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*ナオミとカナコ #amazon(right,4344026721) 題名:ナオミとカナコ 作者:奥田英朗 発行:幻冬舎 2014.11.10 初版 価格:\1,700  題材が複数女性たちによる殺人であることを、まだ買うかどうかもわからない書店のお客さんに、本書は帯で知らせてしまっている。幻冬舎という出版社は、二人の女性ナオミとカナコが、一人の男を殺すことを先に教えてくれるという売り出し方に決めたのだ、おそらく作者の了承のもとに。  最初からそんなことを教えてしまっていいのだろうか、と不思議に思いながらこの本を手に取り、なおかつお金を払って買って持ってゆくぼくという読者は、奥田英朗という作家のストーリーテリングの巧さも、あくの強いキャラクター描写も、物語の皮肉な展開や、あちこちに仕込まれた毒も、何となく免疫ができていて、だからこそ信頼がおけるからこの本に期待を賭けるのだ。  そしてこの本はそういう読者を全然裏切らなかった。前作『沈黙の町で』は、まるで宮部みゆき『ソロモンの偽証』と同じような設定でなおかつ出版時期も近かった。少し驚いたのだが、本書は女性たちによる殺人、だ。少し古い作品になるが桐野夏生の『OUT』は映画にもなったし原作が出た時の衝撃は忘れ難い。そういう話になるのかな、とまずは前半<ナオミの章>を読み始める。  もちろんすぐに殺人に至るわけではない。ナオミはデパートの外商部に勤務する外回りの職員だが、本来美術館に勤務するために学芸の資格も取っている。不満を抱えながら日々の仕事を抱えて顧客回りを繰り返す日々であり、実は最初は彼女のそういった人生の断面が延々と語られる。それが、なぜか面白い。  そして友人のカナコは夫のDVに苦しめられていることを知り、二人で男を殺そうということになってゆくのだが、そこに至る必然性というようなものが、何であるのか、不条理なものでありながら、選択肢のない隘路へと追い込まれている、現代日本の若い女性たちの生態、のようなものが書き込まれてゆく。隙がなくテンポの良い語り口で読者は彼女らの内なる不幸、衝動、計画、不安、決断などなどをともに体験してゆくことになるのである。  後半は<カナコの章>で、いきなり描写対象がもう一人の女性に移動する。よくある交互に移動しつつ、二人のヒロインを描き分けるのではなく、ある時点を境に二人の視点が入れ替わるという、なんだかあまり慣れない構成も、奥田英朗らしい仕掛けである。  静から動へと移るポイントがこの小説の読みどころである。何となくどこにもいる女性たちである彼女たちの誰にでも共感されてしまいそうな平凡な心理が、殺人という計画に踏み出すことで、異常なる世界へと彼女たちの人生をスライドさせてゆく、その縫い目が見えにくいところが、無理なく、自然で、凄みに溢れているように思う。  また映画を引き合いに出すが、アカデミー章に輝いた『アルゴ』の面白さを髣髴とさせるスリルを、この小説は実現している。詳細は描けないが、娯楽小説としての多くの要素を満たしてこの小説は静から動へと加速してゆく。じっくりと描かれる静があればこそ、ラストへの疾走感が生きている。構成の妙と、キャラクターの個性と、リアルな日常を舞台にして描かれる犯罪の質感と、すべてを味わって頂きたい、娯楽小説の鏡と言える力作である。 (2015.02.02)
*ナオミとカナコ #amazon(right,4344026721) 題名:ナオミとカナコ 作者:奥田英朗 発行:幻冬舎 2014.11.10 初版 価格:\1,700  題材が複数女性たちによる殺人であることを、まだ買うかどうかもわからない書店のお客さんに、本書は帯で知らせてしまっている。幻冬舎という出版社は、二人の女性ナオミとカナコが、一人の男を殺すことを先に教えてくれるという売り出し方に決めたのだ、おそらく作者の了承のもとに。  最初からそんなことを教えてしまっていいのだろうか、と不思議に思いながらこの本を手に取り、なおかつお金を払って買って持ってゆくぼくという読者は、奥田英朗という作家のストーリーテリングの巧さも、あくの強いキャラクター描写も、物語の皮肉な展開や、あちこちに仕込まれた毒も、何となく免疫ができていて、だからこそ信頼がおけるからこの本に期待を賭けるのだ。  そしてこの本はそういう読者を全然裏切らなかった。前作『沈黙の町で』は、まるで宮部みゆき『ソロモンの偽証』と同じような設定でなおかつ出版時期も近かった。少し驚いたのだが、本書は女性たちによる殺人、だ。少し古い作品になるが桐野夏生の『OUT』は映画にもなったし原作が出た時の衝撃は忘れ難い。そういう話になるのかな、とまずは前半<ナオミの章>を読み始める。  もちろんすぐに殺人に至るわけではない。ナオミはデパートの外商部に勤務する外回りの職員だが、本来美術館に勤務するために学芸の資格も取っている。不満を抱えながら日々の仕事を抱えて顧客回りを繰り返す日々であり、実は最初は彼女のそういった人生の断面が延々と語られる。それが、なぜか面白い。  そして友人のカナコは夫のDVに苦しめられていることを知り、二人で男を殺そうということになってゆくのだが、そこに至る必然性というようなものが、何であるのか、不条理なものでありながら、選択肢のない隘路へと追い込まれている、現代日本の若い女性たちの生態、のようなものが書き込まれてゆく。隙がなくテンポの良い語り口で読者は彼女らの内なる不幸、衝動、計画、不安、決断などなどをともに体験してゆくことになるのである。  後半は<カナコの章>で、いきなり描写対象がもう一人の女性に移動する。よくある交互に移動しつつ、二人のヒロインを描き分けるのではなく、ある時点を境に二人の視点が入れ替わるという、なんだかあまり慣れない構成も、奥田英朗らしい仕掛けである。  静から動へと移るポイントがこの小説の読みどころである。何となくどこにもいる女性たちである彼女たちの誰にでも共感されてしまいそうな平凡な心理が、殺人という計画に踏み出すことで、異常なる世界へと彼女たちの人生をスライドさせてゆく、その縫い目が見えにくいところが、無理なく、自然で、凄みに溢れているように思う。  また映画を引き合いに出すが、アカデミー章に輝いた『アルゴ』の面白さを髣髴とさせるスリルを、この小説は実現している。詳細は描けないが、娯楽小説としての多くの要素を満たしてこの小説は静から動へと加速してゆく。じっくりと描かれる静があればこそ、ラストへの疾走感が生きている。構成の妙と、キャラクターの個性と、リアルな日常を舞台にして描かれる犯罪の質感と、すべてを味わって頂きたい、娯楽小説の鏡と言える力作である。 (2015.02.02)

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