容疑者
犬が登場する小説は多分にあれど、犬の心を描く小説というのはそう多くはない。西村寿行や
稲見一良、日本のシートンと言われた戸川幸夫の名作『牙王物語』などなど。アメリカ探偵小説では、
ロバート・B・パーカーやアンドリュー・ヴァクスのどちらも家から一歩も出ない巨犬がいるが、犬の心は描写されない。
心や感情の描写をしないのがハードボイルド、であるけれど、本書は犬の感覚での喜怒哀楽まで含めた描写が最初から際立っている。犬と日頃ともに生活しているわけではないぼくのような人間でも、愛着を覚えたくなるような、それは優しく、かつ特殊能力を備えた危険な犬でもある。
さて、本作はLAを舞台にした警察ミステリ。私立探偵エルビス・コールのシリーズでお馴染みの作家ロバート・クレイスは、2010年にアメリカ探偵作家クラブの生涯功労賞を受賞。巨匠の仲間入りを果たしたこの作家、ぼくは恥ずかしながら全くノーマークだったのだが、本作品はシリーズ外の比較的新しい作品ということもあり、これを機会にと手に取ってみた次第。
物語は、いきなりアフガンの戦場で幕を開ける。哨戒および爆発探知チーム所属のミリタリー・ワーク・ドッグであるジャーマン・シェパードのマギーが、自殺的なゲリラ攻撃によって
パートナーである兵士ピートを失うシーンが痛々しい。自らも彼を庇いつつ被弾する。パートナーを守るために。
舞台は移り、深夜のパトロール中に、銃撃事件に巻き込まれた警察官スコットは、相棒のステファニーを失い、自ら被弾し意識を失う。
訓練され被弾し主を失った犬と、負傷しパートナーを失った警察官との、運命的な出会いにより、銃撃事件を探り始めるという内容の、至ってわかりやすく、かつ胸の熱くなるような再生のドラマが展開されるのだ。
素晴らしいのは、やはりストーリーテリングである。前述の通り勲章を受けた作家は、それに値する言葉と文章を駆使し、読者を惹きつける。決して急ぐことなく、一人と一匹が、徐々にPTSDから互いを救い出し合って、チームとして再起してゆく痛みさえ伝わるような日々を、事件以上に殊更丹念に描くからこそ、ことの真相や、悪党たちの正体を暴き出してゆく過程に、無償の
エールを送りたくなってくるのだ。
そして敵どもが決してやわな存在ではなく、一筋縄ではゆかない危うい気配を漂わせるからこそ、展開はスリリングで、ラストに待ち受ける対決もまたタフ極まりないものとなる。
次作『約束』で、この一人と一匹コンビは再登場するらしいが、続編と言うより、本来のエルビス・コール・シリーズでのゲスト出演といった役割になるようだ。ゲストというばかりでなく、再びこの傷だらけの名コンビが復活して元気な笑顔を見せてくれる日を期待してやまない。
(2019.04.30)
最終更新:2019年04月30日 12:49