怪物なのだ。
後藤真希は、昔からどこか異質だった。
さゆみが子供の頃には、真希は既に伝説的な魔道士であり英雄だった。
さゆみとつんくとは違って、不老長寿の魔法を会得する前から、生まれながらに桁違いの魔力と才能を有していたのが真希だ。
真希はその頃から殆ど変っていない。
あまりの能力に、生まれながらに人間扱いすらされていなかった。
人々は何か恐ろしい災いに際し真希を頼り縋った。真希がその力を貸し災いを払えば英雄と祭り上げ讃える。
だけど太平の世になれば真希の恐ろしい力を疎み、排斥しようとした。
真希は憤りもせず、飄々と人々の前から姿を消した。
そんなことが繰り返されても、真希は気ままに力を貸し、誰も恨むことをしなかった。
人に恵みを与えようと災禍を齎そうと、ただ淡々と降って止む雨のように。
その精神は初めから人間を超えていたように思う。
僅かながら交流があった時代に、真希の仲間想いで義理堅い性格も知っていたからこそ
さゆみには真希が不思議で仕方なかった。
そしてさゆみ。
さゆみ自身が、何故生きているかを考えるとき思うことは「中途半端だから」だ。
自分が既に人ではないことくらい重々分かっている。だけど認めるのも癪だから認めない。
さゆみは飽きっぽい。だけど諦めが悪い。
物事の真理なんて分からない。知りたいとは思うけれど。
もうずっと『正解』を探して生きて来た。
まだ見つからない。
大切な人の死を何度も見送った。
その度に「もう嫌だ」と思うのに、朝日の美しさに、子供のはしゃぎ声に、音楽の心地よさに絆され生きて来た。
悩むことも苦しいことも尽きない。
だけどケーキの甘さに舌鼓を打つ。
もうそんなことをずっと繰り返してきた。
つんくをして、それが異常だと言われても詮無きこと。
ふと辺りを見回せば花の海の下には血だまり。
赤黒い血の色は人と同じ。
だけどこれだけ大量の血を流して、心臓に穴が開いて生きている人間なんて普通はいない。
もう死んでもいいじゃないかと思うこともある。
だけど今死ぬわけにはいかない。
衣梨奈や里保や春菜や優樹や遥、亜佑美に聖に香音、
彼女達の笑顔を見れなくなるのは嫌だから。
『真性のドMやな』
答えないさゆみに、つんくが笑った。
さゆみも、そうかもしれないと内心で笑ったけれど
つんくに同意することが癪だから黙っていた。
人はいつまでも、永遠に悩み続けることが果たして出来るのだろうか。
つんくだって同じだろう、そう思ったけれど
自ら同類扱いにするのも嫌なのでやはり言わなかった。
ふと花の弦の先に感覚が走った。
小さな寝室。その壁の中に二人の息遣い。
因子の放つ独特の雰囲気。
聞き覚えのある愛しい声。
ようやく見つけた。
二人を無事連れ出すことが出来れば、ほぼ片付いたも同然。
だけど今のさゆみは動けない。
分の悪い掛け。
里保に託すしかない。
『りほりほ、聴こえる?』
空でじっと意識を集中させ、魔力を高めていた里保の耳に声が届いた。
大きく息を吸い、応える。
「はい」
『合図するよ。そこに二人がいるから』
「分かりました。連れ出してすぐにここを離れます」
『うん。いい子だね』
里保は擽ったそうに一度髪を掻き上げると
眼下に目を凝らした。
視界の端に光が見える。
美しい花が揺らめいて里保に合図を送っていた。
「行きます!」
『お願いね』
里保は風を猛らせ一気に花の元へと降下した。
刀を取り出し、魔力を纏わせると
それを一閃。
二人を巻き込んでしまわないよう花の合図の範囲の外れを最小限に
建物の天井を箱型に切り取り部屋に雪崩れ込んだ。
「きゃあああ!!」
衝撃と共に天井に穴が開き、何かが落ちて来るさまに
聖が再び悲鳴を上げる。
振動と衝撃が収まると、勢い俯いていた里保がゆっくりと顔を上げた。
花で埋め尽くされた部屋。
その中には、驚き固まっている聖と香音の姿があった。
「香音ちゃん!ふくちゃん!よかった!」
「え?里保ちゃん?なんで?」
突然の出来事の連続に目を白黒させる二人。
