聖ちゃんは、本当にわかりやすい。
「えりぽん、嬉しそうだったね」
「3年ぶりに会ったんだもんね」
はしゃぐえりちゃんの様子を思い出してか、自分も嬉しそうに、
そして心なしか寂しそうな表情も浮かべる聖ちゃん。
ただでさえ裏表のない子なのが、とりわけえりちゃんのことになると
一目瞭然に感情が顔に浮かび上がるのが面白い。
「なんかえりちゃんと里保ちゃんって、ただの幼馴染って感じじゃないよね。
学校でも里保ちゃんあんまり喋って無かったし」
そして悪戯っぽく付け加えてみる。
「謎の美少女転校生か。聖ちゃんのライバル出現だね、こりゃ」
こんなにわかりやすく弄ってるつもりなのに、そこで首を傾げるのが聖ちゃんだ。
「聖と里保ちゃんがライバル?なんで?」
「なんでもない」
まさに暖簾に腕押し。
聖ちゃんの天然っぷりを堪能しつつ、ここは素直に撤退することにした。
「ま、でも仲良くなれそうかな」
「うん、そうだね。里保ちゃん、ちょっと大人っぽいけど凄くいい子みたい」
日差しが雲に遮られ、肌を撫でる風が梅雨の訪れを告げる。
「降るかな?早く行こ、聖ちゃん?」
あたしが振り返ると、聖ちゃんは紫陽花の花をじっと見つめていた。
「あんな嬉しそうなえりぽん、初めて見たかも……」
思わず苦笑して聖ちゃんの手を取る。
「こりゃ重症だわ……」
「え?香音ちゃんどこか悪いの?」
返答まで完璧、見事に百点満点だ。
これ以上あえて弄る気にもならず、呆れた笑みで聖ちゃんの手を引き、
そしてうちらは再び家路へと歩き出した。
○
「へぇ、里保ちゃんとえりちゃんって一緒の家で育ったんだ。
じゃあね、じゃあ、生田が家出したっていうのは本当?」
里保ちゃんのプライベートについて、こんな興味津々に食いつくのは、
もちろん自分自身の好奇心もあるけど、気になってもあまり踏み込んだ質問は
できないだろう聖ちゃんに聞かせたいという、援護射撃の意味もある。
比較的冷静に話をしてくれた里保ちゃんが、えりちゃんの家出について
語りだしてから思いがけずヒートアップしてきた。
クールで大人びた印象だったのが、感情とともに一気に歳相応の子供っぽさが顔を出す。
里保ちゃんもえりちゃんが大好きなんだなということがよく伝わってきて、
これは本当に聖ちゃんのライバル出現かもなんて思うとともに、
里保ちゃんとも仲良くなれそうだという、そんな予感がこれで確信に変わった。
その後、えりちゃんの乱入と魔法のくだりで一頻り笑わせてもらい、
すっかり脱力状態の里保ちゃんに声をかける。
「生田は魔法使いだから。えりちゃんって昔からああなの?」
「いや、昔はもうちょっと、なんていうか、おとなしかった」
「ふふふ、でも聖えりぽんのあれ結構好きかも」
やっぱり聖ちゃんは聖ちゃんだ。
里保ちゃんと見合わせたあたしの顔は、おそらく里保ちゃんと同じように
「信じられない」という感情がこぼれ落ちそうになっているだろう。
「……その時えりぽんが飛んで来てくれてさ、保健室連れてってくれて
ふふっ、その時ね、足撫でてくれたの。そしたらね、凄く痛かったのに、
凄い痛かったんだよ?それが急に、痛くなくなったの」
興奮したように語る聖ちゃんを眺めながら、思わず呆れた声で呟く。
「あーはいはい、それは気持ちの問題だわ」
こんなにもわかりやすいのに、その感情に自覚がないというのはほとんど奇跡だと思う。
でも、聖ちゃんはずっとこのままでいてもらいたい。そんな気持ちもある。
聖ちゃんにはいつまでも純粋なままでいてほしいし、聖ちゃんの自覚とともに、
今の3人の、いや里保ちゃんも加えて4人の関係に変化が生じ、
この心地よい空気感が失われてしまうというのはちょっと寂しい。
もちろんそれは、聖ちゃんの恋心に進展がないのとイコールだから、
自分勝手な願望だというのは十分わかってるんだけど。
聖ちゃんには幸せになってもらいたいなと思いながらも、
ついそんなことを考えてしまうのは、きっとあたしが贅沢者だからなんだろう。
○
「えりたち、実は魔法使いなんよ」
えりちゃんの話す内容は、あまりにも突飛で、にわかには信じがたいものだった。
でも。
「香音ちゃん、どう?生田の話、信じられる?」
「正直全くえりちゃんの話は分かんないんですけど。
でも、えりちゃんの目が、あーほんとなんだなって感じです。別に最初から疑って無いんですけどね」
それ以上に気になるのが、聖ちゃんのこと。
なんで聖ちゃんはえりちゃんの話で涙を流しているんだろう?
