ブート・バザールの少年探偵
題名:ブート・バザールの少年探偵
原題:Djinn Patrol on the Purple Line (2018)
作者:
ディーパ・アーナパーラ Deepa Anappara
訳者:坂本あおい
発行:ハヤカワ文庫HM 2021.4.25 初版
価格:¥1,280
この6月は、ふと気づけば各種国籍の本を読んでいる。スペイン、イタリア、スウェーデン、デンマーク、そしてインド。英語圏なし、とは驚きである。翻訳ミステリもいつの間にかこんな国際色豊かな時代を迎えるようになったのだね。
さて、本書は、今とても評判のインド版少年探偵団の物語。インド小説というだけでも気になるけれど、ここ数年、子どもが主人公の翻訳作品が続出していること、そのどれもが、例外なく読んで後悔のない優れた作品であること、などの事情を考えるに、非英語圏諸国の小説も、英語版・日本語版翻訳へと推進力がついてきたのかもしれない。だとしたら読書の楽しみが隅々まで広がってくれて大変有難い。
それにしても、今のインドと言えばコロナ。インド株の急激な拡大に国家的危機が拡散しているのではないかと恐怖を覚える現在。本書はその少し前の時代なのだが、コロナがなかろうと、インドのカーストの底辺にはこんなにも深い闇が広がっているのか驚きあきれる一冊になっている。
一部の富裕層を支える多くの貧困層。その最底辺のスラムに生きる子どもたちの日々を、これほど具体的に描いた作品は、これまで読んだことがない。このスマホの時代におけるインドの貧困層のスラムの実態について、ぼくは読んだことも聴いたこともない。
この本では9歳の男の子の、ほぼ純粋かつ多感な眼を通して、ぼくらは知ることができる。大人の眼ではなく、純粋で何でも好奇心に変えてしまう子どもから見る世界だからこそ、貧困層の最底辺の街でさえまるでドリームランドみたいに見えてくる。何もかもが子どもの眼には、好奇心を掻き立てる材料となる。子どもの生命力やたくましさに代われるものなんてこの世にはないんだ、と言わんばかりに。そう、主題は残酷であれ、読んでいてどこか救いのある小説なのである。
とは言え、本書では「インドでは1日に180人の子どもが行方不明になる」という帯のキャッチフレーズが示す事実の怖さを含め、ぼくらは改めてインド・ノワールの現実にも踏み込むことになる。
実は日本でも年間1,200人の子どもが行方不明になっているそうである。子どもに限らなければ年間8万人が姿を消しているそうである。某プロ野球コーチが行方不明になって騒がれたような最近の事件は、ほんの8万分の1の例にしか過ぎないわけだ。
日本では毎日3~4人の子供が、インドでは毎日180人の子供が行方不明になっているのだそうだ。これだけでも驚愕の数字だ。こうなるとこの小説で描かれた、姿を消してしまう子どもたちというのは全然架空の話でも何でもなく、当たり前の現実なのだ。でもそのことをぼくたちは知っているだろうか? いや、知らない。そういう過酷なリアルな現象に向き合って、地球規模で人間の環ということを考えることも大切なのではないだろうか。
裏には当然犯罪組織の存在が考えられる。腎臓を取り出して売る? 性の奴隷として売る? 不要であれば殺し、ゴミ捨て場に投げ捨てる? それは眼をつぶりたくなるほど過酷な、しかし現実に想像可能な出来事だ。だから本書のような物語は必要なのだ。現実の投影。闘い究明すること。必要とされる魂を救済すること。
本書での我らが少年探偵団を構成するのは、主人公のジャイとムスリムのファイズ、リーダーシップを感じさせる出来の良い少女パリ、あまり役に立たないが鼻と食欲だけは一人前の野良犬サモサ。こんな楽しい子ども世界のフィルターを通したインドの過酷、それに対する力強い生命力。ムスリムのファイズは、ヒンズーとの軋轢に晒されても不思議はないのだが、大人たちが持つヘイトを彼らは持たない。彼らの前には、人間を区別したり争わせたりする宗教的対立はただのクエスチョンマークに過ぎない。子どもたちの別れはとても切ない。
読んでいるうちに悲しくも明るく、そして夢中になれた作品がまた一つ。子ども小説全盛の現在の世界的エンタメ・ブームは、何とも嬉しくたくましい。このまま子どもたちの感性でミステリも席捲してしまってほしいくらいである。
(2021.06.27)
最終更新:2021年06月27日 13:55