アマルフィ
題名:アマルフィ
作者:
真保裕一
発行:扶桑社 2009.04.30 初版
価格:\1,500
真保裕一はその後どうなっているのだろう。しばらくご無沙汰してしまった作家である。ある時期とても気に入っていたのに、一作ごとに猫の目のように変わる作風と、テーマの変遷に少し疲れてしまい、その後追いかけるのをぱたっとやめてしまった作家、というと失礼かもしれないけれど、ぼくの側の真実だ。
最後に良かったと思ったのは『
発火点』『
誘拐の果実』『
繋がれた明日』と、読んできて、ああ、最早、ぼくの求める娯楽小説のジャンルではないかなと思い始めてしまったのだ。人間を描きたいというのは作家として必然だし、ぼくの方だって人間を読みたい。だけど上の三作を通じて得たものは、薄っぺらな道徳小説みたいな人間だった。誰もがいい子ちゃん過ぎる、というのが真保裕一の弱点ではないか、と思ってしまったときに、ぼくは彼の作品に別れを告げてしまっていた。
人間の進む方向を示唆したり、万人が迷った時にはこうした方がいいだろう、というような教義に飛んだような作風が鼻についた。何よりも神保という人の毒性のなさが鼻についた。君は健康優良児か、と言いたくなった。そういう作家がたまにいるのだ。
帚木蓬生とかね。知人にもたまにいる。いいことを言うのだけれど、何だか五月蝿い。
だからその場合、ぼくは二つの違った方向性を持つ作家たちに憧れる。徹底して毒性を帯びた作家。課題を提示するのだけれど、結論は読者に委ねるからね、という方針の徹底。これは嬉しい。
もう一つは、人間描写などというものをアクションの内側に取り込んでしまって、娯楽の伝達に徹底すること。人間が何であるのか、どう生きたらいいのかなんていうせせこましい悩みは、物語でいうところの美味しいネタくらいに考えて、娯楽小説の完成度をひたすら目指すタイプ。それはそれで説教臭さなどとは対極的な方向にあって、皮肉とシニカルさをクールにスタイリッシュに描いてくれればそれでいいのである。
その意味で、久々に手に取った本書、もともとフジテレビ50周年の映画との共同企画というだけあって、目的が明確である。だからか、神保さんのタッチもなかなかいい感じである。
アマルフィとはイタリア南部にある美しい港町。映画は、7月公開のオール・イタリア・ロケらしい。今、しきりにフジテレビ系のあちこちで宣伝活動を繰り広げているから、映像の一部を見た人は多いかもしれない。
映画では、配役からして少し設定が変わると思うけれど、このスケールを映画でやるならばそれなりに楽しそうだ。しかし織田裕二、佐藤浩一といった『
ホワイトアウト』以来の、真保裕一トリオというのは、どうだろうか。『ホワイトアウト』は原作の方がよほど良かったので、こちらも扶桑グループの行き過ぎが、少し心配である。
さらに織田裕二のイメージとこの小説の主人公のイメージはあまりにも合わない。それをどう映画や俳優が埋めてくれるのかは、想像もできない。いずれにせよ、真保裕一のなかでぼくが問題視していた青臭い主人公像は、この小説はしっかりと拒否している。それが何よりも嬉しい。娯楽に徹した、と言える作品に仕上がっていると思う。
しかし、イタリア・オールロケというには、ちとちまちました感じがあるが、この辺はもう少し枠から外れて欲しかった気もする。どこまで真保裕一に権限が許されていたのか、映画が先なのか小説が先なのか、わからない。
でも神保という作家にはこの方向で進んで
欲しいと思う。映画が話題になって、作家としてある覚悟を持って今後の小説作りに職人的徹底を施してくれるならば、ぼくはまたこの作家の本を読み始めるのかもしれない。ゆえに、映画の観客動員数がどのくらいになるかを、密かにだが期待している。
(2009/06/14)
最終更新:2009年06月14日 23:40