一人称単数




題名:一人称単数
作者:村上春樹
発行:文藝春秋 2020.7.20 初版
価格:¥1,500




 なぜか村上春樹の短編小説が好きである。むしろ長編小説よりも好きかもしれない。ちなみにエッセイも好きである。思考回路が少し常人と違うのではなく、きっとイメージ力が常人より優れているから、個性的で愉快なメタファーが、長編小説よりも頻出するんだろうと思う。

 短編小説は長編小説のようには主人公との付き合いが長くないし、物語もあっという間に終わってしまう。なのでその分だけ、少し頑張らないと記憶に残らないし、面白くないとエッセンスとしての小説が味わえない。短いけれど濃縮されているから、きっと短編小説は面白いのだ。いや、どの作家の短編小説も面白いというのではなく、むしろほとんどの作家については、長編小説より短編小説のほうが面白いなんて思いもしない。

 でもよく言う<短編小説の名手>とは、小説作りがとても上手いのだろう。そういう作家は多くはないけれど、そんなに少なくはない、というのがぼくの印象だ。

 『石のまくらに』は、『ノルウェイの森』の流れのような不思議な出会いと別れの小説だ。ヒロインの性格を印象的に見せるのが、彼女の創る和歌なのだが、村上散文ワールドには珍しい一面である。

 『クリーム』は、新手のハードボイルド・ワンダーランドかもしれない。不思議な出来事を体験する主人公は、その意味を考え込まざるを得なくなる。その考えこむ不思議そのものがテーマとなっているような一篇だ。

 『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノバ』は作者の好きなジャズがテーマ。バードが1955年に亡くなっていることや、ボサノバが初めてブレイクしたのが1962年という情報は個人的に勉強になったが、だからこそ生まれる矛盾のテイクが、あり得ないレコードがファンタジックな道具となった一篇。

 『ウィズ・ザ・ビートルズ』は本書中一番長い作品。ぼくの少し上のベビーブーム世代はビートルズのヒット曲に「壁紙のように囲まれて」育ったのだそうだ。ぼくがビートルズを聴き始めた途端に解散してしまった。そういう音楽の話から物語は懐かしい恋愛体験と、その現在へと時の流れを感じさせながら移行する。読出しと読み終わりの印象が全然異なる作品だ。

 『ヤクルト・スワローズ詩集』では「ぼく」が村上の姓で登場。ジャイアンツ戦以外はいつでも空いている神宮球場のスローな野球観戦が好きで、スワローズ詩集を自費出版して遊んでいたという。散文作家による韻文の少し首を傾げたくなる(笑)詩が沢山登場するサービス篇。

 『謝肉祭』では、醜い、と明確に形容する女性との出会いと別れを語りつつ、人間の本質や魅力の謎に迫る、少し哲学的な作品は、驚きのラストで終焉する。

 『品川猿の告白』はこの作家によくあるSF的で変な話。こういう面白さに引きずられて次々と読み進んでしまうのが、村上ワールドなんだろうな。現代の寓話というにはリアルすぎて、ひょっとしたらあり得そうな感覚に陥ってしまうのだ。

 『一人称単数』は、ことによると本書中、不思議さではナンバーワンである話かもしれない。本作だけは書き下ろしだそうで短編集のタイトルにもなっている話で、しかも落としどころが掴みにくい作品。作者は読者を化かして、この一冊を切り上げたかったんだろうか? だから最後に持ってきたのだろうか? 一番化かされているのは、化けたつもりだった主人公であることに間違いはないのだけれど。

(2020.07.31)
最終更新:2020年07月31日 14:34