われら闇より天を見る
題名:われら闇より天を見る
原題:We Begin At The End (2020)
著者:クリス・ウィタカー Chris Whitaker
訳者:鈴木恵
発行:早川書房 2022.8.25 初版
価格:¥2,300
これは凄い。おそらく今年、一押しの作品である。
ミステリーではあるけれど、それ以上に重厚な人間ドラマだ。二人の主人公が凄い。どちらも個性がしっかりとしている。少女ダッチェス13歳。ウォーク警察署長、難病との闘病中&勤務中。どちらも惑星のように独立し、人を惹きつける個性と魅力を持っている。
物語は、30年前のショッキングなシーンで幕を開ける。若きウォークがシシーを発見する。陰惨な姿で路傍に転がるシシーの死体を。このプロローグのシーンでは未だ後のヒロイン少女ダッチェは生まれてもいないが、発見された少女シシーは、ダッチェの母スターの妹である。
そして30年後。現在。波に侵食され、崖上の家が崩れ落ちてゆく海岸に見物客が群れるシーンで物語は再スタートを切る。悲鳴の中で家の土台が海に呑まれてゆく。土地の名はケープ・ヘイヴン。ここに物語は展開する。飽きれるほど骨太かつ複雑な物語が。
ダッチェの母スター。捨てばちで、薬中で、売春婦のように自堕落でありながら、美貌に恵まれたダッチェの母親。そして彼女の娘ダッチェ13歳。その弟ロビン5歳。スターが子供たちを顧みないゆえ、ダッチェは、まるでロビンの母親のように家族としての優しさを引き受ける。同時に外敵への厳しさも引き受ける。
ダッチェは自分を<無法者>と呼ぶ。あたしは危険な無法者なんだよ、と。その通り、彼女のタフさには目を見張るものがある。言動のすべてが無法者みたいだ。そのようでしか生きるすべはない、とでも言うように。<無法者>という鎧しか彼女を守す術はない、とでも言うように。
一方、臨時職員二人しかいない田舎警察の署長ウォーク。体を蝕まれつつ、過去と現在の村のすべてを把握すべく務め、あらゆる人に誠実に全力で対処する。善なる魂の持ち主ウォーク。彼は平凡な存在であれ、あまりに魅力的だ。弱く、力のない人間であるからこそ、魂の方は一筋縄でいかないくらい一途でタフだ。
ダッチェとウォーク。つまり二人の境遇も年齢も異なる主人公が、どちらも精神的にとてもタフだという魅力と、逆境とも言うべき苦しみを備える主人公を本書で貫いてゆく。
物語を通して、嫌と言うほどの紆余曲折・社会の矛盾・許せない悪業・罪深い魂などが連綿と登場するのだが、それらはダッチェとウォークの眼を通して読者は感じ、知らされる。堆積する矛盾や、悲しみを掻き抱きながら彼らの物語は疾走する。
一方、この物語の背景としての自然の美しさは、かけがえのないものである。ケープ・ヘイヴンの海。モンタナの大空。美しくも厳しい自然描写は、本書がミステリーであることや、人間の悪い側面も抉り出そうとしてゆく作品であることを、ともすれば忘れさせてしまう。
第一部のケープ・ヘイヴンで殺人が勃発する。30年ぶりに出所したヴィンセントの沈黙。彼を取り巻く疑惑と懸念の嵐。
無法者少女ダッチェの物語は、第二部で、舞台を大空と大地の世界モンタナへと移す。祖父ハルの登場。ハルと孫娘(無法者)の縮められない距離感が、何とも心に痛いが、ロビンの幼い純真さが温度をもたらす。美しいモンタナの自然も。牧場の牛馬たちも。人々も。
雄大なスケールの物語は、終盤になりミステリー作品としての集中度を高め、人間関係図は徐々に明らかとなってゆく。犯人は炙り出され、罪には罰が与えられてゆく。疾走感。複雑な、いくつもの動機が絡み合ったカラクリの中で、無法者ダッチェも、警察署長ウォークも、互いに重要な役割を果たす。
本書は、全体を読後に俯瞰すると、ミステリーというよりもむしろ壮大な人間ドラマとして集約される肉厚な大作である。何よりも人間と人間との葛藤を様々な立場から描き切り、そして文化や文明、貧富と時代、土地とそこに生きる人間模様と相互軋轢。そうした事象を、悉く浮き彫りにさせてゆくドラマチックな力作なのである。
二人の光る個性が、スケールの大きな物語と、その世界を、小気味よいほどに切り裂いてゆく終盤は圧巻だ。苦しみあがきつつも彼らのたくましさと優しさとが、ただひたすらに愛おしい。泣ける傑作である。
(2022.09.01)
最終更新:2022年09月01日 18:19