探偵コナン・ドイル
題名:探偵コナン・ドイル
原題:Knife In The Fog (2018)
著者:ブラッドリー・ハーパー Bradley Harper
訳者:府川由美恵
発行:ハヤカワ・ミステリ 2020.03.15 初版
価格:¥1,800
コナン・ドイルの『緋色の研究』によるデビューが1886年。ホームズの第二作『四つの署名』が1890年。その間の四年間、ドイルはホームズは一作書いただけの鳴かず飛ばずなので、英国内乱の歴史小説を書いている。そして本業の医師の仕事についている。プライベートには1988年に妻ルイーズが妊娠。その頃、切り裂きジャックが血まみれのナイフ片手に、霧の町ロンドンの夜を震え上がらせている。
そんな時系列を抑えておく。つまり本書の作者は、ホームズ作品の難産作品二作目を産み出すモチーフとして、四年間の空白の中間部に勃発する切り裂きジャックの事件を配置。ドイルは、ホームズのモデルとなった恩師である医師ベルと共同で事件の謎に挑むことで、その後のホームズ像を確立させるモチーフとしたという収まりの良い設定を見せてくれる。その意味ではある意味、本書は快挙と言える。
しかし、それだけでは本書の魅力は語り切れない。むしろ影の主人公たる男装の女流作家マーガレット・ハークネスがチームに加わり、三銃士のトライアングルを形成することで、捜査チームは完成する。作品に血が通い、躍動する。男性二人に女性一人。『俺たちに明日はない』の如く。『明日に向かって撃て』の如く。
マーガレットは、切り裂きジャックの徘徊したロンドン・イーストエンドにマッチ工場で燐による顎骨癌を患い死と向かい合う女性とともに住んでいる。界隈は貧しく治安の悪い場所のため、外出時には男装し、小型銃デリンジャーをポケットに忍ばせる。男性の服はポケットが沢山あるから便利、というのは彼女のセリフである。
そしてベル博士はエジンバラで教鞭を取りながら、名医として知られるが、患者を一目見て職業や状況を当ててしまう観察力でも知られている。そうドイルはベル博士からシャーロック・ホームズの、今ではメンタリストという職業でも使われている才能、観察力と推理力を借用したのだ。
かように三人ともに個性的極まる実在の人物であり、嬉しいことに巻末に彼らのプロフィルと写真があるので、姿かたちまで物語という想像のスクリーンの上で動かすことができるのだ。
ミステリー小説としては多くの制限がありすぎるかもしれない。史実と資料に縛られた実在の事件であること。事件の捜査に実在の人間たちが参加するシチュエーションを構築すること。でもその辺りを当時の風物や町の情景を活写しながら描き切っている筆力には注目すべきである。そしてこの時代、ロンドンに流入する異人種、貧民、犯罪者などの掃き溜めのように扱われ差別の横行するイーストエンドのホワイト・チャペル界隈。貧富の差のリアル感。まだ鉄道も電話も十分に整備されていないゆえの馬車やメッセンジャーによる移動、及び通信手段。
なお『わが名は切り裂きジャック』での
スティーヴン・ハンターの本事件への取り組みも見ものである。この作品と本書とで、ぼくは二度ホワイト・チャペル界隈のリアリティと事件のあまりの残酷さとを想像体感させて頂いているわけだ。
本書でのドイルがホームズ像をより具体的に心に描いてゆく過程、家庭に妊婦を置いていながらマーガレットに惹かれてゆく気持ち、など含めて繊細かつ大胆な骨格の名作が出来上がったように思う。なお、続編ではマーガレットがベルともどもヴィクトリア朝ミステリという形で活躍することになるらしい。気になるヒロインとの再会への期待が膨らむばかりである。
(2020.04.08)
最終更新:2020年04月08日 11:03