里保は再会の嬉しさに思わず抱き付こうと駆け寄って、手に握っている刀を思い出し立ち止まった。
「いろいろ説明したいけど、時間が無い。とにかくウチと来て!」
里保が刀を下げ、呆然としている聖に触れようとした。
その時、恐ろしい魔力の威圧を受けた。
「道重といい、なんでどいつもこいつも天井壊して入ってくんねん」
男の声。
里保の体は縫い付けられたようにピタリと止まった。
冷や汗を浮かべ振り返る。
里保の視界にはいつの間にか男が立っていた。
いつ接近したのかも、どうやって現れたのかもまるで分からない。
ただその立ち姿と、恐ろしい魔力が、この男が「西の大魔道士」であることを教えていた。
「つんくさん?」
聖が呟くと、つんくはニッと笑って片手を上げた。
里保の刀を持つ手が震える。
それを強引に握り直して相対すると
つんくは里保を見て不敵な笑みを浮かべた。
恐ろしい殺気を孕んだまま。
「なんや自分協会魔道士かいな。
協会では教えてくれんかったか?三大魔道士の家の屋根に穴開けたら殺されるでって」
里保の顎の先を汗が一粒伝って落ちる。
それから刀を構え、聖と香音を庇うように立って魔力を開放した。
▲
▼
さゆみはその魔力を感じ愕然とした。
大変な失態を犯したことに気付く。
そもそもつんくの目的は聖と香音の二人。
例えさゆみがここに居ようとも、何をしようと二人から注意を逸らすことなどありえなかった。
さゆみがタイミングを見計らっていたように、つんくもタイミングを見ていたのだ。
つんくは、さゆみが花の蔓で制圧したフィールドの外から突然現れた。
移動系の魔法を使ったことは間違いない。
そして、そこに立っているのが間違いなくつんく本人であることも、蔓の先から感じる魔力がありありと伝えていた。
里保が殺される。
つんくの殺気は真っ直ぐに里保に向けられていた。
さゆみはまだ身体を起こすこともかなわない。
城を制圧するのに手一杯の花の蔓で、つんく本人を止めることなど出来そうにない。
間に合わない。
また、自分の致命的なミスで、あってはならない失錯で
大切な人が死んでしまう。
さゆみの肩からへなへなと力が抜けていった。
もう嫌だ。
その瞬間を見たく無い。
5秒先か10秒先か。その時には里保は死んでいるのだ。
そしてまだ自分が生きている。
里保が死んで、自分が生きている意味なんてあるのだろうか。
。
里保は咄嗟に判断し、覚悟を決めた。
逃げることは出来ない。
自分一人で逃げ延びる可能性はあったとしても
聖と香音を連れて逃げ果せる可能性はゼロだ。
二人を置いて逃げる選択肢など無い。
たとえつんくの殺意が自分のみに向かっていたとしても
ここで二人を置き去りにすることは、鞘師里保の全てを自ら否定すること。
戦う。そこに唯一の活路を見出した。
恐ろしさに震えかけていた足が、思いのほかしっかりと立っている。
感覚も研ぎ澄まされている。
過去にくぐり抜けて来た死線が、身体を集中させてくれている。
今はそれが頼もしかった。
不意に感じた違和感。
咄嗟に身体を捻った里保の下から、真っ黒の槍が突き立った。
間一髪で里保の体を掠めた槍は天井に突き刺さり、すぐに引いて消えた。
つんくの影が伸び、浮き出したのだと気付いたのは一瞬後だった。
「おお、凄いやんお前。
不意打ちを避けれるか避けれへんかが、そのまま持ってる奴と持ってへん奴との差なんやろうな。
りっちゃんほんまに持ってへんねんなぁ」
薄笑いを浮かべながらつんくが言う。
里保の顎を大量の汗が伝い落ちた。
言う通り、一瞬の直感で身をかわさなければ串刺しだった。
つんくの影はまだ、壁の照明と破れた天井から覗く月をを嘲笑うように不気味に蠢いていた。
里保とつんくの間にある恐ろしい緊張感は、聖と香音にも伝わっていた。
里保に放たれた一撃で、その心は恐怖に満たされる。
対話も和解もありえないという雰囲気。
そんなことになるとは数分前までは思いもしなかった。
