平場の月





題名:平場の月
作者:朝倉かすみ
発行:光文社 2018.12.20 初版 2019.6.15 8刷
価格:¥1,600-



 一千万人の人生と、一人の人生の価値は同じだ。そう考えられる人がどれだけいるだろうか? 生きる平等性は、数の論理では絶対に割り切れない。多くの小説もまた、そうした価値観に立脚して書かれる。読者はその安心を文字を通して獲得する。

 『平場の月』で言う平場とは、平らな場所、メリハリのない場所、特に目立った人生ではなくても、社会を形成する最も多くの人たちが暮らす場所のことを言うのかもしれない。北海道出身の作家なのに、この小説の舞台は、埼玉南西部の何本かの私鉄沿線、新座・朝霞・志木であるらしい。あまり目立った名前でもなく全国的な知名度は埼玉県民でもなければ、相応に低いように思う。ぼくは人生の一番多い時間を埼玉県民として過ごしたから、なんだか隣近所のように思えるのだけれど。

 市井のそれも若さからは少し遠ざかってしまった五十代の男女の恋愛と、一方の発病という苦難を、これ以上ないほど誠実に、一人一人の命をなぞるように描いて、山本周五郎賞を獲得した作品である。

 不思議なのは、最初の数ページで、青砥(男)と須藤(女)の物語のダイジェストが一気に語られてしまう。須藤の死までもが。青砥の目線で物語は始まる。須藤との再会。須藤は同窓生でかつて告白してふられたことのある相手である。二人は五十歳。これからの人生がたっぷり残されているわけでもなく、過去のできごとは彼らの背後に、まるで疲労のように蓄積している。

 どのページを開いても切なさでいっぱいになる。自分のことではないけれど、自分のごく近しい家族とか友人みたいに、あまり距離を感じさせない、自分事みたいに錯覚を起こさせる物語なのである。そして人生の後半を生きる時間の重さ、というものもページの重さとしてそのままに感じられる。庶民、と一まとめに言いたくはないけれど、多くの平場に生きる人間たちの、その数だけある現実のひとつと向き合っているような。そういう二人の今を、応援したくなるような。拳を握りしめて。

 そう。人生は、他人事ではない。ぼく自身、がんの発病とと向かい合った一年であったからこそ(無論その構図は今も未だ完全には終わっていない、須藤のように)、この作品の、意外にさらりと書かれている闘病風景と、そこに進行する五十代の男女だからこその誠実な恋愛風景とを、ぼくは彼らに寄り添うように読ませて頂いた。

 本作が多くの人に読まれているのも、どこか自分に似たこと、自分がそうなっていたかもしれない運命、自分にこれから起こり得るかもしれない未来、そして何よりも重たい現在、を描いて、作品自体が市井の読者に優しく寄り添っているからなのだろう。そして定番としての女性の死という運命。

 ネットなどで、作者のインタビューを読むと、作者は定番で勝負したかった、五十歳の『世界の中心で愛を叫ぶ』を書きたかった、のだそうである。三ヶ月ですらっと書き上げた。そしたらやはり作者らしい小説になっていた。納得。

 厳しくも優しい小説である。二人でいる方がより強く感じられる孤独。厳しい心象風景の連続するなかに、確実に人が与えてくれる手のひらの温もり。繊細な小説時間の中で世界とのつながりを感じさせてくれる不思議な本であった。

※この本は、篠路まちづくりテラス和気藍々で月一開催の五ノ戸の森読書会にて、石本依子さんよりお借りしたものです。サイン本なので、汚さないようにと緊張しながら読ませて頂きました。石本さん、良い本でした。有難うございます。

(2019.09.12)
最終更新:2019年09月12日 10:24