気狂いピエロ




題名:気狂いピエロ
原題:Obsesion (1962)
著者:ライオネル・ホワイト Lionel White
訳者:矢口誠
発行:新潮文庫 2022.5.1 初版
価格:¥630


 ファム・ファタール(運命の女)と言うには、あまりに少女過ぎるが、本質的には奔放な魅力で男たちを操るエゴイストなヒロイン。彼女に対する原題通りのObsession(妄執・執着)を抱えて、破滅への道をまっしぐらに進む主人公を、かの映画作品では、ジャン・ポール・ベルモンドが演じた。30代。酔いどれ。性と悪の暴走まっしぐらの、青春と言うには幼すぎたり遅すぎたりする女と男の、ホンキートンクな愛の道行き。

 罪を恐れず暗黒界の大物までをも翻弄しようとする怖さ知らずの自由なヒロインと、大人としての人生をしくじり破天荒な道を辿ろうとしている語り手の主人公。この二人があることから手に入れた地に足のつかない賭け金。それは、彼らの足跡に血と復讐の置き土産をくっきりと遺す。愚かな青春。愚かな肉欲。愚かな執着。

 ゴダールの映画の中で最も強烈なインパクトを遺した『気狂いピエロ』であるが、今、この段になってその原作が邦訳されるとは、まるで夢のようである。あの赤や黄色や青の原色が強烈だった伝説的前衛シネマが、過去の時代とともに蘇る。ベルモンドの名を映画史に刻んだ、人を食ったような映画の結末は、原作とどう違うのか。あの奇妙な後味は? それは本作で確認して頂くとして、それにも増して眼と心とを引っ張ってゆく物語力は壮絶であった。そう。掛け値なしのノワールであったのだ。

 昨秋亡くなったベルモンドという役者の栄誉を称えるかのように、同じくゴダールによる『勝手にしやがれ』ともども古いフィルムがデジタル化され、劇場での二本立て公開上映されているそうである。ベルモンドもゴダールも共に代表とする名画の二本立てとは何とも贅沢な話題!

 さて、本書。半世紀前の作品とは言え、人間を作る感情・欲望・愚かさなどは、今も昔も寸分も変わらない。人間の心、青春の抑圧されたエネルギー、それらをもたらす環境等々、今の時代もそれらは前に進むことなく、人間の限界点を予感させつつ、敢え無く暴走する負のエネルギーとなって常に心の裏側に潜んでいる。その負のエネルギーが、人間の弱さを捉える落とし穴のような瞬間を、誰にでもどこにでも何時でも、創り出して全く不思議はない。

 小説は現実を写し、映画はまたそれを拡散する。人間の逃れようのない弱さと愚かさ。そんな欲望にまみれた悲しい現実を。

 本書も映画も、人生の示唆に富んでいるわけでもなく説教じみたものでもない、破滅のブルースしか、この作品にはあり得ない。半世紀を経た今の世にこの小説を読んでも、さほどの古さは正直感じなかった。映像の鮮烈さに比して、とても暗いモノクロームの小説。金と犯罪と欲望と、その裏で微笑むファム・ファタル(宿命の女)。これぞノワールである。掛け値なしの。

(2022.5.7) 
最終更新:2022年05月07日 17:33