「つんくさん、なんで…」
混乱と恐怖と悲しみに満たされ聖が呟くと
つんくはニッと笑って言った。
「大人の事情や」
里保は再び聖と香音を庇うように立った。
勝ち目がない、と思ってはいけない。
冷静にならなければ。
今できる最も有効な戦い方を考えろ。
実際再び影が伸びて来て下から攻撃されれば、二人の前に立つことに意味はない。
それどころか、殺気が自分のみに向けられているのだから、かえって巻き添えにしかねない。
だけど二人の側を離れる気にはなれなかった。
相手は三大魔道士。
何をするか分からない。
初撃以後つんくはニヤニヤと笑いながら手を止めている。
何かを企んでいるのだろうが、その間は有難かった。
「西の大魔道士、つんくさんですね?」
里保が言うと、軽い調子でつんくが答えた。
「せやで。お前はなんやねん」
「魔道士協会執行局魔道士、鞘師里保」
再び刀を構える。
「ほう」
「そしてここにいる二人の友人です。
だから、二人は返して貰う」
つんくは一瞬顔の笑みを消し、少し思案した後で
また笑みを浮かべ直して言った。
「そうか。譜久村と鈴木が言うとった友達の一人っちゅうこっちゃな」
妙に馴れ馴れしい口調。
だけど殺気には欠片の緩みもない。
この部屋は狭かった。
里保の風の魔法も、殆ど意味を為さない。
逆につんくの影の魔法の効果は十全に発揮される。
もし仮に初撃から有無を言わさずその魔法で攻撃を続けられていたら
幾許もなく里保は落ちていたはずだ。
互いの魔法がそれだけでは無いとしても地の利はつんく。
一応の方針は決まった。
兎にも角にも、広い場所へと戦場を移す。
「いい目やな。
怯えて萎縮もしてへんけど、ヤケクソとも違う。
そういう目が出来るんも才能なんやろな。
でもお前、道重の弟子とちゃうんやろ?」
「道重さん…?そうだ、道重さんは…」
つんくが喋っているうちは考えられる。
だけどさゆみの名前が出た時、里保の思考は途切れた。
つんくがここに居るなら、さゆみはどこに――
「道重やったら、死にかけてへたりこんどるで」
「え…?」
里保と聖と香音が、同時に声を出した。
「なんやさっきから静かやな。腑抜けたんか?
ほんまつくづく変な奴やで。
ええ加減慣れへんか普通。何いちいち傷ついとんねん」
つんくが、里保でも聖でも香音でもない相手に語り掛ける。
その相手がさゆみなのだと直ぐに分かった。
部屋には美しい花が咲き、蔦が絡み、じっとしていた。
さゆみの魔法なのは間違いない。
どこかでさゆみが見ているのだ。
「みっしげさん…」
里保が思わず声を出した。
「みっしげさん、待っていて下さい!うちが助けに行きますから!」
里保は、ありったけの声で叫んだ。
さゆみが今、どのような状況に置かれているのかは分からない。
そして自分の現状は最悪。
それでも、心からの叫びだった。
聖も香音も、そしてさゆみも助ける。
それが今、鞘師里保を埋め尽くす全てだ。
つんくは里保の叫びを聞き、また小さく柔らかく笑った。
「立派なもんやなぁ。頑張ってみいや」
つんくの影がまた蠢き、すっと里保の足元に忍び寄った。
その瞬間、里保は一気に魔力を開放した。
相手の一撃よりも早くカウンターを放つ為、このタイミングを待っていた。
つんくの影の槍を躱し、全身全霊の魔力を込め、凝縮した火球を放つ。
当たれば言うことはない。
当たらなくとも、効果はある。
一瞬の交錯の後、大爆発が起こった。
風の魔法で聖と香音を守りながら反撃に備える。
部屋の壁は爆炎に飲まれ砕け散った。
その後ろの建物も広範にわたって炎に飲み込まれている。
聖達の居る壁一枚を残して城は円心状に抉れた。
ぽっかりと夜天の下にスタジアムのような空間が出来る。
戦うフィールドを広げることが目的だった。
これでいくらか戦いやすくなる。
そう里保が考え、一つ息を吐いた瞬間
衝撃に吹き飛ばされた。
「里保ちゃん!」
香音が叫ぶ。
漸く炎と粉塵の収まった場所に、薄笑いを浮かべたつんくが浮かんでいた。
