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八百万の死にざま



題名:八百万の死にざま
原題:EIGHT NILLION WAYS TO DIE
作者:LAWRENCE BLOCK
訳者:田口俊樹
発行:ハヤカワ文庫HM 1988.10.15 初版 1990.12.31 2刷
定価:\680(本体\660)

 マット・スカダー・シリーズのひとつのピークというか、クライマックスに当たる作品が本書なのであろう。ぼくはブロックの初期作品を読んでいるときには、スカダーを「アル中探偵」というのは出版社側の誇大広告だくらいに思っていたのだけれど、この本を見る限りスカダーはアル中探偵以外の何者でもないので、ぼくは思わずため息をついてしまった。

 それに、ことブロックに関しては日本の読者はついていなかったようだ。翻訳の順番があまりにもばらばらであるために、ぼくのように後から順を追って読んでゆく読者のようにはスカダー自身の物語を順番にそして劇的に読むことはできなかったのではないかという気がする。順番に読んでゆけば、この本自体のけっこうな重みをもっともっと感じることができるのではないだろうか? 読んでみて、ああ、このシリーズをめちゃくちゃな順序では読みたくないな、とぼくは思ったもの。しかしめちゃくちゃな順序で読まねばならなかった読者が、ブロックの読者の大半に当たるのだろうから、やはりこれは日本の読者にとっても、ブロックにとっても少しばかり不幸なことであるに違いない。

 何度も言ったのだが、スカダーの物語は事件に付随するなにものかなのではなくて、むしろ前作辺りからは物語の主軸になってきている。ではすべてシリーズ作品がそうであるかというとそうとばかりも言えない。作者はその時その作品によって、ストーリーのバランスをある程度自由に調整している、といったところだ。とりあえずこの作品に限っていえば、事件は事件、重要なのはスカダーの彷徨のほうにあるといえる。何故事件を捜査しているのか? その動機が凄い。酒を飲まないために、事件を捜査しているのである。この本はその内的葛藤を綿々と綴っている。

 何故にこの本だけ、特別分厚いのだろうと思ったが、事件以外のそうした探偵の心の物語が同時に進行している故に、この本は余計にページを食っているらしかった。もちろん捜査自体も素晴らしい描写が続くので、事件そのものがそれ程蔑ろにされているわけではない。むしろニューヨークの下町の描写、棲息する人間たちの臭いなどが、ページを繰るたびに伝わってくる様子は、この舞台が87分署と同じ街であることをぼくに思い出させてくれるし、そうした雑然と一つ所に放りこまれた都会の色合いというものはぼくにとってハードボイルドの味わいの内である。ニュースなどで見聞きする様々な死にざまを意識するスカダーの憂いは都会そのものの放つ憂いであるし、彼のアル中との闘いもこういったものとは無縁ではないのだろう。まさに都会の「八百万の死にざま」が様々な物語を秘めている。

 しかしそういうすべてを差し置いて探偵そのものに大きな比重をかけてしまった本書は、たまらなく人間的な割り切れなさを篭めてぼくらに訴えかけてくるはずだ。いつも感心させられるシリーズのラストシーンが、この作品では予想できたにも関わらず素晴らしかった。小説として作品自体をここまで美しく造形することのできる作家というのは意外に少ないのではないかという気がする。真に人間の内奥を見つめることのできる視線と作家としての筆力がうまく協調した時にしか生み出されない種類の、きれいな作品であるとぼくは感じた。ハードボイルド・ファン必読の書であると言っておきたい。

(1991/10/27)
最終更新:2007年06月28日 22:04