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ショットガン



題名:ショットガン
原題:Shotgun (1969)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:井上一夫
発行:ハヤカワ文庫HM 1980.04.30 1刷

 ショットガンというと、ぼくはサム・ペキンパーの映画を思い出す。とりわけ凄まじい破壊力と轟音を秘めた『わらの犬』におけるショットガンは、途方もなく狂暴な武器に見えた。また大江健三郎が初期のバイオレンス小説で車とともによく使っていた小道具がショットガンであった。『万延元年のフットボール』を締めくくったのも、ショットガンから飛び出す無数の散弾であった。そういえばイザベル・アジャーニの主演した『殺意の夏』も散弾銃の炸烈シーンのスロー&ストップ・モーションで、幕を閉じる映画だった。

 そうした暴力の象徴ともいえるショットガンにより顔を吹き飛ばされた二つの死体で、この物語は幕を開ける。しかしショットガンを撃ちまくるバイオレンスな野獣の話なのではなく、地道な捜査の物語だ。

 ぼくはかつてエア・ライフルの所持許可を得るために銃砲扱いの講習会を受けたことがあるのだが、そこに来ている人のほとんどが狩猟のために散弾銃を持とうとする人たちであった。講習を終えたあと、クレーを使った実地試験に合格した時点でようやく散弾銃が手に入る。日本ではその弾丸の消費量までが念入りにきちんとチェックされるシステムになっている。購入しただけの弾丸が、サイズ等を含めてきちんと記録帖の空欄を埋めてゆくことになっている。海の向こうのアイソラの街でもショットガンはそうやすやすと購入できるものではないらしく、犯人はわざわざ隣の市まで出かけてこれを買っているらしい。こういう点では、<87分署>シリーズというのは実にきちっとしている。気持ちがいいくらいにきちっとしている。

 そしてなんと突然、四年の時間を経てふたたび浮上してきた『灰色のためらい』。すっかり驚かされてしまう。作者は忘れていなかったし、読者も忘れていなかったのだ。『灰色のためらい』はたいへん好きな一冊だったし、ここでふたたび浮上するあの事件は、やはり複雑でデリケートな感情をぼくらの中に呼び戻してしまう。

 バート・クリングは新しい恋人を得たが、またしても学問に夢中な若くキュートな女子学生。描写だけを見てみると恋人シンディの境遇はやはり死んだクレアに似ていたりもする。登場人物たちをおざなりには扱っていない。そんな作者のデリカシーがこんなところにも垣間見られるのが何とも嬉しかった。

(1990.08.16)
最終更新:2007年05月27日 13:21