猫を棄てる 父親について語るとき
題名:猫を棄てる 父親について語るとき
作者:
村上春樹
発行:文藝春秋 2020.6.5 4刷 2020.4.25 初版
価格:¥1,200
村上春樹の私小説、場合によってはエッセイと言っても良いが、不思議なことに少し印象的な挿絵が、絵本エッセイのような雰囲気を醸し出している。
ぼくはこの本を手に取る前に、自分のことをタイトルに重ねていた。ぼくは中学一年生の頃、父と一緒に子猫を川に棄てに行ったいう辛い経験があるからだ。
本書は猫を棄てる、ことがテーマではない。むしろ戦争で生き残った父と自分の想い出や、父と息子という距離を測るかのように、猫を棄てる場面から描写を始める。当時は猫に避妊手術をする家庭などどこにもなく、普通に猫を棄てるということがされていたという時代背景を、言い訳のように説明しながら。
まさにその通りで、子猫が沢山生まれると、餓死したり、事故死したり、生き延びたとしても野良猫として飼い主も猫自らも、ともに辛い思いをする。だから、未だ生まれ立てで何が何だかわからないうちに川に流してしまったほうがいいんだよ、とぼくは父に説得されたのだ。そればかりか、一緒に川にゆき、自分の手で段ボールごと川に流した。丁寧に流れに押しやるように、段ボール箱が転覆などしないように、そっと。
遠ざかる箱の中から聞こえる何匹もの赤ちゃん猫の泣き声が、川に流されてカーブを越えて姿を消してゆく。その時のことは衝撃であったし、諦めるしかない猫たちの命を覚悟しながらも、どこかに流れ着いて、親切な家に飼われるといいなと思ったものだ。少なくとも僕の目の前で段ボール箱がいきなり沈んだり、子猫たちが溺れる様子を目撃しなかっただけホッとした自分のこともしっかり覚えている。
そういう経験があるからこそ、このタイトルと、「このことはいつか書かなくては」という作者の言葉が、ぼくの眼を奪ったのだ。この本の中のことはぼくの経験とはだいぶ違ったのだけど、父親の過ごした大戦という壮絶な時代は同じである。ただぼくは父からは、満州やシベリア抑留の体験を一言も聞いていなく、すべてを母から漏れ伝わる伝聞で知った。無論壮絶な話である。
本書の作者は、ぼくより半回りほど年上のせいか、父親から戦争体験をだいぶ聞いていたらしく、父の世代と、その時代のことを個人的な経験から拾い出し、こういうかたちの絵本と物語に編み上げている。素敵な本で、薄っぺらだが、あの時代の父と子の関係とはこの程度のページ数で語られるべきものなのかもしれない。子の時代は、その後ののっぴきならない戦後へと開かれ、今も過去のものにはなり切らず、持続の渦中にあるものだから。
村上春樹らしからぬ作品に見えるが、どうしても語らねばならない、そんな年齢に作家も追いついてきつつある、ということなのだろうか。
(2020.07.30)
最終更新:2020年07月30日 15:19