パワー・オブ・ザ・ドッグ




題名:パワー・オブ・ザ・ドッグ
原題:The Power Of The Dog (1967)
作者:トーマス・サヴェージ Thomas Savage
訳者:波多野理彩子訳
発行:角川文庫 2021.08.25 初版
価格:¥880


 翻訳者が巻末解説で書いているとおり、ぼくも「すごい本に出会ってしまった」。

 1967年に本になった作品。原作者は1915生まれで2003年没。小説の背景は1920年代のモンタナ。

 主人公は牧場主の兄弟。兄は、切れ者で、冷徹で、実務的で、仕事一筋。人からも尊敬されるが、心を表すことはあまりない。弟は、外見も内容でも兄に劣等感を感じてきたが、子連れの未亡人と結婚し家に引き入れることで、兄との間に次第に距離ができてゆく。

 淡々と描かれてゆく牧場の労働者たちと経営者兄弟の日常。モンタナの美しくも厳しい自然の中で営まれる人間たちと家畜たちの日々。

 短編小説をいくつも重ねたような切れ味で、エピソードが積み重ねられる中、明確なストーリーを感じずにいるのに、それでもページを繰る手が止まらない、そういう類いの小説である。

 さらには、歴史小説としても読めるくらい、当時の移民・先住民・労働者などの生活や政治的経済的立場が活写されて無言の評価を作家的視点で下している点なども、かなり魅力的である。

 濃縮された時間を、美しい文体と、氷のような不思議な緊張感の中で、何か不穏なものだけが感じられ、ページをきりりと締め付けているような、そんな一冊である。きりっと張りつめた空気を生み出す独特の文体も、豊かな個性で描き分けられた登場人物たちや、町の人たちの生活の活写を盛り上げられ、支えられてゆく。

 小さな物語の蓄積で作られてゆく小説世界は、兄弟の生活に新しい妻と連れ子の若者が現われることで、安定を欠いてゆく。じわじわと張りつめてゆく緊張感と、三角関係から四角関係へ変容してゆく奇妙な怖さが、見えざるエンディングへの高まりを作ってゆく。

 この作品は映画化され、この11月から上映館で、12月からNetflixで、公開される。こんな機会がなければ、作品が翻訳されることはなかったろう。作品の予告編はネットで観ることができる。予想通り、美しい映像である。優れた原作小説を味わった後、ぼくとしては映画館へ足を運び、この物語を再体験してみたいと思っている。

 ともあれ長く埋もれていたこんな「すごい本」を読めるようになったことに、ただただ感謝!

 ちなみにドン・ウィンズロウの麻薬戦争三部作の第一作『犬の力』と、原文は同じタイトルであり、巻頭の引用も同じ以下のものである。

<私の魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から救い出してください----『詩編』>

(2021.11.16)
最終更新:2021年11月16日 11:46