コックファイター
題名:コックファイター
原題:Cockfighter (1962,
1972Renewal)
著者:
チャールズ・ウィルフォード Charles Willeford
訳者:齋藤浩太
発行:扶桑社ミステリー 2020.05.10 初版
価格:¥1,050
ここのところ、ぼくの読書傾向に何故かアメリカ南部小説が急浮上し続ける。独特の熱気と湿度、人種差別と粗暴と貧しさ。そんなイメージに、汗をぬぐう主人公の野望と苦労が混じる。それにしてもチャールズ・ウィルフォードという作家は、相変わらず大した凄玉である。1988年に亡くなった天才的作家の墓石を前にして、ぼくらは彼の死後に生前の作品を読むということしかできないでいる。しかし今もなお翻訳され、彼の古い(原版は1962年なのだから!ワオ)作品は現在に蘇り続けては世界を掻き回そうとしている。前世紀のノワール作家チャールズ・ウィルフォードは、大衆小説作家にも関わらず、やはり怪物としか思えない。
本書は、扶桑社ミステリーのノワール・セレクションに選別されているが、はっきり言ってミステリーでも、ノワールでもないだろう。闘鶏家の男の生き様を描いた、まさに闘鶏だけの小説なのである。とは言うものの闘鶏シーンは冒頭少々であるだけで、残りは沈黙の主人公フランクが、いかに闘鶏チャンピオンとなるかの夢を実現するまでの準備小説と言ってもいい。夢を実現するまで言葉を離ささないという、己に課した、孤独で奇妙な契約が、彼の生き様を凄まじいものにしているし、そのうえで失うものも多く、漂泊と流浪の終わりの見えない旅が、ノワール的であり、ロード・ノヴェル的である。あくまでミステリーではないけれども。一つの野太い冒険小説と言ってもいい人生物語である。お待ちかねのクライマックスとなる闘鶏シーンはラストのお楽しみである。まさに血が騒ぐ物語だ。
何よりも魅力的かつ個性的な登場人物たちとの出会いが良い。キャラクターたちには実在感があり過ぎて、造形されたものとは思えないくらい、暑く、深みのあるキャラばかりだ。旅は道連れというけれども、我らがフランス・マンスフィールドは、男にも女にも何故かもてるらしい。次々と出会いや幸運が待ち受けるなかで、自分の努力を決して怠らない。喋らない沈黙の主人公だからこそ、彼に絡む人間たちは、彼にだけは喋るのかもしれない。
だが、一人称の叙述は、フランクの心情をとても流暢に、読者だけには語ってくれる。その物語の、あまりの魅力にぼくらはページを離れることができなくなるだろう。物語には喜劇も悲劇も含まれる。流される鶏たちの血と、栄光と死も。鶏たちは、試合では、殺されるまで闘う。負けるとは、死を意味する。その肉は、闘鶏家のなんと夕食にあっさりと変わる。食物連鎖に含まれるスポーツ。夢見る者と愚か者たちのゲーム。それを生業にする者たちの夢、幻である。
闘鶏に何の関心もない読者であれ(ほぼ誰だってそうだろう)、この本を読むことで触れるのだ。闘鶏という、かつてフロリダ界隈に席巻した熱狂的文化、その夢や愚かさ、そして熱さに、尻っぺたを蹴とばされるのだ。思いのほかのキックは、むしろ心地よいほどである。唯一無二の独自なる小説であり、芳醇な媚薬のような魅力溢れる作品である。闘鶏とは、嘘も仕掛けも許さない正当な闘いである。そう自分の生き様を誇りに思う沈黙のヒーローが、何を失い、何を勝ち取るのか。心が持って行かれること請け合いの、凄玉小説の登場である。
食わず嫌いの方にもお勧めだ。荒々しいが旨味たっぷりの古くて新しいチキン料理である。是非ご賞味あれ。
(2020.07.02)
最終更新:2020年07月02日 15:24