暗約領域 新宿鮫XI




題名:新宿鮫XI 暗約領域
作者:大沢在昌
発行:光文社 2019.11.30 初版
価格:¥1,800-




 8年ぶりの新宿鮫。しかも700頁を超える力作。思えば、新宿鮫シリーズは、どれを取っても力作であった。ぼくは熱心な大沢ファンではないけれど、この鮫島刑事と探偵佐久間公、狩人シリーズの佐江刑事の足跡は辿ろうと心がけている。シリーズとしてぼくがあまり好きになれなかったのがこの新宿鮫だったと言うと驚かれるかもしれない。

 29年前にノベルスとして登場した新宿鮫は、ノベルズならではの面白さと雑さを備えた軽娯楽小説であるように思えたものだ。もちろん圧倒的な面白さと評価され、大沢在昌をワンランク上の書き手にのし上げたのはこのシリーズであることに間違いない。しかしそのサービス過剰ぶりがぼくには鼻についた。刑事の恋人が女性ロック歌手という設定がその最たるものだったろう。今のように許容力のない三十代前半の読者の眼には、ちゃらい設定と映ったのである。

 しかしストーリーテリングには、目を見張るものがあった。1990年代に続けざまに書かれた『天使の牙』『撃つ薔薇』等、少しコミックを思わせる設定の逸脱の中であれ、エンターテインメントとしての技術の高さを伺わせるところは新宿鮫シリーズとの共通項とも言えた。ハードボイルド作家の中でも若手と呼ばれる書き手の実験的試みは、少しばかり長過ぎた感のある助走の末、徐々に彼の実力を世に知らしめて行く。

 新宿鮫はノベルスからハードカバーとなり、またノベルスに戻っては、ついにはハードカバーの比較的ページ数の多い大作となってゆく。それと共に鮫島の世界の厚みや深さも増してゆく。作者とともに年齢を重ねた本シリーズは、今ではすっかり大人の熟成した物語として完成度を増すばかりとなったのである。

 そうした安心感のもとに手に取る本書の語り口は、エキセントリックなレトリックなど一切なし。むしろ素っ気ないくらいに飾らぬ語り口で、鮫島の置かれた国際都市新宿を軸にスケールの大きな諜報戦を交え、何層もの構造を持つ物語を紡いでゆく。

 本書では、犯罪の温床であった密入国者たちのチャイニーズ・ストリート歌舞伎町から、より合法的でイメージアップした池袋の新中華街が物語の舞台の一部として紹介される。池袋西口のその新中華街をぼくは先月状況の折に歩いたばかりだが、今そう呼ばれていることは全然知らなかった。なるほど、とその夜のアジアンな雰囲気の池袋駅北西部の三角州のようなエリアを想い出しつつ、本書をよりリアルなものとして味わうことができた。

 かつて鮫島を取り囲んでいたロック歌手の晶も去り、桃井も前作で殉職して、新たな女性課長や新人のパートナーまで登場し心機一転したシリーズである。これまでシリーズに手を付けなかった方すら引き寄せる魅力に満ちたアジアン・ノワールの魅力濃厚のどろりとした夜の世界をご賞味いただきたい。今では新宿鮫ファンとなってぼくのように、多くの新たな読者がこのシリーズ世界に足を踏み入れて頂けることを今ではぼくは願ってやまない。

(2019.12.30)
最終更新:2019年12月30日 10:53