アットウィキロゴ

野生の暗き岸辺




題名:野生の暗き岸辺
原題:Wild Dark Shore (2025)
著者:Chariotte McConaghy
訳者:高橋尚子
発行:小学館文庫 2026.8.9 初版
価格:¥1,240


 毎年『このミス』に投票しているので、今年のミステリ順位も自分の中ではだいぶ固まりつつあったのだが、後から、後から、図抜けて素晴らしい作品に出くわしてしまい、既定順位が頭の中で何度も組み替えられる。次々と既存作品を、さらなる秀逸さで頭一つ追い越してゆく高質な作品によって、今年の面白本レースは現在ぼくの中で混沌を極めている。昨夜読み終えたこの作品も、間違いなく自分的には今年ダントツの一位に跳ね上がったものである。

 これはミステリーなのだろうか? と最初は懸念される展開である。冒険小説であることは間違いないと思われるが、ミステリー要素は果たしてという懸念が最初に兆す。

 何しろ舞台となる場所が強烈過ぎる。タスマニアと南極の中間に位置するというシーアウォーター島(実在しない島)。海面上昇により水没が予見されている島である。

 去って行った研究者たちの後に残されたのが、島を守る最後の一家族。亡き妻への悼みを抱えた父と、二男一女。四人だけの島。海面の上昇に伴い沈まんとしている孤島なので年内にこの島を去ることになっている、という後のない状況。世界中の種子が保管されているという島。しかし水没予測により研究者たちがすっかり引き上げてしまった島。

 嵐の海から漂着した謎の女性はローアン。彼女はなぜこの島を目指して上陸したのか? この異分子によって、孤島の中にミステリアスな要素が生まれる。同時に、家族だけで保っていたバランスが失われる。

 家族は、父親ローワン、18歳長男ラフ、17歳長女フェン、少し離れて9歳次男オーリ―の4人だけ。それぞれの個性が作中で描かれてゆく。9歳のオーリーの章が、きっと読後もずっと残るような内容である。作中のオアシスであるかのように、生命力、そして未来に向かう希望に満ちて見える。

 ちなみに家族のなかで、娘のフェンだけはゾウアザラシの群れる浜に建つ別の小屋で暮らしている。島唯一の女性だから? しかしローワンという女性が漂着した後も、フェンは変わらず独りだ。

 全編、生活描写、島の自然描写。それはただの描写ならぬ物語でもある。島の物語。地球の物語。生物たちの物語。

 世界中の種子を集めている倉庫。海面上昇という暗い未来。南極に近い孤島という隔絶した状況。晴れても嵐でも、免れられぬ世界からの孤立。こうしたシチュエーションで描かれる家族の物語。この作品は一体どこへ向かおうと言うのだろう? そんな好奇心でページを繰るうちに、この異常な境遇下で生き続けている家族たちには、どのような未来が待ち受けているのだろうか? 

 漂着した女性ローワンについては、島の一家とは別の物語がある。各人の視点で紡がれる物語は、時に反発し、時に合流し、解け合い、縺れ合ってきた。そこにさらなる異分子ローワンが加わることによる化学反応がこの家族を微妙に変える。

 他に誰もいない絶海の孤島。海面上昇が限界を超す前に離脱を余儀なくされる家族。この夏の間に離れたい危険な島。今にも息絶えそうな絶海の孤島で日常を営む家族。彼らの前に辿り着いた漂流者女性のもたらすものが、 彼女が見るものが、世界の終わりのようなこの島に不穏をもたらす。

 ミステリというよりはあらゆる意味で冒険小説的シチュエーションなのだが、ローアンの登場は、ここにミステリの要素を知らず加えてゆく。彼女が秘める漂着の目的とは? 過去にこの島で起こった事とは? この島の研究者やその他の人間たちはどこから来てどこへ去ったのか。

 豊穣な抒情性を秘めた豊かな文章(ちなみに邦訳がまた秀逸極まりない)で綴られる、消えゆく島の物語。そこに残され、未来への転機を迎えようと言う家族と子供たちの成長の物語。人類史の行方にまで触れながら、冷徹な大自然と、生命を謳歌する人間たちの、あまりに静謐、しかし圧縮したエネルギーを秘めたようなドラマ。

 今年一年というだけではなく、長いスパンで観てもきっとずっと忘れ難い印象を残す、この大自然を舞台にした冒険ミステリーは、読者に隈なく驚愕と眩暈を与えることだろう。それは今まで読んだことのない未踏の読書体験であるかもしれない。驚くべき作品が登場した、の一言に尽きる。

(2026.9.05)
最終更新:2026年09月05日 14:47