里保は残っていた壁に背中から激突し、壁を崩しながら倒れ込んだ。
激痛に見舞われ血がにじむ。
だけどすぐに立ち上がった。
じっとしていたらやられる。
里保が顔を上げると、さっき見えたはずのつんくがそこに居なかった。
見失った。危ない。
そう思った瞬間、また殺気を感じた。
気付けば背後で、つんくが真っ黒な鎌を振り上げていた。
身体が軋む。
避けようとするが、間に合わない。
死ぬ。
そう思った時、振り下ろされた鎌が一瞬止まった。
里保は風圧の魔法でつんくを殴りつけるとそのまま反動を利用して後ろに跳んだ。
見ればつんくの鎌には、花の蔦が絡みついていた。
。
さゆみの所に、里保の叫びは届いていた。
里保がつんくの初撃を躱して10秒。話をして一分半。
里保の火球が城を破壊して、一撃を受けて。
里保はまだ生きていた。
さゆみを助けると叫んだ里保の声に、涙が出そうになった。
自分があまりにも情けなくて。
今まだ里保が生きている。
これまでの時間まで出来ることがあったはずなのにただ蹲っていた。
今里保を死なせて、衣梨奈とも聖とも香音とも
二度と笑い合うことは叶わなくなるのに。
自分の失敗で、大切な人を失ったことが何度もある。
悔いて泣いて、それでも生き続けて来た。
大魔女になって、もうそんなことは無くなるはずだった。
大魔女だから。
出来ないことなんて無いはずなのだ。
さゆみは徐に身体を起こした。
解毒は進んでいるから何とか動ける。
だけど足元は覚束ない。
血が足りない。
構わない。
大魔女にどれだけのことが出来るのか試してみよう。
魔力の限界がどこなのか。
もし全ての魔力を出し切ったら、魔力がゼロになったらさゆみは死ぬ。
『不老長寿の魔法』を維持出来なくなるからだ。
だけどそういう死に方なら、アリかもしれない。
焼け石に水でも、蔦はつんくの鎌を一瞬止めた。
振り払われ、花は細切れにされる。
つんくの足に絡みついた蔦は、踏みつぶされてぐちゃぐちゃになった。
「みっしげさん…」
里保が呟く。
つんくは花を念入りに踏みつぶし嬉しそうに言った。
「お前ほんまに面倒くさいやっちゃな。そこで大人しく見とれよ」
さゆみに向けられた言葉。
それに対する返答があった。
『今すぐ行くから、待ってなさい』
さゆみは立ち上がり城を覆う蔦に更に魔力を込めた。
太く力強くなった蔦が、壁を崩し薙ぎ倒し、道を作って行く。
どんどん道は広がり、遥か彼方に里保が作ったスタジアムが見えた。
黒く血で汚れた服を里保たちに見られるのは嫌だな。
そんなことを考えながら、さゆみは翼を広げた。
天井も崩れ、低い月が見える。
夜風を浴びて、さゆみが翼は大きくはためかせると
その身体は空に舞い上がった。
▲
▼
衝撃。
里保は勿論、聖と香音もはっきりと感じた。
何かとてつもない、巨大な力の衝突。
さゆみの声が聴こえた次の瞬間、城を覆っていた蔦が蠢き
建物を薙ぎ倒し道を作った。
そして刹那、衝撃が襲った。
物理的な衝突だったなら、聖と香音は凄まじい衝撃波で遥か彼方まで吹き飛ばされていただろう。
だけど起こったのは魔力の衝突。それもこの世の物とは思えない恐ろしく巨大な魔力。
衝撃は凄まじい勢いで海と空を駆け抜け
薄く流れていた雲は恐れ戦いて逃げ出し、ぽっかりと夜空を拓けさせた。
そこに一瞬にして現れたさゆみの持つ剣と、つんくの鎌とが交錯している。
魔力の均衡。そのために起きた衝撃だと里保も遅れて気付いた。
時が凍り付いたかのように
美しく透き通った巨大な翼を背にしたさゆみ、
漆黒の影を纏ったつんくが空で静止している。
「へろへろやけど大丈夫か?」
つんくが薄く笑って言った。
「やっとアンタの顔が見れたわ」
「せやな。久しぶりやな道重」
衝突の余波が治まっる。
剣と鎌が刃を交えたまま、二人の周囲は凪いでいた。
「みっしげさん…」
里保が呟く。
さゆみは視線をつんくに向けたまま言った。
「ありがとうね。りほりほ」
小さな声。
