パリのアパルトマン
これはミステリーなんだろうか? 犯罪があって、その真相を突き止める経緯を描く小説が、すべてミステリーと言うならばそうなのだろう。本書はミステリーとして商品化されているのだと思うが、特段ジャンル付けしなくても、もしかしたら純文学、一般小説としても読めるのではないだろうか。
賃貸仲介人のネットサイトの誤りにより、ダブルブッキングされてしまった二人の男女が、その建物の元の住人で所有者である画家の抱えていた秘密を、それぞれに、やがては共同で探り出そうという物語である。男は、アメリカ人劇作家。女は英国人元刑事。男は、世間との隔絶を好みずっと独りで生きてきた偏屈な性格で、この時代にスマホすら持っていない。女は刑事を辞め不妊治療の荒療治をしつつ匿名での体外受精を試みようと言うプランの渦中にある。
二人はそれぞれ全く別の道を歩いてきたそれぞれに独自の世界観から、死んだ画家の絵に取り憑かれその人生に興味を持つうちに、残された三枚の未発表の作品の存在に眼を止める。これは絵を探す物語なのかと思いきや、画家の一人息子が極めてエキセントリックな形で誘拐惨殺され、その場に立ち会わされた元妻という過去の事件の存在に驚愕する。男の子は様々な痕跡から死んだとされるが、その遺体は発見されていない。
画家の事件を追いかけて、二人はそれぞれの探索を重ね、時に照合し合う。極めて異例の探偵小説が始まる。それぞれの人生がなぜ画家に関わることになってゆくのか? 死んだ画家と誘拐されたその息子、元妻らが、彼らにどのような宿命を課してゆくのか、それが本作の読みどころである。もちろん、事件の真相という謎解き、そして思っていたこととは遥かに異なる真相。それでも心に負担となる病的な暴力や、曲げられてしまった犯罪者の心の歪みは、読者の心にも痛みを覚えさせるほど過酷である。そして何よりも過酷さを負担として味わうことになる二人の運命は思いがけぬ結末を迎える。
何よりもこの小説の素晴らしいところは物語性である。画家、その作品、過去の事件、それを追う現在の男と女。どれをとっても一級の語り口、超の付くオリジナリティなのである。親と子、個人史が産む個別としか言いようのない宿命論、男と女、生命を綴る生物としての人間。思わぬ思索に導かれる読書世界もである。
こういう作品を綴る作家は、何と1974年生まれだという。四十代半ばという若手作家ではないか。このような重厚な作品に出くわすと、世界の文学性に日本のほとんどの小説はともすると置いてゆかれるのではないかと思うくらい不安になる。
真に読書を愛する方、小説をストーリーではなく、その本質で読みたい方、軽い作品はもう懲り懲りという方に、質と娯楽性と人間哲学とそれぞれに担保してくれる本書を、是非お薦めしたい。
(2020.01.22)
最終更新:2020年01月22日 16:29