厳寒の街



題名:厳寒の街
原題:Vetrarborgin (2018)
著者:アーナルデュル・インドリダソン Arnaldur Indridason
訳者:柳沢由美子
発行:東京創元社 2019.08.23 初版
価格:¥2,100


 アイスランドを舞台にした小説は少ない。アイスランドは北海道に毛が生えたくらいの国土で、北極に近く、それゆえ人口が30万と旭川市の人口ほどしかない。レイキャビクに多くの人口が集中しているのも北海道と同じ現象か。札幌が200万に手が届くほどの大都市であることを思えば、アイスランドが如何に小さな国かがわかろうかと思う。

 今年はラグナル・ヨナソンのアリ=ソウルのシリーズにも魅力を感じたがそちらは同じアイスランド小説でも北極海に面したシグルフィヨルズルという港町、インドリダソンの本シリーズは、アイスランド一の街レイキャビクが舞台であるから、雰囲気はだいぶ違う。

 タイトルの通り冬は厳寒で、殺人事件の件数もさして多くないのに、二人も警察小説の書き手がいること自体奇跡に近い。インドリダソンという作家は、過去に現在に材を取り、この国の直面する現実を、ミステリーという世界に最も伝わりやすい表現で極東のぼくのもとにまで語り伝えてくれる。ガラスの鍵賞、ゴールド・ダガー賞、マルティン・ベック賞といくつものミステリ賞を獲得してきたことが本シリーズの世界進出の力になっている故だろう。

 今回はアイスランドの採った移民政策とそれに纏わる住民間の軋轢、根強く残る差別といったところに作家の眼は向けられる。雪の上で刺殺された被害者は、タイとの混血少年。教育の場にも強く根を張るヘイト殺人なのか、はたまた移民家族の複雑な家庭環境が呼び起こした悲劇なのか。

 エーレンデュル警部とその有能な配下であるエリンボルク、シグルデュル=オーリという三人の捜査官が、事件を追う。関係者への聴取場面が多く、そこにいくつもの疑念の根が張られてゆく。真相に近づくというよりも、より複雑な迷路へと迷い込んでゆく彼らの心境を通して、複雑な人間模様やそこに巻き起こる悲喜劇が描かれてゆく様相は、このシリーズの特色であり、それらが丁寧に描かれる繊細な筆致ことが作風の魅力だと言える。

 エーレンデュル捜査官の私生活の面も常にどの作品にも付き纏う。別居する娘と息子が作品群の背景で常に成長や遠回りを繰り返し、父との葛藤を繰り返しては、遠からず近からず生活の中に滑り込んでくる。そして決して逃れることのできぬ謎めいた弟の事件、あるいは事故。吹雪の中で手を放したゆえに二度と見つかることのなかった幼き弟への罪悪感は本作でもまたエーレンデュルの心を苦しめる。雪が解けても見つかることのなかった弟の遺体。その謎は永遠に引きずりながらエーレンデュルの人生に影を落とし続ける。

 そして何本かかかってくる謎の女性からの無言の電話が、本作では印象的である。まるで作品の途中途中に刺し込まれる鋭利なナイフの刃先のように。

 アイスランドの直面する問題に敢えて向かい合うような事件を提供する作品シリーズでありながら、一方でエーレンデュルの生活の陰影の部分を事件以上に追跡してゆく点も、本シリーズの読みどころである。彼の心の動き。彼の動揺。そして彼の誤解。等々。

 そして同僚たちとの距離感。共存するには疑わしい影ばかりの目立つ国や社会への不安感。それらを常に見据えながら、物語という主旋律を奏でてゆく作家の腕の冴えこそが、常に確かな読みごたえ、重厚な作品価値を産み出して続ける。地味ながらも信頼に値する良品シリーズと言ってよいだろう。

(2019.12.20)
最終更新:2019年12月20日 15:20