だけどその声は、凪いだ夜空を伝い真っ直ぐに里保の耳に届いた。
さゆみ白い服を黒い血がべったりと汚している。
それが里保の目にははっきりと見えた。
さゆみの言葉の意味は分からない。
聖たちを連れ出し逃げるという策は失敗に終わった。
何に対するお礼なのか。
だけどそんなことよりも、血の衣を纏ったさゆみを目にし改めて感じた。
さゆみを守りたい。
圧倒的な魔力の差を見せつけられて尚、強くそう思った。
少し前の自分は、さゆみの存在に安心し、心を預け頼り切っていた。
彼女が深い傷を負っていることも知らずに。
絶対に守らなければならない。
協会魔道士としてではない。それが、自分の為に生きること。或は自分の為に死ぬことだと思う。
「ふくちゃん、香音ちゃん」
さゆみが続けて呟いた。
聖と香音がビクリと身体を震わせる。
今空に浮かんでいるさゆみが、自分たちの知るさゆみと同一人物と思えないほど
何もかもが異様な光景だった。
だけど次のさゆみの言葉は二人に、確かにそこにさゆみが居るのだと思わせてくれた。
「ごめんね、もっと早く気付けなくて」
聖と香音の目元に不意に涙が浮かぶ。
一度信じることが出来ず、逃げるようにさゆみの元を離れてしまった。
それでも、さゆみは自分たちのことを分かっていてくれたのだ。
あまりにも日常とかけ離れた光景。
周囲の城は見る影もなく崩れ、足元に瓦礫が散乱している。
月明かりと星明りしかない中で、少しでも動けば忽ち足を取られて転んでしまいそうだ。
だけど、そこに確かにさゆみが居て、里保がいる。
そのことだけで、聖と香音は冷静になれた。
どれほど危険な状況かは何となく理解出来る。
だけど、受け入れるしかない。
魔道士たちの戦いを見届けるしかないのだ。
つんくが鎌を振り払い、さゆみが距離を取る。
拍子に、さゆみが少しよろけた。
焼け残ったネオンサインが青白い光を放っている。
淡い光を下から受けて、背後の山につんくの巨大な影が浮かんでいた。
その影がゆっくりと浮き上がる。
みるみる間に、山の表面を這っていた影が抜け出し、空に恐ろしく巨大な黒い手を伸ばした。
里保は再び魔力を開放した。
「ふくちゃん香音ちゃん、転ばないように気を付けてて」
里保の言葉に、聖と香音が肯く。
それを確認して、里保はさゆみの所に飛び立った。
黒い巨大な手が今正にさゆみを叩き潰そうと
高く振り上げられていた。
。
衣梨奈の腕の中。
漸くさくらの涙は止まっていた。
随分久しぶりに泣いて、蟠りを洗い落としたように頭がクリアになる。
魔力を失って何も分からない不安と恐怖が消えたわけでは無かった。
だけど抱きしめてくれている衣梨奈は、そんなさくらの心を分かってくれているのだと思った。
誰かに分かって貰えること。
それは驚くほどの勇気と安心感を心に齎してくれる。
魔力を持たない、自分もまるで知らない「小田さくら」が
確かにここにいることを、受け入れ認める勇気を衣梨奈がくれた。
「すみません…。有難うございました」
さくらが恥ずかしそうに言って顔を上げると
衣梨奈が優しく笑って抱きしめる手を緩めた。
「もう大丈夫?」
「はい…。分かりませんが、多分」
さくらが赤く腫れた目元に笑みを浮かべる。
衣梨奈がそっとさくらの前髪を整えて、身体を離した。
「不思議な感じです。魔力が無いのって」
「うん。えりも経験したことないけど
凄い怖いっちゃろうなって思う」
「譜久村さんと鈴木さんも」
さくらの口から出た名前に、衣梨奈がピクリと眉を動かす。
「もし魔道士になったら、怖いって思いますよね」
衣梨奈はそれを想像してみた。
聖と香音は魔法について殆ど知らない。
魔力のコントロールは難しい。
幼少の頃、知識があってもなお自身の魔力を持て余していた衣梨奈にはよく分かった。
何も知らない状態なら尚更、その力は怖いものかもしれない。
だけどさくらがどうしてそんなことを言うのだろう。
「ましてや突然、先生や道重さゆみさんを超えるような魔力を身に着けちゃったら」
