夢幻花




題名:夢幻花
著者:東野圭吾
発行:PHP研究所 2013.05.02 初版
価格:\1,600



 またも読み応えのある長編で勝負してきた東野圭吾。一見、地味な事件である。花を育てることが好きな老人の一人暮らし。ある日、殴打により殺害されているのを孫娘が発見する。なくなったのは珍しい花が咲いたと孫娘に数日前話していた植木鉢一つ。

 タイトルが花である。植物に謎の題材が込められているのは間違いない。そうは思いながら、全然別の事件、別の人種が別のストーリーを歩み始める。様々に二つの物語は交錯するのだが、とらえどころがないというのが、読んでいる間の感覚である。謎の解き方はわからないし、人間たちがどう動いているのかもわからない。

 蒼太と梨乃という二人の若い男女、および若い刑事・早瀬が、三つの軸における主人公となるのだが、蒼太にとっては家族全員の思惑がわからない。初恋の少女がある日唐突に彼に背を向けたのもわからなければ、彼女が、殺人事件関係者の周りに出没し始めた理由もわからない。梨乃にとっては、出生の秘密がよくわからない。早瀬にとっては事件そのものがわからない。読者はこの、多くの「わからない」を抱え込みながら、この錯綜とした迷宮を彷徨わねばならない。

 若者たちの悩みは、この作品においては、事件とは無関係ながら重要なサブ・ストーリーとなっている。蒼太は、原子力に関する物理学を専攻して大学に通っているが、3・11以来原子力発電所の勉強をすることに徒労感を感じている。梨乃はかつて水泳のオリンピック候補だったが、そのチャンスになる競技での勝利を逃して以来、水泳そのものに強い拒絶感を感じている。自分たちがなにものであるのか、自分たちが今後何をしていいのかわからないでいる姿は、まるでそれ自体が青春小説そのものである。

 珍しい植物が呼び起こしたのかもしれない奇妙な殺人事件がもちろん軸である。ましてや、地味なはずの殺人事件なのに、怪しい組織、怪しい人物が続々と現れ、複雑化の様相を呈してゆく早瀬刑事の事件捜査プロセスは興味深い。冒頭に記述された、路上での残忍な無差別凶行殺人事件と、この事件がどう繋がってゆくのだろう。

 そうした難しい事件の背景に潜む真相に徐々に光が射し、それぞれのエピソードを繋ぐ回答が得られ、フーダニットの思いがけなさももたらされる。そして何よりも、蒼太と梨乃の未来にもしっかりした責任のある結末がもたらされる。作品の読後感が、いつもどおり爽やかな理由はそのあたりだろう。東野節、健在なり。

(2013/06/17)
最終更新:2013年06月17日 14:04