黒き荒野の果て




題名:黒き荒野の果て
原題:Blacktop Wasteland (2020)
作者:S・A・コスビー S.A.Cosby
訳者:加賀山卓朗訳
発行:ハーパーBOOKS 2022.2.20 初版
価格:¥1,210


 ホンモノのノワールがやって来た。古いフレンチ・ノワールの世界が、現代に帰ってきた。そういう小説の時間をもたらしてくれる作品である。

 70年代のアメリカン・ニューシネマのフィルムの傷を想定しながら読む。暗闇に潜んで見上げていた傷だらけのスクリーン。暗くくすんだカラー。映画館内に漂う煙草のにおい。小便臭いコンクリート打ちっぱなしの廊下の匂い。しかしスクリーンの向こうには、野望を持つ男と女のしゅっとした切れの良さがある。銃口と硝煙。カーブの向こうを見据えるドライバーの冷徹な眼差し。

 それらは大抵。美しい犯罪ストーリーだった。生と死、疑わしい愛、安全さに欠ける大金、それらがやり取りされていた。魅せられるが、脆過ぎる。ぎりぎりの展開。破滅か生存かを賭けて、犯罪、裏切り、脱出や生存の可否を、いつも秤にかけていた。

 本書は、南部の田舎町のトレーラーハウスに生活する黒人の一家の物語である。ビターの効いたホームドラマと言って言えないこともない。主人公ボーレガードは自動車修理工場を営むが、競争相手の出現で破産を目の前にしている。目の前には、過去からやって来た犯罪という餌がぶら下がり、彼は家族のため、敢えて餌に喰らいつく。危険だが、それしかもう道はない。追いつめられた状況劇。

 うまい話には裏がある。裏切りに満ちた犯罪者たちの個性ある顔ぶれ。ボーレガードの運転技術が凄まじい。自動車を知り尽くしているゆえ、犯罪に用いる車に関しては整備も運転も100%引き受ける。路上のアクションを主体にした小説作品はそう多くないだろう。ギャビン・ライアル以来、あまりお目にかかっていないかもしれない。

 一人一人の書き分けも素晴らしい。癖のある男と女。ボーレガードの家族と彼らの長年の仕事仲間。こちら側の人間たち。愛と友情。一方では悪玉が列をなす。こわもての狂犬たち。裏切り者たち。ひとつの犯罪仕事をきかっけに、次々と組織間の衝突が巻き起こり連鎖する。一人一人、順番にこの世とおさらばをしてゆく。いとも簡単に。静と動を絡み合わせたクライム小説。銃と、暴力と、カーチェイス。

 こう書いてみると単純に見えるかもしれないが、前半部は少し長めの導火線であり、静である。だが爆発物に近づいているのはわかる仕掛けだ。とりわけボーレガードと家族たちは追い込まれてゆく。かつて失踪し、この世から消滅してしまった父の物語。いなくなった父から引き継いだ愛車ダスターへのこだわりが、夫婦間の平和を切り裂く。子供たちを切り裂く。実はこの前半によって後半の物語にも厚みが出る。

 家族。消えた父。育ちゆく息子たち。彼らに迫る危険な奴ら。家族を生き延びさせるために、ボーレガードが何をしなくていけないのか。

 大一番の賭けに出る男たちの、知略の勝負を描いて圧倒するクライムの傑作が登場した。この作家の今後が楽しみだ。そのくらい活きのいい一冊である。

(2022.3.14)
最終更新:2022年03月14日 13:04