悪なき殺人




題名:悪なき殺人
原題:Seules les bêtes (2017)
作者:コラン・ニエル Colin Niel
訳者:田中裕子
発行:新潮文庫 2024.11.1 初版
価格:¥850


 何とも奇妙で不思議な小説である。フレンチ・ノワールの流れを汲みそうなイメージなのだが、何とやはり、というか既に映像化され、現在はDVDとして観ることができそうである(「悪なき殺人」”Only the Animals”(2019))。しかし、、、。

 そう、しかし、である。本書は文章作品としての味わいが実に個性的なので、先に映像化作品を見ることはお薦めしない。本書の構成は5人の登場人物が各章毎に主人公となって語る形式の小説である。全員の証言を読む毎に、作品の世界がまるで違った角度から見えてくる。そのことがこの作品を、格別、個性的なものに化けさせているのだ。

 物語の中で起こるのはある女性の失踪。季節は冬、舞台となるのは山深い山間の村なのだが、失踪したのはアウトドア好きな主婦で、生死の判断もなかなか下しにくい。農協のソーシャルワーカーとして村の農家を訪問する女性アリスに始まる本作は、導入部から早速、危険の匂いを感じさせてくれる。と同時に失踪中の女性のことが話題にされる。この失踪した女性という謎が本書の軸になりそうだとわかる。

 二つ目の物語はソーシャルワーカーの訪問を受けていた羊飼い。本作が凄いな、と思われるのはここで早くも失踪者の事件が見えてしまうからだ。しかし、その見え方はどうみても幻惑的に過ぎるように感じつつ、その不信感を基に、その後の物語に繋げてゆく。

 しかし三つ目の物語辺りから物語の様子は変容する。マリベという他所の土地から来ている若い女性。時系列を記憶により戻したり、この先の展開に受け渡したりする役目の章だが、毎度視点が変わる毎に唐突な展開と思えるのが本書の構成の特徴でもあるようだ。しかし、物語は唐突なジャンプを繰り返すたびに、不思議なことに真相へと近づいてゆくのである。

 四つ目の物語はいきなりアフリカに飛ぶ。若者たちが従事するネット詐欺の小屋へと唐突にジャンプした物語
に面食らうが、こうなると既に快感である。若い美人女性のふりをして、画像を挙げ、引っかかったカモになる男たちをたぶらかし大金を送金させるというネット詐欺。そしてそこに引っかかるカモ。

 最後の章は短い。五つの物語が繋がったときに、それぞれの物語の環が完成する。なかなか珍しい構成だが、わかりやすく言えば芥川龍之介の『藪の中』、黒澤明監督により『羅生門』として映画化されたあれである。同じ事件であれ、観たものによって、それは万華鏡のように別々の形となる。一人の女性の失踪事件の真相を語るためにその手法を用いることで、五つの物語を繋げてしまったのが本書である。さらにそのことで起こってきた化学反応自体が、失踪事件以上に闇が深い。

 人間の愚かさと悲喜劇と運命に翻弄される生き物という立場。それらが衝突し合うことで発生する化学反応を一連のストーリーとして物語ったのが本作である。ある意味、凄い発想。そして驚愕。刺激的な作品構成とその内容。フレンチ・ミステリらしいノワールさが際立つ作品である。

(2024.3.5)
最終更新:2024年03月05日 14:29