直接声をかけるような状況でもないので、横目で様子を伺うことしかできないけど、
道重さん達と会話しながらも、どうにも集中しきれない自分を感じていた。
「ちなみに」
唐突に発せられる道重さんの声。
「生田もりほりほも馴染み過ぎててすっかり忘れてるみたいだけれど、
生田のお母さんは魔法使いじゃないからね」
気のせいかそれは、聖ちゃんに向けられたもののように感じられた。
そして、これまで瞼を抑えながら黙って聞いていた聖ちゃんが、
その言葉を受けて初めて、道重さんに不思議な疑問を投げかける。
「聖やっぱり、そうなんでしょうか…」
「さあ。それはフクちゃん自身の気持ちと相談しないと。
さすがのさゆみも無責任なことは言えないなぁ」
傍で聞いているだけではまったく理解できないやりとりだったけど、
2人の間ではそれだけで確かに伝わっていた。
そして、なぜかはわからないけど、理屈は全く抜きでそれはあたしにも伝わっていた。
聖ちゃんが朝の学校で呟いていた「大人の階段」という謎の言葉。
どうやら聖ちゃんは、その階段を一段、登ったらしい。
そう、聖ちゃんはついに、えりちゃんに対する自分の気持ちに気付いてしまった。
……「しまった」? なんであたしはこんなネガティブな表現をしてるんだろう。
それに、チクリと胸を刺すこの痛みは一体なんなんだろう。
「なん?何の話か全くわからんっちゃけど…」
「お子ちゃまには分からない話よ。ね、香音ちゃん」
「そうですね」
いきなり道重さんに話を振られ、あたしは冷静を装って苦笑いで答える。
道重さんには、あたしにも聖ちゃんのことが伝わっていると先刻承知らしい。
それどころか、今のこの内心の混乱も全部見透かされているのかもしれない。
そんなことを思うと、訳も分からず急に恥ずかしくなってきた。
その後、工藤ちゃんと佐藤ちゃんの話、そして2人のために部屋の片付けを手伝ったりと、
気づけばあっという間に一日が過ぎていった。
魔法を目の前で初めて見るなど、たくさんの未知の体験に心を躍らせたけど、
それでも胸を刺す痛みはずっと消えずに残ったままだった。
明日の買い物に聖ちゃんとあたしも同行することを約束し、
暗くなる前に道重さんの家を辞することにする。
「今日は部屋の片付けを伝ってくれたし、
それに驚くような話もいっぱい聞かされたから疲れたでしょう。
色々思うことはあるだろうけど、今夜はゆっくり休んでね」
「はい!」
元気な声で答える聖ちゃんは、あの時泣いていたのが嘘みたいに吹っ切れた顔をしている。
「香音ちゃんもね」
「は、はい」
聖ちゃんに気を取られていたところに、
道重さんに人差し指であたしの額をちょこんと押され、慌てて返事をする。
心なしか、押された部分を中心に頭全体がほんわかと暖かくなったような気がする。
そして、道重さんの微笑みがなにやら意味ありげに見えたのは、ただの考えすぎだろうか。
○
「ねぇ香音ちゃん。聖ね、大人の階段を登ったんだ」
聖ちゃんが満面の笑みで語りかける。
「おめでとう」と声をかけるつもりが、胸が一際大きくズキリと痛み、思わず口を閉ざす。
聖ちゃんが自分の本心に気づいたときは、素直に祝福しそして応援してあげようと
前々から思っていたはずなのに、一体あたしはどうしてしまったんだろう。
「香音ちゃんは登らないの?大人の階段」
……あたしにとっての大人の階段ってなんだろう?
