砂時計 警視庁強行犯係捜査日誌




題名:砂時計 警視庁強行犯係捜査日誌
作者:香納諒一
発行:徳間書店 2023.10.31 初版
価格:¥2,000



 ほとんど国内小説を読まなくなってしまったのは、今の国内ミステリの作家が知らない人ばかりになってしまったからである。読者とともに作家も歳を取り、ぼくという読者より大抵年上であった作家たちの新しい作品が製造中止のような状態になってしまったからである。基本的には新しい作家の新しい作品に関する情報を自分が積極的に手に入れようとしていないこともあるが、かつて愛読していた既知の作家の名前が書店から消えてゆき、国産ミステリ作品の顔ぶれが相当に入れ替わってしまっている現状に相当面食らってしまっているのだ。

 本書の書き手である香納諒一は、ぼくという読者から見て最初から年下の方であったし、彼の作品はデビュー当初から全作読んでいるので、自分の心にはとても馴染む。作風も良い意味で個性を変えることなく、エンターテインメントの中に落ち着いた人間描写の陰影をきらりと見せる。人間だからこそ経験してしまう人生の光と影との交錯するドラマには、その上情感が漂う。バリエーションにも富んでいるため、飽きることなく全部読んで楽しめる貴重な作家の一人である。

 本書は、久々に長編作品ではなかった。そう言えばこの人は短編の切れ味も鋭い作家なのであった。本書では短編というよりも、中編小説集である。一作百ページ強の作品が、一冊で三作楽しめた。それも、どれも異なる妙味で味わえるから、多方向的にこの作家の作風のあれこれを楽しむことができた。

 本書のサブタイトルの通り、大河内部長刑事を軸に捜査活動を続ける警視庁強行犯係のお馴染みの刑事たちの捜査活動を通して人間と犯罪の綾を描いた作品である。

 個人的には、二つの捜査作品に挟まれた『日和見課長の休日』が、個性的でお気に入りだ。むしろ三作の中では番外編と言ってもよいかもしれない。比較的地味なキャラクターである小林係長が、浅草で妻と娘と家族三人で休日を楽しんでいたところ、若かりし頃の元寮長と渾名を冠せられていた懐かしいお婆さんに出会うことから、このストーリーは始まる。元同僚であった刑事の隅田川での不審な自死を伝えられ、事の真相を調べるように依頼されたのだ。小林係長は、家族との休日を楽しんでいたのだが、舟遊び・食事・買物などの最中に、ひょいと抜け出してはこの事件を調べてゆく。急に舞い込んだ私的捜査と家族との団らんという大切な行事の二つを同日にこなす、というアクロバティックな物語が見事に展開してゆく。通常捜査小説のフォーマットを少し外れたこのような番外編が、実はぼくは好きである。遊び心という、逆立ちした求心力のようなものだろうか。

 標題の『砂時計』と『夢去りし街角』は、それぞれに人間同士が綾なう弱さと複雑さのコンチェルトのようなミステリである。『砂時計』はその不思議なタイトルの理由がラストシーンで登場するところが読みどころ、かつ胸アツどころ。『夢去りし街角』は、音楽を志す者たちの夢と日常を背景に、目黒川の花見で賑わう時期の殺人という難事件が相まって、音楽を趣味とするぼくとしては個人的には親しみのわく作品であった。

 香納作品の特徴である地取り捜査の魅力が、本書の三作ではどの作品でも活きている。兼ねがね言っているように、この作家の特徴とも言える地理的舞台設定が秀逸で、本書では、東京の各所の特色や日本特有の季節感が活き活きと物語の背景を飾る。東京で生まれ、学び、働いていたかつての自分にとってもちろんのこと、東京を知らない人間が読んでも、具体的描写や東京の持つ独特の空気感はきっと読者の多くに伝わると思う。人間の愛憎劇をミステリの奥で描くにはこうした要素も必須のものであるようにぼくは感じる。映画でも小説でも、その土地という空気感があってこそ初めて、そこを行き交う人間たちが活写されるようにぼくは思う。無論知らない土地であれ、馴染みの土地であれ。

 昨今富みに作家としての円熟味を感じさせてくれるこれもまた最新の秀逸な作品集である。雑誌連載の作品集ではなく書き下ろしというところも、湯気が出ているようで、何となくほっとさせられる。

(2023.12.20)
最終更新:2023年12月20日 15:19