チェスナットマン
発売一ヶ月前、ブクログさんからプルーフ本をお送り頂き、早めに本書にとりかかることができました。版元のハーパーBOOKSさんともども有難うございます。読んだ後、このレビューを書くのに(というより頭の中を整理するのに)少し時間を頂いて、頭の中でしばし寝かせてみました。その割には大した感想は書けないと思うけれど。
フランスで一番売れている作家と言われるベルナール・ミニエを想起させるサイコなサイコなエンタメ作家が、デンマークに新たに登場した。今回はおそらく北欧小説界においてもエポック的大作。デンマークと言えば、ぼくも大ファンである『特捜部Q』のシリーズを第一に思い浮かべるが、本作は当然ながら別の個性による味わい。新たな大物が誕生した感が強い。
サイコ&スプラッタ&アクション、さらにフーダニット+ホワイダニットといった、謎に謎が積み重ねられてゆく分厚い材料いっぱいのクロスオーバー。重厚なエンタメ作品なのである。前述したベルナール・ミニエ作品の事件現場も凄絶でエモーショナルでインパクト抜群なのだが、本書はそれに劣らぬか上回るものがある。
物語はある時ある場所で、一家が惨殺されている現場に、老警官が到着するシーンから始まる。そこで一度目の「背筋に来る」恐怖の世界の開幕とあいなる。
チェスナットマンとは、惨殺現場に残される小さな栗人形のことである。惨殺に使われる武器は主に斧。<背筋に来るミステリー!>、という本作のキャッチフレーズは、ページを開くなり何度も味わうことができてしまう。
かといってサイコ一辺倒でもなく、刑事アクションとしても実に味わい深い物語である。とりわけ珍しいのは、インターポールを承継したユーロポールという国際警察機構と地元警察との組織間軋轢と、これに絡んだ二人の主役捜査官の距離感と不安定感というところに、登場人物たちの個性を見せて、ヒューマンな読みごたえをも感じさせられる。
かたやユーロポールに憧れ、赴任の日取りもほぼ決まっている出来のいい女刑事ナイア・トゥーリン。かたやユーロポールではたびたび各国で問題を起こし、ついに罰として地元警察での捜査協力を一時的に課せられてしまった一匹狼の変人刑事マーク・ヘス。主人公が入れ替わりながら、どちらも個性的で、どちらも私的な問題を追求しつつ、本筋の物語に絡めてゆく。その味わいは両者個性的ゆえに大変強烈である。
1989年の事件、そして現在の連続殺人事件、一年前の女性政治家の長女殺人事件。各方向から語られる暴力と残虐の系譜を見せられる読者としては、一体どれだけの数の殺人を追いかけるミステリーなのか? と戸惑われる方も多いのではないだろうか。
プルーフ本には登場人物表がないので、ぼくの場合、最初から、Excelに人物表を作り、読書の進行に伴ってさらなる人物を書き足しつつデータ更新を重ねていった。犠牲者は赤く、後に繋がりが明らかになるキャラクターは青く、家族は太枠でまとめ、関係者は隣接配置するなどして、人物関係図を明確にしながら読むことで、ページも時間枠も長大なこのミステリに本気で取り組んだ。そのくらいしないと、複雑に絡み合った人間模様が把握できないような気がする前半であったが、途中からはこれをサボっても十分に物語構造は把握できてくるので、登場人物一覧が最初にあれば完成版においては特に問題ないだろう。でもそれでも不安になられた方は、最初のうちはメモを用意すると良いのかも。
長大な力作な上、ミステリの底も深く、扱われている現代的な社会問題、家族の問題、社会による救済システムやその破綻と罪の問題、等々、北欧小説ならではの社会告発に満ちた批判精神の堆積の上に、エンタメ性をしっかりと乗せている。刑事たちの怒りや、関係者たちの恐怖や、起こってしまう犯罪の残忍性がそれらの主題をしっかり強調もしている。
本年度バリー賞最優秀新人賞受賞作品、他に数多くの評価を受けつつある作家であり作品であるとのこと。翻訳ミステリファンであれば、これを読み逃す手はまずあるまい。とても新人とは思えないストーリーテリングや場面展開の構成の妙をこの作者は見せてくれるが、実はその正体は、既に有名ドラマ映画での脚本演出などの華々しい経歴に彩られている方なのであった。小説分野にこういう凄腕の人が転出してくると、本好きとしては武者震いしたくなるほど嬉しい限り。
次作が待たれてならない作家である。是非とも主人公刑事たち二人には、次作以降で再会したい。とりわけ偏屈で風変わりな一匹狼刑事ヘスには、どなたであれ他の物語で必ずや再会したくなるだろう。
(2021.06.23)
最終更新:2021年06月23日 14:28