マット・スカダー わが探偵人生
題名:マット・スカダー わが探偵人生
原題:The Autobiography Of Matthew Scudder (2023)
著者:
ローレンス・ブロック Lawrence Block
訳者:田口俊樹
発行:二見書房 2024.11.25 初版
価格:¥2,500
懐かしのマット・スカダー・シリーズの驚くべき最終編。第一長編『
過去からの弔鐘』から本シリーズを読み始めたのが1991年10月で、割と遅めのスカダー読者だったのだが、驚くべきことに、その10月だけで『
慈悲深い死』までの7作を読み終えているから、ぼくのこのシリーズにへの惚れ込みようは押して知るべし、である。そこから2012年の『贖いの報酬』でこのシリーズは一端途切れる。このシリーズのみならず、ローレンス・ブロックの他のシリーズ作品も含めて、2014年をもって全翻訳作品が途切れたのである。
作者の高齢化やそれにまつわる状況がそうした空白を産んだのかもしれないが、その後も印象的な翻訳短編集が出ている。2020年に出版された『
石を放つとき』である。過去の短編作品の再集録や初訳短編もあるが、シリーズ主人公であるマットの老後の姿に初めて会うことができるタイトル作は、貴重な一話だ。昨秋に出版された本作は、このシリーズに終止符を打つべく老齢の作者が渾身のペンを走らせてぼくらに贈ってくれる最後のマット・スカダーだ。
こちらのマットは、主として回顧録のスタイルをとっているが、特に目立つのが警官時代の若き自分を振り返るエピソードで9割がた費やされていることである。無論その合間に現在のマットの心境を挟みながらエピローグの形で彼の人生の知られざる前半期を物語ってくれる。しかし、それらはストーリーの語り手としてではなく、あくまで回顧録の書き手としての立場で。
警官、孤独なアル中探偵、エレンとの同居により成熟した大人の生活を取り戻した成熟した探偵時代、といささか乱暴だが、大きく三つの時代に分割されるマット・スカダーの人生のうち、最も詳しく描かれることのなかった警官時代を老齢のマットが独白の形で振り返るという形を取った本書は、作者が第三者であるローレンス・ブロックの形でマットとやりとりするなど、若干シュールな作風もチョイスされている。
作者もマットも80台の大台に乗って、若い頃の警察官マットを振り返りながら、物語ではなく独白のかたちで半ばエッセイ風に記述してゆく。アル中になるきっかけとなった少女誤射事件をきっかけに警官を退職し、酒に身も心も委ねたマットは禁酒の誓いを立て、娼婦であったエレンの力を借りながら徐々に自分を許してゆく。その延長線上の彼を、物語風ではなく、驚いたことに回顧録風に語ってゆくのが本作である。
ミステリーではなく、ハードボイルドでもなく、むしろ文学性が豊かに感じられるシリーズ最終作が本書なのである。作者ローレンス・ブロックすら登場させ、マット・スカダーという探偵のシリーズそのものに驚異的な奥行きを与える一冊となっている。独白でエッセイ風味なのでストーリーというものはないにせよ、このシリーズを長年に渡って逐一追いかけてきたぼくのような読者にとっては、このリアリティとキャラクターの深みは、リアルとフィクションを行き来する合わせ鏡の眩暈のようだ。
懐かしい名前やできごとを各所に登場させながら、84歳のスカダーに語らせるという異次元の手法で描かれた新手のフィクションとして、最後まで僕ら読者の眼を眩ませてなお斬新な作風を取ってくれたブロック。この奇跡の一作にまたしてもガツンとやられたぼくはこのシリーズを長年読んできて、マット・スカダーのことも、彼と接してきた自分自身のかつての姿をも振り返ることができた気がする。前代未聞の型破りなこの作品の精緻さにも、とうとう最後まで幕引きをしない作者のトリッキーな姿勢にも、すっかりガツンとやられた感いっぱいの読後なのだった。
(2025.04.29)
最終更新:2025年04月29日 21:56