黒い錠剤 スウェーデン国家警察ファイル




題名:黒い錠剤 スウェーデン国家警察ファイル
原題:Råttkungen (2019)
作者:パスカル・エングマン Pascal Engman
訳者:清水由貴子・下倉亮一訳
発行:ハヤカワミステリ 2023.11.15 初版
価格:¥2,600


 強烈な劇薬のような作品が登場。1986年の若手作家だが、スウェーデンの警察小説らしく実際に起こった事件をモデルにした社会的に無視し難い特別なテーマを題材にしたショッキングとも言える作品である。章立てが短く猫の眼のように切り替わる視点が最初はとっつきにくいが、徐々に数多い登場人物たちの個性が際立ってきて、それぞれがこの作品中で果たす役割がページを進めるにつれ明らかになってゆく頃には、一気読みできるほどの酩酊感と疾走感で脳がいっぱいの読書を体験できるのではないかと思う。

 聴き慣れないであろうスウェーデンの名前の登場人物たちだが、主たるキャラクターは女性捜査官ヴァネッサとその友人で元軍人、本書では組織には所属していないが腕っぷしではとても頼りになるニコラス。またジャーナリストのグループも本書では重要な役を果たす。

 そして市井の人々がなぜか描かれるが彼らがどう関係してくるのかは、ページを進めるにつれ明らかになってゆく。主に事件の加害者たちだったり、被害者であったり、証人や目撃者であったりもするが、刑務所の様子や、女性関係で何かと物議をかもすTV司会者など、随所の軋轢が断片的に登場することにより、真相は多くのオブラートにくるまれてとてもわかりにくくなっている。ミスリードたっぷりの迷路のような作品とも言える。

 各人が各所で小さなエピソードを積み上げてゆくような描写によるいわば群像小説と呼べる一面もある。いわばエド・マクベインの87分署のようなイメージである。そういえばスウェーデン版『87分署』と言えば、シューヴァル&ヴァールーのマルティン・ベック・シリーズであった。デンマーク版87分署とは言い切れぬものの『特捜部Q』などデンマーク版北欧ミステリの警察シリーズとしてぼくは今も楽しんでいる。本書もまた、未だ一作の邦訳ではあるが、スウェーデン・ミステリのお家芸のような作品である。

 ただ、本書のテーマは少々掴みにくい。親しみにくいとも言えるテーマである。そのテーマは<インセル>。女性と関係が持てぬばかりか女性から蔑視され女性に近づけない人生を送るうちに女性という性そのものを激しく憎んでゆく男性の存在であるらしいことが読み進むにつれわかってゆくが、彼らがグループ化して女性に対する銃撃など、見過ごせぬ重犯罪が実際にスウェーデンでは発生しているらしい。女性という性だけを対象にした無差別犯罪である。日本では考えにくいが、個別にはこうしたサイキックとも思える性差別犯罪は認定されないだけであって発生していないとは断言し難い。

 本書では上記のテーマであるが、作品毎にこうした社会的テーマを扱いながら警察組織やジャーナリズムなどを主としたレギュラー・キャラクターを軸に本シリーズは本国では人気シリーズ化しているのだと言う。作者は1980年代生まれの若手作家と見えるがジャーナリズム出身者ということもあり、活気ある記者たちが捜査キャラたちとは別の動きで現場に登場し、さらには事件被害者ともダブルリンクしてゆくなど、誰がいつどこで巻き込まれるかわからぬ一大犯罪迷路のような作品にも見える。

 最後の銃撃シーンが派手過ぎるきらいはあるが、そのうち映画化やドラマ化も有りかと思わせる過激さとスケール感に満ちていながら、現実に起きた事件に材を取っているところなど如何にも北欧ミステリらしい。一作目も続編もこれから邦訳される可能性があるならば、是非読みたい。そんな注目すべき作家の一人が登場してくれた本書である。

(2024.01.18)
最終更新:2024年01月18日 16:01