カフーを待ちわびて
題名:カフーを待ちわびて
著者:原田マハ
発行:宝島社文庫 2022/4/19 12刷 2006/4 初版
価格:¥503
原田マハが小説家デビューを果たした第一回日本ラブストーリー大賞受賞作品とのことだが、読めば、小説を物語る筆力と言い、キャラクターたちの際立った個性と描き分けと言い、舞台となる沖縄の離島のリアルな描写と言い、何とも圧巻の完成度である。
『カフーを待ちわびて』。あまり聴かないが、なぜか気になるこのタイトル。ぼくを含め、古いサッカー・ファンならば、あまりにも有名なあのブラジル代表選手カフーの名とプレーとを今も心に焼き付けていることだろう。しかし彼の物語とは本書は何の関わりもない。
巻頭に説明がなされている。「カフー【果報】与那喜島の方言。いい報せ。幸せ」とある。「与那喜島」自体が架空の島なので、この説明が作者の想像物かと思いネット検索をしてみたが、「カフー」とは「果報」の沖縄方言(沖縄語)読みで、「幸せ」の意味とあるので、そのまま捉えて良いだろう。
その沖縄の離島・与那喜島で、小さなよろず屋を営む明青(あきお)は、北陸の孤島・遠久島への町を挙げての観光旅行の折、当地の神社に「嫁に来ないか、幸せにします」と記した絵馬を釣るす。その突拍子もない募集に応えて、ひょっこりと現れたのがなんと美しき花嫁候補だった。その名も幸。小説全体を一言で語るとそれがストーリーの軸である。しかし、そのこと自体が何よりもミステリーである。
ラブストーリー大賞受賞作品とは言え、応募先によっては、ミステリー系の新人賞でも選考されていたかもしれない逸品なのである。優れたミステリー作品が優れたラブストーリーであることも多々あるわけだから、その辺りの小説ジャンルの重複については、そう、何の不思議もない。
さて、ぼくとしては、古い作品ながら映画『時代屋の女房』(村松友視原作)を思い出してしまった。あの名演技をこなした夏目雅子の姿を、本作では幸に重ねる。武骨な中年主人公であった渡瀬恒彦のヤスさんの代わりに、寡黙さをぐんと強化し、さらに右手の指が開かないという幼い頃からのハンディキャップを加えると、本書の主人公・明青となる。明青には、何人もの友達も、なぜか夕食を一緒に食べさせてくれる裏の家のお婆さんもいる。お婆さんはユタとして知られる巫女でもある。
小学校の校庭に立つデイゴの巨木も気になる。心無い級友が明青の上履きをデイゴの木の上に隠したという場面がある。後に、これが伏線ともなる重要な木である。実は、この木は、ぼくには個人的な想い出に繋がる。実は、ぼくが小学二年になりたての頃、埼玉県央にある田舎の小学校に転向したのだが、その広い校庭のただなかに、巨きな楠が聳えていたのがあまりに印象的だったのだ。その樹は、小学校の象徴のようにも、神様が下りてきそうな何ものかのようにも思えたものだ。話は飛んでしまったが、本作ではデイゴの樹が、ぼくの楠のイメージそのままに、物語にとってご神木的役割を見事に果たしてくれた。
原田マハという作家は、ただでさえ舞台や道具の設定が上手い。「明青」という名前。彼の飼う犬が「カフー」という名であること。すぐ目の前が島の南岸に広がる青く美しい海であること。彼を訪れる謎の女性が「幸」という名であること。
その他、エトセトラ、エトセトラ。
そして友人たちや脇役たちの個性にしても、いろいろ意見はあると思うが、いずれもシンプルな勧善懲悪とはとても言えず、様々な世界観や現状をそれぞれが抱えているという、とても丁寧なキャラクター造形によって繊細に描かれている。その辺りの個性の造形も、
原田マハのその後の作品作りにしっかりと繋がっているように思う。
こうした心に沁みる良い物語を、明青や幸やカフーや婆ちゃんたちの姿を、一人でも多くの方の心に読み込んで頂きたいと、ぼくは希う。心に青い海のきらめきと、涼やかな風が吹き渡る。幸が、カフーの訪れと一緒に。きっと。
(2022.10.23)
最終更新:2022年10月23日 11:15