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客将」(2009/06/09 (火) 14:30:48) の最新版変更点

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&br() ***客将履歴 ・李厳 2008/06/29~2008/07/29 招聘:海堂僚 |&ref(f00-0.jpg)||名前|李厳(字:正方)| |~|~|武器|大刀| |~|~|Lv|45| |~|~|備考|&small(){文武とも優れた蜀漢屈指の将。劉備から諸葛亮らとともに後事を託され、蜀の中枢を担う。しかし、北伐の後方支援で兵糧輸送に手間取り、それを隠蔽しようとした事から平民に落とされる。}| |~|~|コメント|&small(){私が文にも優れていると見抜かれるとは、【諸葛亮】軍師は人を見る目があるだが、この状況下で『魏』との戦線に兵糧を供給し続けるのは、至難の業だ……}| ・麋芳 2008/11/03~2008/12/09 招聘:海堂希 |&ref(f00-麋芳.jpg)||名前|麋芳(字:子方)| |~|~|武器|弓| |~|~|Lv|35| |~|~|備考|&small(){兄は糜竺、妹は糜夫人。劉備の徐州時代から兄とともに仕える。入蜀後は荊州南郡を預かるが総督関羽と不和となり、樊城攻略時に傅士仁と共に呉と内通し降伏。その後演義では仇として討たれるが、正史では賀斉配下となっている。一般的に関羽敗死の原因である裏切り者で嫌われキャラ。}| |~|~|コメント|&small(){私の妹は【劉備】様の妻だった&br()つまり私は『蜀』の皇族に連なる身というわけだ&br()ふっふっふ}| ・劉封 2009/01/17~02/16  招聘:彫銘 |&ref(f00-劉封.jpg)||名前|劉封(字不明)| |~|~|武器|双剣| |~|~|Lv|40| |~|~|備考|&small(){劉備の養子で元は長沙の寇氏。(正史では)阿斗誕生以前、実子のなかった劉備の養子となる。孟達と上庸駐留中、関羽の救援要請を断り、結果見殺しにしてしまう。その後孟達は魏へ奔り、上庸も失う事になった。成都に戻った劉封は一連の責により死を賜る。}| |~|~|コメント|&small(){俺は養子だ&br()父上のお役に立てれば、それ以上、望むことなどない}| &ref(劉封招聘.jpg) ・趙累 2009/04/29~05/29  招聘:彫銘 |&ref(http://www7.atwiki.jp/eyesofhermitdragon?cmd=upload&act=open&pageid=23&file=%EF%BD%8600-%E8%B6%99%E7%B4%AF.jpg)||名前(愛称)|''趙累''| |~|~|武器|弓| |~|~|LV|35| |~|~|備考|&small(){関羽配下の都督。関羽に従って樊城に進攻した際、留守の領地を呉に侵略され孤立。関羽、関平とともに捕らえられた。&br()横山漫画では演義同様に呂蒙へ手紙を出す進言をする場面で登場するが名前出ず。}| |~|~|コメント|&small(){私は【関羽】将軍の軍前都督、つまり糧秣官だ&br()【関羽】将軍が気兼ねなく戦陣に集中できるようお支えするのが、私の役目だ}| &ref(招聘趙累.jpg) ・孟達 2009/05/30~  招聘:海堂僚 |&ref(f00-孟達.jpg)||名前[ヨミ]|''孟達''[モウタツ] 字:子敬→子度| |~|~|武器|弓| |~|~|LV|| |~|~|備考|&small(){扶風出身。同郷の法正とともに益州へ。劉璋には重用されず、劉備には気に入られ、曹丕には厚遇された。関羽の死にキレる劉備を恐れ魏に降り、後に蜀への帰参の様子を見せるも、諸葛亮と司馬懿に翻弄されgdgdのうちに司馬懿に討たれる。度々微妙な立場に立たされる不幸の人(?)演義では徐晃を弓で討ち取る架空の大殊勲をいただいている。}| |~|~|コメント|&small(){【劉備】様は明君だが、義兄弟の【関羽】【張飛】両将軍が絡むと、公人としての立場をお忘れになる&br()それが仇とならねばよいのだがな&br()&br() 【劉備】様は俺を【劉封】殿の補佐役にしようとしているようだが……どうもな}| &ref(客将0530孟達.jpg) &br() ***初客将降臨 李厳将軍初降臨。なんかただのストーカーで終わってしまいました。 &ref(客将李厳-1.jpg) &br() 終了間際で申し訳ない。しかも直後に罠にかかりまくったりSS撮ったりで、敵が射程に入らなかったせいか李厳何も出来ずw 攻撃した直後に来た気がします。どこかで見た降臨の目安「個人800点」という噂もそれほど的外れではないかも。 &ref(客将李厳-3.jpg) &br() ログ抜粋 (23:43:43) 彫銘の「連撃」は○○に280のダメージ (23:43:43) 彫銘の「連撃」は○○に280のダメージ (23:43:43) 那須王は「火炎柱」の効果を受けました (23:43:43) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! &br() ***客将参戦ボーダー 7/4 対呉 第三陣  戦術 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:787 (23:43:43) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! 