嘘に抱かれた女



題名:嘘に抱かれた女
原題:Little Grey Mice (1992)
作者:ブライアン・フリーマントル Brian Freemantle
訳者:染田屋茂
発行:新潮文庫 1995.11.1 初版
価格:\800


 極秘情報に接近できるいわゆるオールドミスでとっても気弱な女性秘書に、彼女の昔の恋人に似ているというだけで選ばれたロシアからのスパイが近づき情報を得ようと努力する。筋立てはこんなものなのだけど、フリーマントルは、ぼくは常々言っているように、その語りの巧さで引っ張ってゆく作家だと思う。こういうシンプルなストーリーがなぜこんなに分厚い本になるんだろうか、というむしろ即物的なミステリアスな心境もぼくの読書的好奇心をいつも満たしてくれている。

 その好奇心に見合うだけの内容と作品世界の深み、リアリティ、同時代性など様々な点で優れているからこそ、陳腐なように見える筋立てや「セックススパイ」なんていう帯による下世話な広告さえをも作品は、ぐいぐいと凌駕して上質なものになって行くのであり、そういう部分がフリーマントルという作家の愛読者にはたまらない喜びであったりもする。

 シンプルな中に含まれるのは、このポスト冷戦の時代にまだ生きている諜報戦の皮肉であり、また自信たっぷりのロシア・スパイ対、生きることへの自負や夢などまるでない慎ましい日々を送る中年女性の辿る運命への皮肉でもあり、いつもながら冷酷非常な作者のペンが、非常に客観的な筆致で物語を綴ってゆく。思わぬ面白さの発見できる、職人技とも言える一冊ではないだろうか。

(1996.02.03)
最終更新:2013年04月29日 18:47