終の市



題名:終の市
原題:City In Ruin (2024)
著者:ドン・ウィンズロウ Don Winslow
訳者:田口俊樹
発行:ハーパーBOOKS 2024.06.20 初版
価格:¥1,680


 一冊ずつ三年。書き継がれた三部作の遂に終わりを告げる本書。そしてドン・ウィンズロウが作家人生の終わりを告げてから、世に放たれた最後の作品である本書。何と言うべきか。堂々の作風で最後の大掛かりな仕掛けを完成してみせた観のあるビッグ・ストーリーに向き合って読み始めた本書。いつもの疾走感のある文体。簡潔、かつ重厚、読みやすいページターナー。さらに、衝撃的で突然すぎるアクション。やっぱりウィンズロウは個性の塊であり、才能の集積だ。興奮に包まれる一分一分という貴重で忘れ難い読書の時間。

 約30年ほど昔、ニール・ケアリーというものすごく平凡なのにオリジナリティの横溢した主人公を引っ提げてスタートしたウィンズロウの作家人生は、現在、こんなにも巨きな物語を紡ぎ、そして鮮やかに閉じてゆく。その後、このウィンズロウという人はどう生きてゆくのだろうか? それは本シリーズの主人公ダニー・ライアンの終わりの章を読むと、なぜか作者の今後のイメージと重なりそうだ。それは様々な歓びも哀しみも、すべてを引き受けて人生を疾駆し、そして終焉に向かい合う。人の人生は、すべて重く、大きなドラマであるからだ。

 読者ひとりひとりにも勿論、それぞれのドラマがあり、それらは大きな波のうねりのようにも見えれば、打ち上げられたビーチの砂粒のように、様々な形と色をした微細な破片たちの膨大な集積のようにも見えるかもしれない。あるいは、陽炎の如く、流星の如く、一瞬の儚さであるのかもしれない。一人の人間の誕生と成長と成熟と、そして死。それらは、スケールにこそ違いがあれ、いずれも同じような経路を辿るものだ。ましてや死んでゆくときに、生きた時間のスケールの違いが果たして問題になるだろうか?

 命と無。この広大過ぎ、わかりにくい永遠の命題の中で、ウィンズロウという作者も、ダニー・ライアンという本三部作の主人公も、ともかく目の前の人生を生きざるを得ず、最後には死なざるを得ない。そんな命の重要さと儚さとつまらなさとおかしさと、様々な生を展開して、巨大な街を語り、世界と時とを語ってみせる、この作家の最終作が本書なのだと、意識しながら読んだ本作。

 序論が長すぎたが、頂戴な本三部作の構成を振り返ってみよう。ロードアイランドで形成されたアイリッシュ・マフィアの組織の戦いと成熟?ぶりが一部、イタリアンマフィアとの間で激化する抗争と、敗走を描く二部。ウエストコーストに辿り着いた主人公たちが、ウエストコーストに身を隠し合法的商売に鞍替えしてラスベガスで再生を果たしつつある主人公とその後の経済抗争を描く本書第三部。

 全体を振り返ると、アイルランド移民たちとイタリアン・マフィアがアメリカ史で果たした舞台裏的役割を、壮大な支配絵図を基に、数々の個性的なキャラクターを配置して、経済支配に誰が到達するのかを描いた暗黒史と言えるのが本三部作なのである。三作目の本書では誰もが若者から卒業し、そして成熟し、合法的な経済マフィアとして、ベガスの支配闘争に浸かっている構図である。最早、若きマフィアたちの殺し合いで片が付く世界ではなく、経済支配と組織連携によるマウントの取り合いといった様相を呈している。もはや暴力や闘争ではなく、合法的な経済闘争である。複雑に絡み合うこうした人間絵図が、本三部作では簡潔でスピーディな語り口で描かれてゆく。

 マフィアという過去を隠し去りながらアイリッシュもイタリアンも、ベガスを舞台に金を積み上げて、これでもかというほどの小競り合いを繰り広げる。過去を引きずってきた戦士たちが金のなる大都会を舞台に、互いにしのぎを削るなか、闇から闇へと蠢き、やがて葬り去られゆく男や女の数は大変なものなのであり、一部と二部で登場してきた古い戦士たちは暗闇のなかで次々と命を捨ててゆく。後半部分、彼ら多くの馴染みのキャラクターが破滅してゆくシーン。その展開のスピードとスケール。人間の経済闘争が生む犠牲者や家族の不幸が何ともやるせない。アメリカ暗黒史の傑作がまた一つここに誕生したのだ。

 巨大な国家の経済が生む大きなうねりを、個々のキャラクターの行動で描き切ることで、作者が展開してみせた移民闘争の地獄絵図。それを乗り越えられ生き延びることのできた者は少なく、そのために失われた命は計り知れない。ギリシア悲劇を底本にしたという、新大陸アメリカが完成(?)するまでの人間悲喜劇。それを個人という人間の、活きた目線で描いた大宗教画のような三部作がここに終わりを告げる。ウィンズロウは最後のペンを置く。半世紀近くに愛読してきたこの作家。その全作品に触れられた幸せに、ただただ感謝したい。

(2024.10.19)
最終更新:2024年10月19日 10:43