冤罪法廷






題名:冤罪法廷 上/下
原題:The Guardians (2019)
著者:ジョン・グリシャム John Grisham
訳者:白石朗
発行:新潮文庫 2022.01.01 初版
価格:各¥710

 グリシャムは無骨である。小説の構想は緻密であるけれど、語り口は無骨だ。装飾とか修辞ということにはあまり縁がないように思える。修辞的要素を至って好むぼくは、ではグリシャムのどこにこんなに惹かれるのだろうか。グリシャムの小説に毎度のように、ぐいぐいと惹き込まれてゆく要素は、この作家のどこにあるのだろうか。

 それは彼の作品がドラマティックであることとともに、登場する人間たちが魅力的であることだろう。彼ら彼女らは、底知れぬ必死さを携えて、およそ考えられそうにない難問に挑んでゆく、その姿は何とも魅力的なのである。そしていつもハイレベルで心を惹く主題がそこにある。そうした人間の真実に関わるテーマを提供してくれる法律家であり作家であるグリシャムの、冷徹な題材選び、また、小説という形でありながら、現実に社会に存在する矛盾と闘う、作者の果敢な姿勢が、あまりにも明らか、かつ正当であるゆえに、この作家の価値はわれわれの現在という地平と繋がって、ひたすら高貴なものに感じられるのだ。

 実は、上の二つのパラグラフは、グリシャムの傑作のひとつ『自白』のぼく自身のレビューを若干修正したものである。これらの文章は本書を読んでいる間ずっとぼくの中に湧き上がっていた感情であり評価であったために、そのままこの作品に再利用させて頂いた。

 『自白』もまた本書と同じく、冤罪と闘う法律家の物語であった。死刑制度、冤罪を主題としたグリシャム作品は、他に『処刑室』、ノンフィクションとしての『無実』があり、グリシャムは再三このアメリカの矛盾と闘ってきた作家と言える。そしてほとんどすべての作品の中に、人種差別が打倒すべきテーマとして描かれているのも、グリシャムのホームグランド、トランプ前大統領にも見られる幼稚で戦闘的で、人権無視の土壌である米南部が舞台となっているためもあろう。

 本書の弁護士たちは、冤罪の死刑囚の命を救うことにボランティア的に奔走する、使命感の強い貧乏法律家ばかりである。本書では、冤罪は誤ったものというより、むしろ意図的に作られたものが多く、その底にあるのは冤罪に追い込む捜査側であり、彼らの強引な暴力の源となるのは、欲望と差別である。いずれにせよ無慈悲そのものの強欲が、犠牲者を生み出している現実が存在する。本書の主人公らは、そうしたアメリカ的なる罪から犠牲者たちを必死に救おうとする。何年も何十年も無実の罪を背負わされて檻の中で命の残り日を数えてゆく犠牲者たちを。だからこそ、血の通うあたたかい人間たちの、必死の姿を見せつける全ページが熱い。

 十代の頃にぼくの接したバーナード・マラマッド『修理屋』は、ユダヤ人迫害と冤罪による死刑囚を描いた檻の中の痛すぎる物語であった。それは終始、矛盾とそれを孕む地続きの現実であった。それ以来の激しい痛みを感じさせる力作が本書でもあるが、実は本作の背景には現実のモデルとなる事件があり、彼らの救済活動に命を賭ける法律家たちのグループも実際にいくつも存在する。グリシャムはそうしたチームへの愛と尊敬と共感とで、ヒューマニズム溢れる本書を書いている。真実の重みが、またもグリシャム作品を通して、七つの海を越え、ぼくらのもとに届けられる。

 語られる人間たちの個性と魅力。また、その苦しみ。手づくりの日々と、限りない優しさ。何よりも命を守ろうとする敬虔な行いと、そこに向かう善なる意思。かくも魅力的な人たちと出会えるのがこの作品である。非情で乾いた現実と常に闘う者たちの、終わりなき心の美しさに対する讃歌と言えよう、これはそうした魂の力作なのである。

(2022.01.13)
最終更新:2022年01月13日 16:09