時には懺悔を




作者:打海文三
発行:角川書店 1994.09.25 初版
価格:\1,600

 読み遅れてはいたが、読み残さなくて良かったと思った。東直己に続いて遅れ馳せながら打海文三という和製ハードボイルドの書き手を知ることは自分の中で収穫でありながらも、こうした作家を今頃になって褒めるという照れ臭さもあり、で何とも複雑。

ハードボイルド作品のなかで実際に探偵を生業にした主人公というのは、日本では案外に少ないような気がする。日本の事情を考えると、探偵は決してメジャーな商売と言えず、探偵ドラマを持ち出したとしてもどこか舶来の印象が強く無理が出る。探偵が許可証をちらつかせて聞き込みにまわり、行く先々でカクテルを薦められ、関係者に減らず口を叩いて回るという構図は、いかにも日本の精神風土にはフィットしにくい。

そこでハードボイルドの条件ともいえる現実的な側面を日本で探偵業という商売に結びつける場合、どうしても東直己の畝原シリーズのように、探偵事務所としてビジネスをしてゆく経済基盤や周囲の人間との情報コネクションを精緻に描かざるを得なくなる。

本書の場合も、その点においては凝っている。いわゆるアメリカの洒落た私立探偵ではない探偵たちがそれだ。アーバン・リサーチという一見探偵事務書風ではない、社会システムにきちんと噛み合ったかたちで存在している現実社会にいかにもありそうなリサーチ会社。その実態はいわゆる興信所なのだが、やらかすことは犯罪ぎりぎりの探偵業である。そこに勤務する社員たち、探偵スクールの生徒、下請けの個人探偵等々。

日本というリアルな経済風土にきちんとしたビジネスとして蠢く業界人たちの姿を曰くあり気に、酸いも甘いも知りつくしたような老練の連中からスクール生までのさまざまな経験値を持った人物たちの横顔を通して描こうという姿勢が、大人の小説であることを何よりも第一に伺わせ、好印象だ。

一方で事件そのものは、障害者と生まれてきた子を巡っての駆け引きであり、社会問題を扱っているようでありながら、その実、教条じみた押しつけがましさはなく、正義の杖を振り回すわけでもなく、社会に何らかの提案を掲げているわけでもない。べたべたしたところが微塵もない距離感のある描写がなぜか、日本小説離れしていて心地よいのだ。

アメリカであれば正義感であり人情家であり熱血漢でもある中野聡子というヒロインがそのまま主人公として描かれてしまうのかもしれないが、ここでは佐竹という無力で様々な重荷を抱える疲れた中年探偵の視線を通して物語が進められる。無骨で、不器用でありながら、感情と熱意を適度に抑制できる大人の眼差しが、小説世界にずしりと垂らされた、まるで錨だ。

このアーバン・リサーチという探偵社およびその周辺に蠢く闇の稼業の人間たちが、主となり従となって、打海文三の小説世界を切り拓いてゆくことになる。いきなり最新作『愛と悔恨のカーニバル』を読んでしまった間抜けなぼくは、登場した探偵たちの過去を発掘するような思いでこれから続く過去の作品を読んでゆくことになる。本当に恥ずかしいことだ。

<補足>


 作品の感想とは少し離れるが、この本に関係することを少し補足。

ぼくの前の職業は医療器械の営業であり、実はこの作品に登場する医療施設をぼくは十五年くらい担当していた。ナースたちの研究を手伝ったこともあれば、難病看護の研究会に誘われて顔を出したこともある。障害児の社会的な福祉活動に関しても手を伸ばしたことがあって、実際に難病患者の家を訪問したこともある。本当はメーカーの人間がそこまで手を広げてはいけないし、ぼくは今だから言えるけれど会社には内緒にしてのめり込んでいたものだ。

この小説に出てくる病院の性格も知っているし、実際にこの病院の駐車場に車を停め、外来、病棟のスタッフと多くの話をし、対策や改善策を練り、ケースワーカーや保健婦たちとの在宅患者たちに関する個別の状況に口を挟んだこともある。隣接する施設の手術場で脳外科の手術に立ち会ったこともあるし、集中治療室では各部屋の無菌度を測定した。看護婦たちに寿司をご馳走になったこともある。こんな営業の人間は多分あまりいないと思うくらいだ。

他にも難病の子どもたちがいかに間違って肺に食物を呑み込まないようにするか、いかに排痰を促すか、いかに血中酸素濃度を上げるかという相談に多数乗った。学会では、本署に出てくる患者の症例スライドを沢山拝見した。

なぜこんなことを書いているかというと、その種の医療に携わる人が実に数多くいること、家族の問題、社会の問題、多くのことがこの作品の背景にきちんと順番を待って並んでおり、その多くのことが解決を待っているが、順番待ちの列が短くなってはいないだろうということ。その一見救いのない状況の中で、人間ができることなんてほとんどないのだが、つまらない正義を振りかざす前に、この小説のように正直に人間の葛藤を吐露する弱者、と彼や彼女に向かい合う熱さを見ていただきたいという気持ちがあるからだ。

関わらなければ存在しないも同然。関わることで見えてくる問題に真っ向から挑めば、行き着く底は全くない。矛盾のようだが人間の生きるかたちなんてほとんどみんなそんなものではないかと思う。

「あなた、いろいろ解釈するのはお上手のようですけれど、解釈するだけでは世の中、何も変わらないのよ」

ヒロインのこの言葉が本書を一番端的に表現していると思うのだ。
最終更新:2007年01月13日 03:03