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**萬月放談 作者:花村萬月 発行:KKベストセラーズ 2003.06.10 初版 価格:\1,400  萬月という人は文章は凄いが、会話はというと、本質が照れ屋なのか、あまり達人とは言えない。笑顔で協調性の良さを前面に出してくれるという印象がある。とはいえ、ぼくは30分ほどしかまともに話したことがないし、それは何人もの酔っ払いに囲まれてのだらしのない雰囲気の中であったから、そも本質などとは縁遠い判断であると思うけれども。  ともかくそうした、必ずしも饒舌とは言えない作家が、対談集を出しているということ自体が少し驚きである。彼の書く作中人物が、真剣な場面を平気でおちゃらけさせてしまうことの多い印象は、作家本人とも同一なのであり、それは本書を読んでも一貫して感じられる。要するに、やはり萬月氏は相手の話を引き出し、そこに美味く絡み込むというのではなく、狂言回しであり、後にそれを分析する語り部として、物凄く距離を置いて存在しているのだ。  そのくせ、存在感は人一倍あるのが萬月という人である。笑いもあり、毒もある。その毒の部分がことさらこの作家の場合強い。女とはあれこれ関わると面倒だからオナニーで済ませちまう、とは作家の言い草で、これは対談の中で何度も繰り返される表現である。人間関係に対する、この年齢の人間のバランスの取れた現実感覚をとてもしっかりと持った職業作家だと、感じさせてしまう。  ちなみにこの本、この対談集の題材は、すべて「性産業」なのである。「性」を題材にしているというより、「性」はより間接的に(つまり商品として、取材対象として)扱われ、対談をする18名の老若男女においては、これすべて「性産業」に関わる人として取り上げられている、と言っていい。もちろん小説家も性産業というくらいの拡大解釈もあり、として。  18名の人物のうち、ぼくの名前なり顔なり、知っている人は、4名しかいなかった。うちオカマのひかるちゃんを知っているのは、確か馳星周が(多分「本の雑誌」連載の頃だから、ブレイクする前の本名で)別冊宝島「変態さんがいく」向けに取材していたものを読んだから(ひかるちゃんはもしかしたら全くの別人かもしれない、そうだったらごめんなさい)。  残りの人も大して知っているわけではない。高橋がなり、村西とおる、室井祐月は、テレビを見る人なら大抵知っているでしょう?  対談そのものは、男が相手だと、何故か性とは無関係の部分が多い。むしろ人生の深み、本質に関わるものへの言及が多い。一方、女が相手だと萬月氏が変にやにさがってしまうせいなのか、男女の壁に強烈なテレを感じる存在であるからなのか、そのあたりはよくわからないのだが、軽くあまり意味のない会話に終始し、むしろ空気が感じ取れるようなものが多いように思う。それに活字にされなかった多くの秘密話が多いとは、それぞれ明記されており、読者としては凄く気になる。  男と話すよりも女と話すほうが圧倒的に下ネタが多いのも萬月氏の特徴。これも彼の書く作中人物と共通する要素かもしれない。  さて対談の後には、必ず簡単な人物評を萬月氏が入れる。雑誌連載時は、ここまでで、その後、単行本として纏めるに当たって、萬月氏はさらなる追記を各章に試みており、そこに見られる若干の時間差が、別の切り口を示してくれている。このあたりは大変興味深い。  花村萬月は、性と暴力の作家である。性関連の対談集はおよそ必然であったと言えるし、この対談に出てくる女性の一部の趣向などは、後の彼の作品に使われているのではと、思い当たる節がある。  もう一方の作家的テーマである暴力についての対談集は難しいとは思うが……と、ぼく自身は無責任ながらも、実は切望している次第。 (2006/02/25)
**萬月放談 #amazon(4584187428,image) 作者:花村萬月 発行:KKベストセラーズ 2003.06.10 初版 価格:\1,400  萬月という人は文章は凄いが、会話はというと、本質が照れ屋なのか、あまり達人とは言えない。笑顔で協調性の良さを前面に出してくれるという印象がある。とはいえ、ぼくは30分ほどしかまともに話したことがないし、それは何人もの酔っ払いに囲まれてのだらしのない雰囲気の中であったから、そも本質などとは縁遠い判断であると思うけれども。  ともかくそうした、必ずしも饒舌とは言えない作家が、対談集を出しているということ自体が少し驚きである。彼の書く作中人物が、真剣な場面を平気でおちゃらけさせてしまうことの多い印象は、作家本人とも同一なのであり、それは本書を読んでも一貫して感じられる。要するに、やはり萬月氏は相手の話を引き出し、そこに美味く絡み込むというのではなく、狂言回しであり、後にそれを分析する語り部として、物凄く距離を置いて存在しているのだ。  そのくせ、存在感は人一倍あるのが萬月という人である。笑いもあり、毒もある。その毒の部分がことさらこの作家の場合強い。女とはあれこれ関わると面倒だからオナニーで済ませちまう、とは作家の言い草で、これは対談の中で何度も繰り返される表現である。人間関係に対する、この年齢の人間のバランスの取れた現実感覚をとてもしっかりと持った職業作家だと、感じさせてしまう。  ちなみにこの本、この対談集の題材は、すべて「性産業」なのである。「性」を題材にしているというより、「性」はより間接的に(つまり商品として、取材対象として)扱われ、対談をする18名の老若男女においては、これすべて「性産業」に関わる人として取り上げられている、と言っていい。もちろん小説家も性産業というくらいの拡大解釈もあり、として。  18名の人物のうち、ぼくの名前なり顔なり、知っている人は、4名しかいなかった。うちオカマのひかるちゃんを知っているのは、確か馳星周が(多分「本の雑誌」連載の頃だから、ブレイクする前の本名で)別冊宝島「変態さんがいく」向けに取材していたものを読んだから(ひかるちゃんはもしかしたら全くの別人かもしれない、そうだったらごめんなさい)。  残りの人も大して知っているわけではない。高橋がなり、村西とおる、室井祐月は、テレビを見る人なら大抵知っているでしょう?  対談そのものは、男が相手だと、何故か性とは無関係の部分が多い。むしろ人生の深み、本質に関わるものへの言及が多い。一方、女が相手だと萬月氏が変にやにさがってしまうせいなのか、男女の壁に強烈なテレを感じる存在であるからなのか、そのあたりはよくわからないのだが、軽くあまり意味のない会話に終始し、むしろ空気が感じ取れるようなものが多いように思う。それに活字にされなかった多くの秘密話が多いとは、それぞれ明記されており、読者としては凄く気になる。  男と話すよりも女と話すほうが圧倒的に下ネタが多いのも萬月氏の特徴。これも彼の書く作中人物と共通する要素かもしれない。  さて対談の後には、必ず簡単な人物評を萬月氏が入れる。雑誌連載時は、ここまでで、その後、単行本として纏めるに当たって、萬月氏はさらなる追記を各章に試みており、そこに見られる若干の時間差が、別の切り口を示してくれている。このあたりは大変興味深い。  花村萬月は、性と暴力の作家である。性関連の対談集はおよそ必然であったと言えるし、この対談に出てくる女性の一部の趣向などは、後の彼の作品に使われているのではと、思い当たる節がある。  もう一方の作家的テーマである暴力についての対談集は難しいとは思うが……と、ぼく自身は無責任ながらも、実は切望している次第。 (2006/02/25)

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