鉄のほころび 刑事花房京子
題名:鉄のほころび 刑事花房京子
作者:
香納諒一
発行:光文社 2024.8.30 初版
価格:¥1,900
シリーズが重なるにつれ、新作がどのように書き継がれてゆくかという点に興味があるし、マンネリ化を避ける策は、その後どう取られてゆくのかという辺りにも好奇心の虫が騒いだりする。
さて『刑事 花房京子』のシリーズも4作目。そもそも女性主人公のシリーズというのが、まず香納諒一作品として珍しい。本シリーズは倒叙形式だから、男性作家であってもこのヒロインを創出しやすかったのかなとも思える。主人公である花房京子の心理に踏み込むことなく、そもそもヒロインにあまり語らせず、ただただ犯罪の真実を追求することに才能を発揮させてゆく手法である。だからこそ犯罪者側から見ても、また読者から見ても、この女性刑事・花房京子という存在は、謎めいていながら、その手腕がもちろん、事件の核を掴み取る存在感というところで際立った存在なのだろう。
ぼくが、あれ? と不思議に思ったのは本シリーズでは何も初めてのことではない。シリーズ前作『絶対聖域』では、刑務所を訪問してそこで発生した事件を解決するという奇抜なアイディアに驚いたが(『絶対聖域』)、今回もまたシリーズのステージや表現手法に変化が加わっているように思えてならなかった。というのは、なかなかヒロインが舞台の表に登場せず(そう、じれったいくらいに)、被害者が米国での長期留置を終えて釈放されたばかりの男性、という設定、そして帰国した途端に被害者が殺害されるという謎そのままに、捜査陣が四苦八苦するという前半の語り口に、ぼくは本シリーズとしての意外性を感じた。本作に限っては、倒叙型ではないのか? とも感じるくらい、真の殺人犯が表になかなか出てこないことが不思議だった。
倒叙型ミステリーと言えば、事件が発生した途端に、読者はそのときの加害者側の事情を最初に知らされるという パターンがほとんどだろう。それがどのように名刑事によって明かされ追いつめられてゆくのか、というところが読者や視聴者を楽しませる手法であろう。しかし本書はだいぶそのオーソドックスさに頼らない語り口となっているのだ。否、むしろ主人公のヒロインも、敵手であるアンチヒロインも、そのどちらもが前半部分にはあまり登場しない。ただただ被害者の死が軸となり、ヒロイン以外の関係捜査官たちによって捜査されてゆくのである。その中には無論われらが花房京子も存在するのだが、なかなか前面に登場してくれないやきもき感が、シリーズ中本作だけの異質さを感じさせる展開なのだった。
もう一つは、被害者と加害者の過去における人間関係が物語の中で際立ってゆくことだ。現在の殺人の動機について調べる側の描写が連なりながらも、なかなか犯罪者の心理面でのドラマというものは、終盤にかかるまでは登場しない。加害者側がなかなか登場しないということでは、倒叙ミステリとはやはり大きく異なる構成ではないかと思えてくる。コロンボ慣れた読者であれば、犯罪がどう起こったのかがまず読者(もしくは視聴者)が知ってしまうところから始まることに慣れているはず。完全犯罪を狙う犯罪者の側の創意工夫によって事件が起こされ隠蔽されるが、それらの隠蔽が名刑事コロンボによって裏返されてゆくというパターンではないだろうか。
本書はその定型パターンから極めて外れているために、倒叙型というスタイルにこだわらない本シリーズの新しい形を見たような気がする。実のところ、前作も刑務所見学中に事件が発生しそれを解決するという異質な場所という舞台設定に驚いたのだが、それはまだ犯罪者側の描写が最初にあるために構図通りではあったと思う。
しかし本作は最後までストーリーが見えにくい。つまりオーソドックスな倒叙ミステリーという形に拘泥していないのだ。ヒロインの性格・魅力をそのままに、新作の都度、何かをスパイスのようなものを加えている。本書ではそんな感覚を抱いた。コロンボのような定型ではなく、変化に富んだ不思議なシリーズになりつつある。ヒロインの際立った才能だけに甘んじず、作品のカラーを毎作変えてゆく作者の意図が見えてくる。加害者や隠蔽トリックを変えるだけではない。そんなところが肝であるような、シリーズとしては、いい意味で読者を裏切ってみせるイルージョン連作へと進化しているように思った次第である。
(2024.10.17)
最終更新:2024年10月17日 15:29