九州年号白雉元年壬子と改元記事の2年遡上
- 芦屋市三条九ノ坪遺跡から出土した「元壬子年」木簡
- 白雉「三壬子年」なら白雉元年庚戌(650)に相当し日本書紀の記述が正しい
- 白雉「元壬子年」なら九州年号白雉元年(652)に相当し「二中歴」「海東諸国紀」が正しい[1]
- 皇紀白雉元年2月条の白雉改元記事も実際は(652)に相当する可能性がある
- 皇紀白雉元年2月条は、皇紀白雉3年正月条の次にくることで整合する
- 正月条に「正月より是の月に至るまでに」とあるのは意味不明
- 復元
- 三年の春正月の己未の朔に、元日の禮おわりて、車駕、大郡宮に幸す。
- 本来の白雉改元記事
- 正月より是の月に至るまでに、班田すること既におわりぬ。凡そ田は、長さ三十歩を段とす。十段を町とす。段ごとに租の稲一束半、町ごとに租の稲十五束
- 考察
- 白雉改元記事直後の班田記事も同様ではないか、改新の詔との関係は
- 白雉改元記事が652年なら前期難波宮は造営済みである。改元舞台は前期難波宮ではないか
最終更新:2010年02月11日 06:40