「え?」
突拍子もないさくらの言葉に、衣梨奈は思わず声を上げた。
さくらがそんな衣梨奈の様子を窺いながら
一度目元を拭い深く息を吸い込む。
そしてそれをゆっくりと吐き出しながら言った。
「譜久村さんと鈴木さんは因子持ち。
そんな二人がもし魔道士になったら、無限に近い魔力を手にする…のだそうです」
「なに…それ」
「私はただ見たかったんです。
だって『三大魔道士』を超える魔道士が突然生まれるなんて凄い。
そんな人がどんな魔法を使うのか、どんなことを出来るか…。
譜久村さんと鈴木さんがその時どう思うのかなんて考えず、ただの好奇心で」
さくらは自虐めいた笑みを浮かべていた。
衣梨奈は漸く、理解した。
聖と香音の気持ちに係らずさゆみが全力で阻止しようとする理由。
実験の失敗によるリスクも勿論あるけれど
それ以上に、そうなった時二人の心は保たれない。
聖と香音が魔法使いになることを望んでいたとしても
そんな巨大過ぎる力を欲しているはずが無いのだ。
「もう私には、先生を手伝うことは出来ません。
譜久村さんと鈴木さんのこと、好きだから」
さくらが俯き、唇を噛む。
衣梨奈はもう一度、さくらをそっと抱きしめた。
「だけど先生を止めることも出来ない。
魔力が無い…。もしあったとしても、私には止められません…」
さくらの声がまた涙に濡れている。
衣梨奈はさくらの髪を優しく撫でながら、静かに言った。
「えりが止める。
里保も、道重さんもおるけん」
その時、海の向こうに光が見えた。
衣梨奈が顔を向けると、海の上をキラキラと光の筋が走って、近付いてくる。
それが氷の道だと気付いた頃にははっきりと
亜佑美と遥と優樹、それに春菜の魔力を感じ取った。
「おーい、生田さーん!」
亜佑美が手を振る。
全力疾走しながら二人と一匹を引っ張っていた犬の姿の優樹は
衣梨奈を見つけて一気に氷の道から飛び上がった。
慌ててしがみ付く亜佑美と遥と春菜を乗せて
衣梨奈とさくらの岩に飛び乗った。
「やっと合流できたぁ…って、小田ぁ!な、何やってんですか生田さん!」
抱き合う衣梨奈とさくらを見て亜佑美が声を上げる。
衣梨奈はクスリと笑ってさくらを放した。
「お疲れ、亜佑美ちゃん、どぅー、はるなん。優樹ちゃんが一番お疲れやね」
優樹が平気だよとばかり身体を震わせてみせる。
亜佑美と遥はあまりに意味の分からない光景に唖然としていた。
裏切者としてとっちめてやろうとしていたさくらが
月の下の浮かぶ岩の上でロマンチックに衣梨奈と抱き合っていた。
さくらからは相変わらず魔力が全く感じられず
ただのか弱い女の子にしか見えない。
本当は魔道士だった、とは何なのか。
さくらも、どんな表情で4人に相対していいのか分からず曖昧に笑っていた。
「色々説明したいっちゃけど、聖たちを連れ戻すのが先やけんね。
あの島に、聖と香音ちゃん、それと道重さんと里保がおるけん」
衣梨奈が島を指さす。
納得がいかない表情のまま、亜佑美と遥と二匹が島を見た時
爆発が起こった。
遠くにある島の中で、それでも分かるほどの大爆発。
「あれは…」
「里保、やね」
赤い炎と届く魔力。
今まさに島で大きな戦闘が起きている。
5人の緊張感が一気に強まった。
「よく分かんないけど、うちらも島に急いだほうが良さそうっすね」
遥の言葉に一同が肯く。
「小田ちゃんを問い詰めるのは後として、兎に角今は譜久村さんと鈴木さんですね」
亜佑美も表情を引き締めた。
と、次の瞬間凄まじい衝撃を感じ取った。
あまりにも巨大な魔力の衝突。
世界中を駆け回る程の衝撃。
水も空気も海も空も震わせる恐ろしい魔力に衣梨奈達は身構えた。
「ちょっと、洒落になんないでしょ…」
遥が思わず呟く。
「先生…」
続いてさくらが呟いた。
「とにかく、急ごう」
衣梨奈の言葉に、4人は岩を飛び出した。
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