郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす
題名:郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす
原題:The Postman Always Rings Twice (1934)
著者:ジェイムズ・M・ケイン James M. Cain
訳者:
小鷹信光
発行:ハヤカワ文庫HM 1999.10.31 10刷 1981.11.15. 初版
価格:¥520
この本はノワールなのか。ダーク・ミステリなのか。ブラックジョークなのか。それともトラッドなスリラーなのか? いずれのカテゴリーにも入っているようにも見える反面、それらのどれでもないのではないか? とも感じられる。
1981年に映画化された作品を劇場で観ていなければ、1934年に登場したこの小説を手にすることはなかっただろう。長く手にしていた割には読み始めるのがだいぶ後回しになったのには、何らかの自分なりの理由があるのだろうか? ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラング二人の強烈な演技が光った暗黒映画というイメージ。またその映像作品に与えられた強烈な印象。残忍さとエゴとエロスと滅びの混在。
謎解き要素も何もないから、ミステリーとは呼べない映画。ただ渇いた犯罪と残酷さ。発熱中にあるような悪夢的バイオレンス。破滅への失踪感とデカダンス。それでいて暴走する若さや血の熱さと夢中になるしかない男と女の明日をも知れぬ今への渇き。そしてそして欲望に満ちたセックスと殺人の時間。
明日をも知れぬ絶望への性と暴力とを描いて、若さでもなく熟成した大人でもなく、ごく当たり前の田舎で店をやっている夫婦が破壊され、その妻の方が殺人者との愛と性にまみれてゆく、明日をも知れぬ物語。
映画そのままに、原作小説も疾走し、暴走する。起承転結などはないに等しく、ただただ疾走してゆく滅びの美学をジャズピアノのように眼と感覚で聴いて(読んで)ゆく物語。ほとんどこの一作だけでアメリカ小説の歴史に強烈なアクセント(楔?)を打ち込んでいったケインという作家の血の踪跡がここにある。
ぼくはこの200ページに満たない短い小説をなぜ今まで読まずに本棚にしまい込んでいたのだろうか? と読みながら思った。なぜ40年も前に観た映画の強烈な記憶を今もほとんど忘れることなく、この作品に向き合ったのだろうか? あるいはどう向き合ったらよいのだろうか? 読後、この作品を心のなかでどのように処理解体することができるのだろうか?
そんな疑問のすべてに応えてくれるべき何ものもなくこの薄く古い文庫本を閉じるしかない。こんな作品も作家も他に二人といやしないということだけは確実に思いながら。
(2026.10.18)
最終更新:2026年10月18日 10:53