ファジアーノ岡山選手名鑑「イリアン・ストヤノフ」

1、プロフィール

イリアン・ストヤノフ

■愛称:イリアン、ストやん、Коловати
■ラテン文字:Ilian STOYANOV
■ブルガリア:Илиян Стоянов
■国籍:ブルガリア
■生年月日:1977年1月20日
■出身地:キュステンディル
■身長:182cm
■体重:76kg
■ポジション:DF/MF
■利き足:右足
■出場記録
クラブ
年:クラブ:出場:(得点)
1995-1996 :CSKAソフィア:3:(0)
1996-1999 :キュステンディル:66:(2)
1999-2000 :ヴェルヴジド1919:22:(1)
2000-2005 :レフスキ・ソフィア:90:(2)
2005-2007 :ジェフ千葉:65:(2)
2007-2010 :サンフレッチェ広島:85:(6)
2011:ファジアーノ岡山:26:(2)
代表歴
1998-2010 :ブルガリア:42:(0)

2、動画






3、プレースタイル

岡山では、主に3バックの中央で、プレーするディフェンダー。
ワールドクラスのテクニックに裏打ちされたプレーは、見るもの魅了した。
最終ラインで、相手選手を嘲笑うかの様なボールキープから相手選手をいなしながら高精度フィードで、チャンスを作る。
日本だとなかなか最終ラインからの決定機を作るのは、難しいが、イリアン・ストヤノフは、高い技術で、それを可能にした。
岡山では、年齢的に体力が衰えていて見えなかったが、千葉時代にCBながらオーバーラップからクロスを入れてアシストする等、走力もあった。
また、プレースキック精度も高く、ゴール前で、急落下し、チアゴ・オノリオの足下に吸い付くよなボールを蹴り、アシストした。
本当に細かいコントロールが可能で、ボールタッチは、非常に繊細。
一方で、繊細なボールタッチとは対称的に激情で、怒るシーンが良くあった。

4、エピソード

日本つまりJリーグに来るまで、ブルガリアで、キャリアを積み。
J1の千葉に来ると、攻撃面で、持ち味を発揮した。
千葉と広島で、中心選手として、大活躍。
両チームで、多大な影響力を誇った。
一方で、千葉時代は、オシムが、代表の監督に就任し、千葉を離れた後、後任の監督の衝突する等、気性が激しく、外国籍らしい選手だった。
岡山に来てからは、開幕で、大量失点を経験したり、恵まれない環境により、コンディション不良などにより選手として引退する事を決断することになった。
プレー以外でも多才で、引退後は、レストランを開いたり、フットサルチームを作ったり、指導者のライセンス取得を目指す等、精力的に活動。
余談ながら、岡山に服部 公太と桑田 慎一郎が、在籍していた時に広島とのTRMが、岡山で、あった時に観戦に来ていて、抜群の存在感を放っていた。
さらに在籍時には、行き帰り時にサングラスとカッコいい車で、スターのオーラーを放っていた。

また、当時の岡山で、唯一の代表経験者で、そのプレーのクオリティは、異次元のものだった。
岡山では、2年契約だったが、1年しかプレーしなかった。
チームとして、彼を引き留めるだけのチーム状態ではなかったのは、残念だったが、一年在籍したという記録と記憶は、消えない。
千葉戦でのGKの様なプレーをしてのハンドでの退場劇。
熊本戦での4点目となる華麗なるミドルシュート。
ファジアーノ岡山のチーム通算100得点目をPKで、決めた。
真ん中のCBながら岡山では、結局2ゴール8アシストという堂々たる成績を記録。
岡山での確かな軌跡を残した。
逆にそういった選手を他チームに排出出来る様なチームになりたいと感じるほど、彼の残した功績とインパクトというのは、大きかった。
一年しか居なかった、いや1年も居てくれた事に感謝したい。
ありがとうイリアン・ストヤノフ。
最終更新:2014年07月22日 20:48