今泉定介
熊襲を果して呉の夫差の後にして夫差孝照帝の三年直に我国に来りしとすれは其養老四年
亡ふる迄千百九十三年なり此間日本王と称して支那と交通せしと明なり且独立の体面を装
はんが為年号を建てたるが如し蓋し支那にては独立国は必年号ある者とするを以て也今の
九州年号は熊襲の当時建てしものならん此年号百七十年間続けり其年号の挙けある書は麗
気記初抄・海東諸国記・如是院年代記・九州年号なり而れども各多少の差異あり今左に
九州年号によりて之を列示す
- 善記 我継体帝十六年より四年間(海東諸国記にハ善化とあり)
- 正和 同廿年より五年間 (我花園帝の時の正和に非ず)
- 殷到 同廿五年より四年間(海東にハ発例とあり)
- 僧聴 宣化帝元年より四年
- 明要 欽明二年より十二年(海東には同要とあり)
- 貴楽 同十三年より二年
- 法清 同十五年より五年 (海東には結海とあり)
- 兄弟 同廿年より二年
- 蔵和 同廿二年より五年 (如是院には蔵知)
- 師安 同廿七年より二年
- 知僧 同廿九年より二年 (海東には和僧)
- 金光 敏達二年より六年
- 賢聖 同八年より五年 (海東には賢接)
- 鏡常 同十三年より四年 (海東には鏡当)
- 勝照 用明二年より四年
- 端政 崇峻四年より五年 (如是院には端改)
- 吉貴 推古三年より六年 (海東には従貴)
- 願転 同九年より六年 (海東には煩転)
- 光元 同十五年より六年 (如是院にハ光充)
- 定居 同廿一年より七年
- 倭京 同廿八年より五年
- 仁王 同卅三年より六年
- 聖聴 舒明三年より六年 (如是院にハ聖徳)
- 僧要 舒明九年より五年
- 命長 皇極元年より五年
- 常色 大化三年より五年
- 白雉 三年
- 朱雀 不明
- 大和 不明
- 大長 大宝二年
即百七十七年間年号数三十あり而して我朝に朱雀大化あり彼に朱雀大和ありてよく似たり
蓋彼我を擬せしもの乎相混せしものか又我孝徳の朝に白雉あれとも之は古語拾遺元亨釈書
神皇正統記皆白鳳とすれば白雉とハ誤なり
最終更新:2010年01月23日 13:05