古事記序文中の「帝紀・旧辞暗誦」詔勅は、天武ではなく文武の発布
- 古事記序文の非合理性
- 事実
- 「削偽定実」のために、天武から稗田阿礼へ帝紀・旧辞暗誦の詔勅より元明から太安麻呂へ撰録を命じるまで25年
- 神武・仁徳・天武を称揚するも直系祖先の継体は見えず
- 構造
- 詔勅中の酉年二月に清原の大宮で天位に就いたのは、従来、癸酉年即位で飛鳥浄御原宮で執政した、天武天皇とみなされてきた
- 帝紀・旧辞暗誦の詔勅は従来天武と考えられたが、文武である
- 主張
- 文武は丁酉年697年即位
- 従来、文武天皇即位前の694年に藤原京に遷都しており、697年の即位は当然藤原宮とみなされてきたが、十年後の慶雲元年(704)十一月二十日条に「始めて藤原宮の地を定む」とある
- したがって、704年まで藤原宮の前宮、飛鳥浄御原宮にいたともみなせる
- 適用
- 詔勅拝命時28歳だった稗田阿礼は、撰録時の元明天皇和銅4年(711)時には42歳以下
- また、序文には神武・仁徳・天武は全て、神武辛酉・仁徳癸酉・天武癸酉の即位である
- さらに、文武の即位年は、丁酉にあたる
- 考察
- 墓記を上進記事との整合性
- 持統5年(691)8月十三日条、十八氏からその先祖の墓記を上進記事
- 持統8年(694)藤原京へ遷都
- 文武元年697(丁酉)8月、即位
- この間に帝紀・旧辞暗誦の詔勅(、同じ時期、他にも改新の詔で郡制を開始)
- 大宝元年(701)2月、文武初めて清原の大宮で天位に昇る
- 大宝元年(701)3月大宝へ改元。大宝律令発布
- 持統天皇が藤原京を用意した背景
- 文武2度目の即位は、九州王朝倭国からの禅譲か?
- 藤原京への遷都は倭王のためか?
最終更新:2010年01月31日 11:21