7/19 対魏 第三陣  投射 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:786 (23:42:25) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! 7/25 対呉 第二陣  妖術 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:758 (23: 7:50) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! 7/26 対呉 第一陣  投射 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:824 (22:42:16) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! ――――――――――――(ボーダー)―――――――――――― 7/8 対魏 第二陣  攻撃 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:721 7/24 対呉 第三陣  投射 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:733               兵器建造/破壊    終了時得点:58  &br() ****考察 7/24 第二陣 (23: 7:50) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! (23: 7:50) 彫銘の「気閃撃」は○○○に202のダメージ (23: 7:50) 彫銘は○○○を倒しました ログの順番は逆になってますが、この時入ったポイントでフラグが立ったようです。 これ以降のログには回復攻撃一切ありません。(混乱で味方叩いて57ダメージ以外は) 結果の撃破/蘇生点は758。客将は750点に達した時に降臨する、と考えてほぼ間違いなさそうです。 尚、第三陣の結果では撃破/蘇生733、兵器建造/破壊58。李厳は来ていません。 この事から、客将参戦は敵兵撃破/味方蘇生の得点のみで750がきっかけと想像できます。 2回目以降は1500、2250…と750の倍数が契機でしょう。 また、他の人が呼んで参戦中にポイントボーダーを超えた場合は無効になるようです。ポイントを稼いでいても、タイミングによっては呼べないという事もあります。 &br() 09/02/15 自論を証明するキリのいい点をGET! 二回目の召喚とほぼ同時に死亡し、そのまま終了。点数もドンピシャですw ↓彫銘個人結果(彫那張サブの3妖速化コバンザメ。) &ref(0215-1500p.jpg) ''ログ抜粋'' 一回目 &color(red){(20:50:33) 『伏龍の眼』の客将【劉封】が【彫銘】の加勢として参陣!}    ・    ・    ・ 死亡とほぼ同時に二度目の降臨 &color(red){(21:11:15) 『伏龍の眼』の客将【劉封】が【彫銘】の加勢として参陣!} (21:11:15) 彫銘の気力が、彫銘の「痛覚麻痺」により0の回復 (21:11:15) 彫銘の気力が、彫銘の「気力獲得」により0の回復 (21:11:15)    の「突進」は彫銘に216のダメージ (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「落心」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「落心無効」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「鼓舞」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「徒党速化」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「戦法回復時間」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「祝福」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「痛覚麻痺」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「気流飛散」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「精神集中」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は   に倒されました    ・    ・    ・ (21:14:58) 復活しました (21:15: 3) 合戦が終了しました これ以降の戦闘は行えなくなります (21:15: 3) この合戦は、我々の勝利となりました &br()
