ともぐい
題名:ともぐい
作者:
河崎秋子
発行:新潮社 2023.11.20 初版 2023.2.15 5刷
価格:¥1,750
読みたくてたまらなかった本がやっと読めた。北海道出身の女性作家が買いた熊撃ち猟師の物語にして、直木賞受賞作品。熊撃ち猟師以外の何も人生において知らぬ男。戦前の道東は白糠の山中で熊を撃ち、白糠漁港に大店を構える常客としかほぼ対人交流をしない孤独な男。そんな主人公はどこにでもいそうだが、今は絶対にいそうにないし、当時だってここまで孤高の人生を貫く人間は多かったとは言い難いのではないかな。
ぼくはヘミングウェイを思い出した。『老人と海』を。もちろん本書『ともぐい』の主人公は老人でもなければ舞台は海でもないけれど、動物と人間との闘いという極度に個対個という一対一の世界で人生のほとんどの時間を送る人間の存在が、とても似ているように思う。国も生きる背景となる自然さえも異なるけれど、人間の孤独を支える狩猟という時間が、地球の各所では、かつて多く営まれていたに違いない。
山の中や海の上に一人ぼっちでいるときに、人はどんな風になるのだろうか? そんなシンプルな疑問にある回答を与えてくれる文学、というものがここにある。それはもちろん、人はなぜ生きるのか? という命題にも繋がる。熊撃ちの猟師が、熊と対峙し闘う孤独。そしてその孤独が敗れるとき、例えば若い女性や生まれてくる子供、といった家族ができるとき、これまでずっと山で独りで生きて来た男はどうなるのだろうか?
作者は女性であるが、狩猟の場面はワイルドこの上なく、荒々しく猛々しい。野生は容赦なく、血は赤く流れ、息は雪原に白く凍る。それでも呼吸をして生きてゆくように人も熊も森の中で闘う。原初的なその姿とその行く末、人間界のもたらす時代の変化はどう影響を与えてくるのか? 多くの命題をつきつけながら、作家はそれを文字にしてゆく。
物語は自然界で生きる人間が、社会というものの端っこに引っかかって、結局は戦争や時代の荒波に影響され、孤独であることから変貌してゆかねばならなくなったときに、どんな心情になるのかを描いて生々しい。社会環境の変化は、歴史に語られるように多くの民に影響をもたらす。人は独りでは生きられない、という命題と、人と人との絆という、現代の人間たちが失いかけているかもしれない何か、とを非情な両手で差し出されているような気がする作品であると思う。
かつてこうであったという単なる歴史小説ではないからこそ、人間という個体とそれを取り巻く野生、文明と三つ巴の均衡を、シンプルな男の半生を描くことで表現した作者の筆力以上に、この作品を書いた動機の方に強烈な興味が湧。作者の受賞時のインタビューをTVで観たものの、当時は本書を読んでいなかったので、今更ながら本書と組み合わせて、執筆の独自性と今後の方向性に浅からぬ好奇心をぼくは抱いている。
(2024.10.02)
最終更新:2024年10月02日 16:28