わからない。わかるのは、この疼くような胸の痛みだけ。
「香音ちゃん……?」
言葉を止めた聖ちゃんが、あたしに問いかける。
不安そうな表情で見つめられ、何事かと思ったけれど
すぐに聖ちゃんの表情の意味が分かった。
あたしの頬を、いつからか涙が伝っていた。
あたしは慌てて手の甲でそれを拭って、出来るだけ明るい笑顔を作った。
「香音ちゃん、ごめん…」
「ううん。何でもないよ、ごめん」
この涙。このやりとり。
あの時の聖ちゃんとおんなじだ。
今のあたしはあの時の聖ちゃんとおんなじ。
涙を流す理由も、胸が痛む理由も、きっと全部がおんなじ。
そう。聖ちゃんにとっての大人の階段が、えりちゃんへの想いだったように、
あたしにとっての大人の階段は、聖ちゃんだったんだ。
あたしが聖ちゃんにずっと自覚のないままでいてもらいたかった理由。
「気付いてしまった」なんてネガティブな表現をした理由。
そしてこれまであたし自身がこの感情に無自覚だった理由。
それらが自分の中ですべて氷解した。
ついにあたしは、大人の階段を一歩、踏み出してしまった。
でも、この先に何があるというのか。
あたしの視線の先にいる聖ちゃん。
その視線の先にいるのはえりちゃんだけ。
そこに決してあたしの姿は映らない。
それがわかっていたからこそ、あたしは無意識のうちにこの感情を押し殺し、
ただひたすらに目を背けてきたというのに。
溢れ出す涙が止まらない。胸の痛みも治まることはない。
報われることのないこんな想いを抱えたままで、
あたしはこの先どうすればいいんだろう。どうしろというんだろう。
「さあ。それは香音ちゃん自身の気持ちと相談しないと。
さすがのさゆみも無責任なことは言えないなぁ」
不意に道重さんの声が脳裏に響いた。
あたし自身の気持ち?
そうだよ。聖ちゃんが誰を想ってるかなんて、本当は二の次のこと。
一番大切なのは、あたし自身の気持ちなんだ。
あたしは……そうあたしは!
聖ちゃんに幸せになってほしい!!
いつも側にいて聖ちゃんのことを見守り、
聖ちゃんの幸せのために今のあたしができることをする。
もしえりちゃんが聖ちゃんのことを幸せにしてくれるのなら、
たとえこの胸が痛んだとしても、それはあたしにとっての幸せでもあるんだ。
そして……。
もし、えりちゃんが聖ちゃんのことを幸せにできないのであれば。
その時こそ、あたし自身の手で聖ちゃんを幸せにしてみせる。
でも、それは階段のもう一段上の話。今考えることじゃない。
「聖ちゃん。あたしも登ったよ、大人の階段」
「おめでとう香音ちゃん!」
ホッとした顔で微笑んだ聖ちゃんが、あたしに抱きついてくる。
この温もり。やっと気づいた、あたしにとってのかけがえのない存在。
こっちこそおめでとう。そして、ありがとう聖ちゃん。
…
…
…
そしてあたしは、窓から差し込む朝の光とともに、長い夢から目覚めた。
そっと目元に手を触れると、流した涙の跡が感じられた。
泣いてスッキリしたからか、気づけば胸の痛みも消えている。
夢の内容は、覚えていない。
わかっているけど、覚えていない。
だから、落ち着いたらまた自分の気持ちと相談してみよう。
これから、きちんと。
でも、今のあたしにはやるべきことがある。
聖ちゃんに、えりちゃんや里保ちゃんやみんなの元に会いに行かなくちゃ!
こうして、階段のほんの一段分だけ大人になったあたしは、
両手で自分の頬を叩いて気合を入れると、勢いよくベッドから飛び起きた。
(おしまい)