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永遠の仔








題名:永遠の仔
作者:天童荒太
発行:幻冬舎 1999.3.10 初版
価格:上\1,800/下\1,900

 ぼくにとっては、もう今年の日本作品のベストはこの作品で決まりかな、と思う。天童荒太は少し癖のある作家で、もともと栗田教行の名で『白の家族』というどちらかと言えば純文学系の中編集を発表した。この作家のテーマは「闘う子供たち」。

 その後、『孤独の歌声』『家族狩り』で子供をテーマにしながらもグロテスクなサイコ系ミステリー作家としてその名を高からしめたときには既に現在の天童荒太の名を使っていた。本人の中で純文系からエンターテインメント系大衆小説というメディアへ展開の場を変えたための改名であったのかもしれない。

 ぼくは今でも覚えている。『白の家族』を読んだきっかけは、冒険小説&ハードボイルドフォーラムのアクティブ・メンバーであったバンディーダ君、つまり作家・馳星周となる前の書評家・坂東齢人に薦められたためである。

 虐げられる側の視点から本当に書かれる作品というのは実は少ない。アンドリュー・ヴァクスだって、あの幼児虐待ミステリーであるバークシリーズを、決して虐げられる側からではなく、虐げる人間を憎む男の視点で書いている。

 前職で少年たちの救済と関わっていたという軒上泊という作家もまた、救う側の男の視点での探偵をシリーズ化している。

 しかし、本当に虐げられて魂の救済を求めている子供たちの未来について書かれた、しかもそれがエンターテインメント系ミステリーの形をとって書かれたものというのは、この作品以外にちょっと記憶にない。

 主題自体はとてつもなく深刻な暗闇の物語なのだが、これを我々のような一般大衆の側と接続したという感の強い、読みやすさ、面白さ、読み応え……と言っていい。そうでなければこのような小説の価値はない。

 浅田次郎が、小説というのは大衆の側のものでなければならないと言っている。何が純文学で何が大衆小説か、の権威づけなぞ必要ないと。常に小説というのは一般大衆に向けて読める形で発信される表現方法でなければならない。ぼくだって、だからこそ小説が好きなのである。

 よくノンフィクションが好きだという人がいるし、ぼくも事実の凄味に唖然とさせられることはあるけれども、やはり小説という形でしか表現されない何ものかというものはあるように思う。本書『永遠の仔』はそういう意味で本当に小説らしい小説であった。

 子供時代のトラウマ、屈折した精神のその後の成長、そして老醜。親と子の切っても切れぬ血であるはずのもの。それらがほころびたときに深く傷を負う者たち。血の軋轢。孤独から救済されることの喜び。共感。

 ジラフが横浜のレストランで養父母と食事をするシーンがなにげなく語られる1シーンがあるが、ぼくはじんじん響いてきてしまった。シンプルに語り尽くせないいろいろな心の重みをそのシーンに感じ、ラストへと引っ張られてしまった。何も終わっていない物語であるのかもしれない。だけどいろいろなことがこれから始まる物語であるように、ぼくには思える。

 この作家の作品に対する真摯な姿勢と、読者的喜びのすべてを、感じ取ることができた。一生大切にしてゆきたいほどの魂の根源的な物語……と言ってしまおう。

(1999.04.12)
最終更新:2008年01月08日 00:37