&br() ***客将履歴 ・李厳 2008/06/29~2008/07/29 招聘:海堂僚 |&ref(f00-0.jpg)||名前|李厳(字:正方)| |~|~|武器|大刀| |~|~|Lv|45| |~|~|備考|&small(){文武とも優れた蜀漢屈指の将。劉備から諸葛亮らとともに後事を託され、蜀の中枢を担う。しかし、北伐の後方支援で兵糧輸送に手間取り、それを隠蔽しようとした事から平民に落とされる。}| |~|~|コメント|&small(){私が文にも優れていると見抜かれるとは、【諸葛亮】軍師は人を見る目があるだが、この状況下で『魏』との戦線に兵糧を供給し続けるのは、至難の業だ……}| ・麋芳 2008/11/03~2008/12/09 招聘:海堂希 |&ref(f00-麋芳.jpg)||名前|麋芳(字:子方)| |~|~|武器|弓| |~|~|Lv|35| |~|~|備考|&small(){兄は糜竺、妹は糜夫人。劉備の徐州時代から兄とともに仕える。入蜀後は荊州南郡を預かるが総督関羽と不和となり、樊城攻略時に傅士仁と共に呉と内通し降伏。その後演義では仇として討たれるが、正史では賀斉配下となっている。一般的に関羽敗死の原因である裏切り者で嫌われキャラ。}| |~|~|コメント|&small(){私の妹は【劉備】様の妻だった&br()つまり私は『蜀』の皇族に連なる身というわけだ&br()ふっふっふ}| ・劉封 2009/01/17~02/16  招聘:彫銘 |&ref(f00-劉封.jpg)||名前|劉封(字不明)| |~|~|武器|双剣| |~|~|Lv|40| |~|~|備考|&small(){劉備の養子で元は長沙の寇氏。(正史では)阿斗誕生以前、実子のなかった劉備の養子となる。孟達と上庸駐留中、関羽の救援要請を断り、結果見殺しにしてしまう。その後孟達は魏へ奔り、上庸も失う事になった。成都に戻った劉封は一連の責により死を賜る。}| |~|~|コメント|&small(){俺は養子だ&br()父上のお役に立てれば、それ以上、望むことなどない}| &ref(劉封招聘.jpg) ・趙累 2009/04/29~05/29  招聘:彫銘 |&ref(http://www7.atwiki.jp/eyesofhermitdragon?cmd=upload&act=open&pageid=23&file=%EF%BD%8600-%E8%B6%99%E7%B4%AF.jpg)||名前(愛称)|''趙累''| |~|~|武器|弓| |~|~|LV|35| |~|~|備考|&small(){関羽配下の都督。関羽に従って樊城に進攻した際、留守の領地を呉に侵略され孤立。関羽、関平とともに捕らえられた。&br()横山漫画では演義同様に呂蒙へ手紙を出す進言をする場面で登場するが名前出ず。}| |~|~|コメント|&small(){私は【関羽】将軍の軍前都督、つまり糧秣官だ&br()【関羽】将軍が気兼ねなく戦陣に集中できるようお支えするのが、私の役目だ}| &ref(招聘趙累.jpg) ・孟達 2009/05/30~06/30  招聘:海堂僚 |&ref(f00-孟達.jpg)||名前[ヨミ]|''孟達''[モウタツ] 字:子敬→子度| |~|~|武器|弓| |~|~|LV|| |~|~|備考|&small(){扶風出身。同郷の法正とともに益州へ。劉璋には重用されず、劉備には気に入られ、曹丕には厚遇された。関羽の死にキレる劉備を恐れ魏に降り、後に蜀への帰参の様子を見せるも、諸葛亮と司馬懿に翻弄されgdgdのうちに司馬懿に討たれる。度々微妙な立場に立たされる不幸の人(?)演義では徐晃を弓で討ち取る架空の大殊勲をいただいている。}| |~|~|コメント|&small(){【劉備】様は明君だが、義兄弟の【関羽】【張飛】両将軍が絡むと、公人としての立場をお忘れになる&br()それが仇とならねばよいのだがな&br()&br() 【劉備】様は俺を【劉封】殿の補佐役にしようとしているようだが……どうもな}| &ref(客将0530孟達.jpg) &br() ***初客将降臨 李厳将軍初降臨。なんかただのストーカーで終わってしまいました。 &ref(客将李厳-1.jpg) &br() 終了間際で申し訳ない。しかも直後に罠にかかりまくったりSS撮ったりで、敵が射程に入らなかったせいか李厳何も出来ずw 攻撃した直後に来た気がします。どこかで見た降臨の目安「個人800点」という噂もそれほど的外れではないかも。 &ref(客将李厳-3.jpg) &br() ログ抜粋 (23:43:43) 彫銘の「連撃」は○○に280のダメージ (23:43:43) 彫銘の「連撃」は○○に280のダメージ (23:43:43) 那須王は「火炎柱」の効果を受けました (23:43:43) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! &br() ***客将参戦ボーダー 7/4 対呉 第三陣  戦術 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:787 (23:43:43) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! 