時の娘




題名:時の娘
原題:The Daughter Of Time (1951)
著者:ジョセフィン・テイ Josepine Tey
訳者:小泉喜美子訳
発行:ハヤカワHM 1977.6.30 初版 2018.11.15 30刷
価格:\800


 歴史ミステリーは、読んだ覚えがない。安部公房の『榎本武揚』は、世に知られた榎本を裏切者として見たものだったから、あれは歴史ミステリーなのかもしれない。でも他には覚えがない。ぼくには。

 戦後の出版。生まれる前の本。ハヤカワ文庫の初版が出たのが、42年前か。ぼくはその頃はドストエフスキーか山岳書ばかり読んでいた頃。ミステリには何の関心も持っていなかった。ハードボイルドにも。冒険小説にも。

 本書は、犯人追跡中にマンホールに落ちて怪我をした警部が、入院中の退屈さを凌ぐために歴史資料をひっくり返して、子供二人を殺させた悪人として知られるリチャード三世の素顔を探る。肖像画を見ているとどうも殺人者という風に見えない。真犯人は別にいるのではないか? そんな直観が、彼を思わぬ歴史解釈へと引っ張り出す。警察捜査の手法で暴き出す歴史の真実、というところに本書の面白みがある。何せ30冊も増版を繰り返し、今なお、ミステリの傑作として名を遺しているのがこの作品なのだから。

 さて入院と言えば、ぼくも今年の一月と二月に二度、半月ずつの入院を経験した。その時には、ミステリ小説を一日か二日で一冊ずつというペースで読み、退屈と闘わずに済ませていた。それぞれの本の中の事件が一晩か二晩で解決する。そのスピードで次から次へとミステリを読み漁っていた。

 本書のグラント刑事は、何日も何日も同じリチャード三世の事件に関わり、一つの事件に対し何冊もの資料や歴史本を読み漁る。手伝いのアメリカ人学生や親しい舞台女優にも外部での調べ物を手伝ってもらいつつ事件を探る。歴史を探る。

 ミステリ読者は次から次へと新たな事件を求めるのに、捜査を職業とするグラント警部は一つの歴史的逸話の向こうの真実を暴き出そうと執念を燃やす。まずこの違いが、本作なのであると思う。執念と的確な捜査力や推理力。何を見るべきか、誰を探すべきかを知っている捜査畑の眼で見た歴史的真実。そこが本書の魅力、と言っていいだろう。ぼくのようなただのミステリ好きではこの物語の主人公は務まらないのだ。

 何よりも一般に知られている歴史的資料は胡散臭いものばかりで、不自然で理屈に合わないものばかり。再調査・再推理の妥当性を嗅ぎ取ったグラントと助手訳のキャラダイン青年の知的好奇心の行方にぼくらはおつきあいすることになる。勝者に綴られた歴史は真実を隠蔽する。本書冒頭にある「真実は時の娘」と言う言葉と本書のタイトルを結び付け、良質の歴史ミステリがかくして出来上がる。

 本日、本業を終えたその足で駆けつけた札幌翻訳ミステリー読書会の課題書が、実は本作である。このような機会がなければ英国史に暗いぼくが本書と出会うことはなかったであろう。主催者の方々の、価値ある名作を掘削してくる選定眼には、ただただ敬服と感謝を表したい。懇親会の食事と呑み物と、そこで交わされた貴重な話題やご意見にも深い尊敬と感謝の気持ちを!

(2019.08.31)
最終更新:2019年08月31日 22:07