壊れた世界の者たちよ
題名:壊れた世界の者たちよ
原題:Broken (2020)
作者:
ドン・ウィンズロウ Don Winslow
訳者:田口俊樹
発行:ハーパーBOOKS 2020.07.20 初版
価格:¥1,291
分厚い熱気の塊のような長編小説を書き続ける日々の合間に、作家の中から零れ落ちそうになった別の物語たちを、この機会にきちんとした形で作品化させ、出版させるということになり、本書は登場したという。どこかで零れ落ちそうになっていたこれらの物語を今、6つの中編小説というかたちで読める幸せをぼくは感じる。
それとともに本書はウィンズロウのこれまでの作品の総括であり集大成ででもあるように見受けられる。かつてのシリーズや単発作品の懐かしくも印象深い人物たちがそこかしこで、しかも今の年齢なりに成長したり歳を重ねたりして登場してくれるからだ。読者は作者の創造した魅力的なキャラクターたちにこの一冊を通じて再会を果たすことができる。もちろんそのときの読者としての自分にもまた会えたような想いとともに。
『壊れた世界の者たちよ』
アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』の一文から着想を得たタイトル。直近の麻薬戦争三部作の残酷無比な世界の延長上にあるが、『ダ・フォース』のようなタフなチームリーダーに率いられた警察チームの一歩も引かない姿勢が、悪党たちとの徹底した私闘の物語を紡いでゆく。全編アクション、血、復讐の怒りに満ちている。スピーディな描写力で、『カルテル』のその後も続くアメリカの今を活写。無法にも見える法の側のチームの闘いのクレッシェンドに、警察トップが下す粋なはからいがウィンズロウらしい選択肢。固唾を呑みながら引き込まれるトップに相応しい作品。
『犯罪心得一の一(クライム101)』
スティーヴ・マックイーンに捧げられた一作。ハイウェイ101、パシフィック・コースト・ハイウェイ(P・C・H)。宝石泥棒デイヴィスを離婚検討中のサンディエゴ市警ルー・ルーベスニックが追いかける犯罪と追跡と逃亡の軽妙なクライム・ストーリー。ルーはこの後の作品にも二作ほど登場、いい味を見せる。ポンコツのホンダ・シビックに乗った平和と正義を愛するこの刑事の味に、本作の主人公デイヴィスの『ブリット』や『
ゲッタウェイ』のマックイーンへの憧れ、二人ともに101号線を愛してやまないという独特な趣向に、味のあるストーリーテリングを積み重ねたいかす逆転プロットの快作である。
『サンディエゴ動物園』
エルモア・レナードに捧げられている、本書中、最もコミカルで楽しい物語。いきなり銃を持ったチンパンジー(チンプ)という珍妙過ぎる事件に翻弄される市警警官クリス・シェイが主役だが、本作では街全体がふざけて少しずつズレた人々でいっぱいなように見える。前述のルー・ルーベスニックも香辛料のような存在感で一部登場。ネット社会での個人攻撃も素材に取りつつ意外なラストには腹を抱えて笑いたくなる。こういうウィンズロウは最近では珍しいか。
『サンセット』
『夜明けのパトロール』のブーン・ダニエルズを登場させ『サンセット』と名付ける粋を見せるこの作品は、レイモンド・チャンドラーに捧げられる。本書では、お馴染みのサーフィン・チーム隊に加え、ウィンズロウの最初のシリーズ主人公ニール・ケアリーも登場、彼のその後の変化と変わらないところと両面が味わえ、なおかつ追いかける悪党は堕ちたヒーローで伝説のサーファーで名前はテリー。姓はレノックスではないのだが。マーローのいないビーチでの追跡行、これまた一気読みの快作。
『パラダイス』
この作品の舞台カウアイ島は、個人的に二度(しかも一度は自分の挙式で)訪れている場所なので個人的にも凄くインパクトのある物語だった。相も変わらずろくでもない大麻ビジネスをこの島でと狙いをつけた-副題:ベンとチョンとOの幕間的冒険-なのである。『野蛮な奴ら』シリーズの主人公が少しも変わらず、なおかつ『ボビーZの気怠く優雅な人生』のティム・カーニーや『
カリフォルニアの炎』のジャック・ウェイド(こちらは一瞬の登場)までが顔を揃えるサービスぶり。なんだか旧作を軒並み呑み(じゃない、読み)直したくなるようなクール作品だ。なんと言ってもOが変わらず良いのです。
『ラストライド』
最初と最後の作品は結構シリアス作でサンドイッチしている。本書も近作の延長戦の如くメキシコ国境戦争に材を置き、国境近くの檻に入れられ両親と離れ離れになった孤児たちの救いなき運命、それを何ともできない国境警備隊員の中で炎の如く渦巻く正義の呻き声が、思いがけない大事件を巻き起こす。最後の最後の一行で、ウィンズロウはまたも読者を泣かす。一体、この作家の才能はどこまで深く凄腕なのだろう。
すべての作品が100頁超くらいの中編。ベテランの料理長が振るう包丁のような正確さで同じ長さに切り揃えられて見える。すべての味にコクがあり、ウィンズロウ独自の味があり、食後の旨味があり、忘れ難い読後感が心を占める。作家初の中編集ということもあるが、すべての作品が同じハイレベルで見事な切り口を見せている。期待を裏切らぬばかりか、驚くほど濃厚なエッセンスに満ちた、この作家を総括するような一冊であった。ウィンズロウの男たち、女たちが、しばらくは夢に出てきそうだ。満足!
(2020.07.29)
最終更新:2020年08月10日 10:08