7/19 対魏 第三陣  投射 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:786 (23:42:25) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! 7/25 対呉 第二陣  妖術 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:758 (23: 7:50) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! 7/26 対呉 第一陣  投射 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:824 (22:42:16) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! ――――――――――――(ボーダー)―――――――――――― 7/8 対魏 第二陣  攻撃 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:721 7/24 対呉 第三陣  投射 敵兵撃破/味方蘇生 終了時得点:733               兵器建造/破壊    終了時得点:58  &br() ****考察 7/24 第二陣 (23: 7:50) 『伏龍の眼』の客将【李厳】が【彫銘】の加勢として参陣! (23: 7:50) 彫銘の「気閃撃」は○○○に202のダメージ (23: 7:50) 彫銘は○○○を倒しました ログの順番は逆になってますが、この時入ったポイントでフラグが立ったようです。 これ以降のログには回復攻撃一切ありません。(混乱で味方叩いて57ダメージ以外は) 結果の撃破/蘇生点は758。客将は750点に達した時に降臨する、と考えてほぼ間違いなさそうです。 尚、第三陣の結果では撃破/蘇生733、兵器建造/破壊58。李厳は来ていません。 この事から、客将参戦は敵兵撃破/味方蘇生の得点のみで750がきっかけと想像できます。 2回目以降は1500、2250…と750の倍数が契機でしょう。 また、他の人が呼んで参戦中にポイントボーダーを超えた場合は無効になるようです。ポイントを稼いでいても、タイミングによっては呼べないという事もあります。 &br() 09/02/15 自論を証明するキリのいい点をGET! 二回目の召喚とほぼ同時に死亡し、そのまま終了。点数もドンピシャですw ↓彫銘個人結果(彫那張サブの3妖速化コバンザメ。) &ref(0215-1500p.jpg) ''ログ抜粋'' 一回目 &color(red){(20:50:33) 『伏龍の眼』の客将【劉封】が【彫銘】の加勢として参陣!}    ・    ・    ・ 死亡とほぼ同時に二度目の降臨 &color(red){(21:11:15) 『伏龍の眼』の客将【劉封】が【彫銘】の加勢として参陣!} (21:11:15) 彫銘の気力が、彫銘の「痛覚麻痺」により0の回復 (21:11:15) 彫銘の気力が、彫銘の「気力獲得」により0の回復 (21:11:15)    の「突進」は彫銘に216のダメージ (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「落心」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「落心無効」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「鼓舞」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「徒党速化」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「戦法回復時間」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「祝福」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「火炎柱」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「痛覚麻痺」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「気流飛散」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は「精神集中」の効果が消滅しました (21:11:15) 彫銘は   に倒されました    ・    ・    ・ (21:14:58) 復活しました (21:15: 3) 合戦が終了しました これ以降の戦闘は行えなくなります (21:15: 3) この合戦は、我々の勝利となりました &br()

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