灰燼の暦 満州国演義V





題名:灰燼の暦 満州国演義 V
作者:船戸与一
発行:新潮社 2009.01.30 初版
価格:\2,000



 満州国演義も早くも第5巻になるのだが、ところで、ここまで明確に歴史小説としての存在感を前面に出した作品というのは、これまでの船戸小説にはあまりなかったわけで、従来の冒険小説畑としての船戸ファンというのは、このシリーズをどんな思いで捉えているのだろうか。

 もちろん架空の主人公を据えて狂言回しとして躍らせ、実はイデオロギーを歴史のなかに語ろうとする方法は、船戸がこれまで採ってきたものである。小説という手法は、娯楽小説であるゆえに普及し、普遍化してゆく表現であり伝達手段であると思う。娯楽小説、つまり戯作ならではの一般性である。新書のようなドキュメンタリーの手法は、よほどでなければ普遍化しないが、船戸という名、そして冒険小説という形態でならば、歴史は、そこらの教科書以上に記憶に食い込む。

 ぼくがこのシリーズを読むとき、常に脳裏に思い描くのは五味川純平の大作小説『戦争と人間』である。船戸がこのシリーズで満州における日本の侵略の歴史を辿ろうとするとき、その対象となる時代は、五味川純平がかつて辿った道である。同じ娯楽小説という形をして普遍化しようとしながら、もっと表現に対する圧力の強い時代に、五味川は同じ道の先行者であった。

 今、『戦争と人間』を読もうとしても、わずかに光文社文庫の古本という形でしか入手することはできない。しかし船戸は五味川の歩んだ満州の道を、ほぼなぞっているかに見える。異なる風景、異なる場所、異なる人物であっても、あの大地に繰り広げられた民間による侵略、軍部の台頭、暗躍する特務機関といった空気はまさに、同じものをなぞったものであるように見える。

 本書は、前作の二・二六事件を受けていよいよ南京事件に突入する。軍部の腐敗に歯止めをかける軍隊内内戦は二・二六の主犯者たちを処刑することで終焉したのだ。五味川純平の『戦争と人間』も本シリーズも二・二六事件が重要な歴史的局面であることを示唆するかのように、どちらも膨大なページ数を費やしている。

 南京事件では『戦争と人間』において登場人物らに重要な転機が訪れる。日本側が中国側に行った虐殺に対し、中国側が日本人に対し虐殺でもって応える。兵士たちという枠を飛び越えて、民間人に悲劇は及ぶ。戦争が、戦争というルールを持っていた最低の名目さえ失ってゆくプロセスが、このあたりで露わに剥かれて行く。これは船戸も五味川も同様である。いや、船戸の方がまだヤワだと言っていいくらいだ。

 船戸の創作した四兄弟、五味川の創作した五代コンツェルンの一族。どちらも架空の主役たちだが、時代に翻弄され運命を狂わされてゆくという点では、まぎれもなく同じだ。歴史の歯車を裏側から動かしている顔として、特務機関の工作員の脅威がある点もまさしく同じ構図だ。

 五味川の大作は五代一族のカタストロフで終る。船戸の大作もまた、敷島四兄弟の滅びを持って終焉するのだろうか。時代の歯車は、ぎしぎしと、より重たげに、向こう側に、回転しようとしている。

(2009/05/06)
最終更新:2009年05月06日 19:35