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八千万の眼



題名:八千万の眼
原題:Eighty Million Eyes (1966)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:久良岐基一
発行:ハヤカワ文庫HM 1980.04.30 1刷

 小さな事件がニ件。一つは八千万の視線が集まるブラウン管の向こうにおけるコメディアンの死。八千万の目撃者の前でのアリバイ、という難問。もう一つの事件は、ちょっとした異常者が若い独りの女をつけ狙うというもので、ぼくにはこちらのほうが面白かった。この若い女というのは『10プラス1』でお馴染みの心理学専攻の学生である。『10+1』からちょうど三年が経った。

 三年は、ぼくのような後発の読者にとってはすぐに追いつくことのできる時間だが、作中ではきちんと経過して去っていった時間である。十九歳の女性は二十二歳になってしまう。若い女性にとっての三年というのはある意味では恐ろしくな変化に富んだ時を刻む(これはぼくの持論なのだが)。十九歳の女性と二十二歳の女性と二十五歳の女性というのは、まるで別人のように世の中の見方も感じ方も変わってしまうのではないかと思う。二十五歳を過ぎると女性は徐々に変化が薄れていき、その頃にはほぼその女性の方向性は決定づけられてしまう。そんな風にぼくは女性の成長を捉えているのだが、これは純粋に統計学的な考えではないかと自分では思っている。

 さて二十二歳のシンシア・フォレスト。そして、すっかり大人になった観のあるバート・クリングのこれは恋愛の発端のエピソードになるのだろうか? いや、そう思わせる作品である。長いシリーズでは、作中人物はどんどん経時変化を遂げねばならない。現実世界のリズムに合わせようとするならば、本質では変わらないキャラクターたちをも、緩やかな時の流れによる変容を経験していかねばならない。まさに読者はシリーズものにそうした変化をこそ求めているのではないだろうか。

 ところで本シリーズはすでに十年のサイクルを終えた。十年。小学生が大学生になる時間だ。この作品の時代にはもう東京オリンピックだって終わってしまっている。ということはこの本が世に出たあたり、日本の道路という道路はもはや舗装され、空き地はみるみる郊外型の団地で埋まり始めていたはずだ。日本は戦争を忘れつつあったが、まだまだ映画やTVは第二次大戦を題材にしたものが多かった。

 本書の重要な人物の一人もここでは戦争を引きずっている。アメリカが次のもっと悲惨な戦争に突入するまでにあまり間がないというのに。ケネディは暗殺され、前の大戦の影を引きずるような人物は、この後もっともっと時代遅れになってゆくことだろう。

(1990.07.29)
最終更新:2007年05月27日 13:16